第13話 エステレア皇室の事情
「お初にお目に掛かる。異界の娘、異界の星詠みよ」
物語の王子様そのもの。そんな麗しい人がそう言って私にこうべを垂れた。それが全ての始まりだった。
その日は習い事を終えて帰路についていた。いつもの運転手が体調不良で休暇中だったので、臨時で雇った運転手の車に乗っていた。
道の先で事故が起きたらしく、道路は混み、そこに突然の降雨で車の進みは輪をかけて遅くなってしまって。
する事もなくぼんやり眺める窓の外では、雨に濡れた道路が反射するネオンライトを長く引き延ばしていた。
道行く人々は通り雨に晒され、せっかくの服や髪、持ち物を湿らせ気の毒だった。急ぎ足の人、諦める人、店に入っていく人……。様々な人から私は視線を外し、窓に打ち付ける雨垂れの音に耳を澄ませたのを覚えている。
確か、それから少しして渋滞が解消されて。
待たされた時間への苛立ちをぶつけるように、スピードを出して荒々しく走り出す車が何台か現れ始めた。
『私だって、いつもの時間よりずっと遅くなってしまったのに』
けれど焦りは良い結末を呼ばないことを、私は理解していた。だから思いは口に出さず、決して運転手を急かしもしなかった。
でも運転手の考えは違っていたようで。
雨音に心を傾けていた私が気付いた時には、もう随分とスピードが出ていた。
『急がなくて構いません』
告げようとした言葉は私の喉元に留まり、生み出されることはなく。何故ならフロントガラスに迫る大型車を目にしたからだった。
眩しい光が私の網膜を焼いた。それが元の世界での、私の最後の記憶だった。
「貴方からすれば突然の事で、さぞ不安に思われているだろう。しかし我々は誠心誠意を尽くし貴方の心身の平穏に努め、守る事をお誓い申し上げる」
目を開くと知らない人々が私を囲んでいた。
王様みたいな人、王子様みたいな人、騎士様みたいな人達、そして従者らしき人達。
神話に出てきそうな様式の白い部屋ーーというより場は、青や藍の敷布や花が彩っていた。私達の立つ場所の周囲は円形の水路が通っていて、陽の光を柔く取り込む柱と柱の間、その遠くからは清涼な水音が耳に届いた。
その中心で素敵な王子様が私と向き合い、精悍で真摯な眼差しで私を見つめたのだ。彼と王様以外の全てはかしずき、まるでお姫様になったような心地だった。
「我が国には貴方が必要だ。故にーーお越しいただいた」
どうやら私は彼等に呼ばれこの場へ来たようで。
何もかもが見慣れぬものに囲まれた中で戸惑う私にとって、望まれてここに立っているのだという自負は私の心を救った。
「どうか、力を貸して欲しい」
耳馴染みの良い声と言葉にゆるりと頷いた。すると王子様は甘く微笑んだ。それはまるで、私を宝物のように扱う眼差しだった。
そうして私の星詠みとしての人生が始まったのだ。
「星詠みさま。どちらがお好みでございますか」
実家より遥かに広く贅沢な造りの湯殿にて、身体を磨かれた後は喉越しの良い果実水を頂き、一室に通されるとそれは目を見張る美しく清廉なドレスや装飾品が並んでいた。
部屋は最初に訪れた場所<召喚の儀場>で受けた印象そのままに、白と青で作られた清爽な空間となっている。整えられた調度はどれ一つとっても優雅で侍女もその一つ。洗練された身のこなしで私を飾る彼女達もまた、美しかった。
「耳飾りはどれになさいます」
世界中の清らかな物だけを取り込んだように煌めく石達。その中から私が選んだのはあの皇子様の瞳に一番色味の近い物だった。
身支度が整った私は鏡で己を見る。
磨かれた肌も結われた髪も、身を飾る化粧もドレスも装飾品も全てが素晴らしかった。
(ここでは私、本物のお姫様だわ)
だって、呼ばれたのだもの。
どうやら異界と呼べる場所に来てしまったようだったけれど、構わなかった。
「星詠み様、お茶が入りました。本日のお菓子は隣国より特別に取り寄せた未流通の物です」
「星詠み様、お買い物はいかがですか。陛下が何でもお好きな物を買ってくださると」
「星詠み様、全てわたくし共がやりますから、どうぞゆったりとおくつろぎください」
「レン、気分はどうだ? 良ければ庭を歩かないか」
私の気分はとても良かった。この美しい国に、美しい世界に選ばれた自信が私を輝かせてくれるから。この麗しい皇子様を始めとするみんなが私を至上の宝のように扱ってくれるから。
「ある程度の事が落ち着けば、皇子と星詠みの娘の婚約を結ぼうと考えている」
それは異界に来てから数日目の事。皇帝陛下に呼び出された私と皇子に告げられた話に、私の胸は花園で舞うような心地になった。
ここはきっと何もかもが思い通りになる世界。私の為に用意された楽園なのだ。そう確信するのに日は掛からなかった。
けれど与えられる物には、対価がある。
それは私が呼ばれた理由。
どうやらこの国は危機に瀕しているらしかった。その未来を避ける為に必要なのが、私の詠うという星の予言。
「任せて。きっとこの国を救う手立てを見つけてみせるわ」
特別な存在である私なら出来るに決まっている。立派に務めを果たし、皇子様の寵愛を一身に受けなければ。そうなってこそ真に私に相応しい立場といえる。
この世界へ来て幾日目だったか。私は初めて、予言を求めて揚々と星に祈りを捧げた。
星が私に応えることは、なかった。