3.追い詰めまして。
私の怒りは、私のものだ。
地下工房に悲鳴が響く。
「なんっじゃこりゃああ!!?」
無数の少女。
しかも、敵意あり。
マクスウェルが消えた工房。
水槽が、急に、割れた。
這い出してくる少女たちの無感情な目に宿っているのは、まぎれもない殺意だった。
「すごい数ですっ! ちょ、これは……っ」
集団戦は向かないナディーネが目に見えて狼狽える。
マクスウェルが【花嫁】と呼んでいた水槽に漂っていた少女達。
人造の身体。
かわいそうな実験体。
それが、まるで操り人形のように動き出す。
「アンデッド!? ゾンビ!? なになに、なんだしっ。これ!?」
キャサリンが悲鳴をあげるように叫ぶ。
たしかにアンデッドやゾンビを思わせる緩慢な動き。
しかし、それに反して。
チュドン。
「へっ!? 雷撃弾!?」
びりり、とキャサリンの金髪を揺らす雷撃。
それを放ったのは、【花嫁】たちだった。
「……はっ、えっ、しかも無詠唱だしぃ!?」
初級魔術……とはいえ、練度の高いそれが、少女達から次々に放たれる。
かざした手。指を鳴らして。
傀儡の少女達は魔術を放つ。
……まるで、ラプラスのように。
「っていうか」
キャサリンは、周囲を見渡す。
少女。
ずるりずるりと蠢くそれらは、どこからどうみても少女なのだ。
これでは、――これでは。
「これじゃあ……攻撃していいのか分かんないんですケド!?」
***
【リリウム】の総意として、いかなるクエストでも罪のないものをむやみやたらと傷つけることを避けていた。
誰も口には出して誓ったりはしなかったけれども。
それは、ターニャたちにとっては疑問をもちようのない「正義」で。
いまここに蠢く、マクスウェルによって造られた少女たちもその対象の例外ではなかった。
「ぅっ……アリエノーラ様、アリエノーラさ、まぁ」
「あっ、ヴィスさん。気がついて……?」
ターニャの腕の中で、白い衣に身を包んだ侍女が目を覚ます。
どう考えても戦闘行為など業務に含まれてなどいないはずのヴィスの体調を気遣って、ターニャは彼女をのぞき込む。
じりじりと【花嫁】たちがにじり寄る。もう時間がない。決断をしなくては。
ナディーネが駆け寄る。
「か、回復します!」
ナディーネが、すかさずヴィスにヒールをかける。
……驚くほど効かなかった。
「……………お気持ちだけは伝わりました」
と言うヴィスの苦しげな様子に、ナディーネが「うぅっ」と涙目になった。
「な、ナディーネ、どんまい!!!!!」
「す、すみません、すみません……レベル3なもので……」
次こそは、回復術師として活躍を。
ナディーネはそう誓う。
「ぅ、っ……時計塔です」
「え? ヴィスさん、今なんて」
苦しい息の中。
ヴィスは必死にターニャに伝える。
「時計塔に……、アリエノーラ様は時計塔に連れて行かれたはずです」
***
……さて。
もしここに実家が居酒屋の者がいるとして。
料理にも熟達していたとして。
――料理に必要な、ある技能に長けていたとして。
それがこの局面で、役に立つと思うだろうか?
「っ、いい? 料理の命は――!」
キャサリンが長杖を振るう。それに呼応するように業火球・狐が飛ぶ。
「――ッ、ァ」
炸裂した青白い火球が、目前に迫っていた【花嫁】を捉える。
燃え尽きるか、に思われた。
しかし。
「料理の命は、火加減だしぃっ!!!」
キャサリンの放つ業火球・狐は、のろのろと動き、無詠唱で初級魔術を放ってくる【花嫁】の動きを的確に止める。
しかし。
その身体は焦げてもいない。
その四肢は砕けてもいない。
ただ、その動きを止めるのに丁度いいエネルギーを、叩き込む。
絶妙なる火加減!
さすがは名店の孫娘!
「すごいですっ、キャサリンってば料理上手っ!!!!」
「ナディーネ、冗談言ってる場合じゃないでしょっ!? そこの白いの、守ってやってよ!」
白いの、こと侍女のヴィスは立ち上がろうともがく。
しかし、まったく体がついて行かないといった様子だった。相当に魔力を吸われているようだ。
「ここは任せて。撤退の時間くらいだったら、ヨユーで稼げるしっ! その時計塔とやらに急いでよ!!」
キャサリンは叫ぶ。
「……行こう、ラプラスさん」
ターニャは静かに告げる。
大魔女は、それに応えるように頷いて……立ち上がった。
「? え、ラプラスさん。ちょっと、足……」
「いぇすいぇーす。あの野郎、魔力を根こそぎ持って行きやがった」
ふよふよと。
いつも金魚のように空中を漂っているラプラスの二本の足は、地面を踏みしめていた。
***
時を同じくして。
時計塔、最上部。
見下ろす街並みに、マクスウェルは酷薄に笑う。
「ああ。運命のときというのは突然に訪れるものだな」
もうすぐ。
もうすぐこの街は――否、この王国は我が手に収まるだろう。
三〇〇年。三〇〇年だ。
初めは、ありふれた功名心だった。
その次は、報われない我が身への自己憐憫だった。
次は、自分を捨てた女への復讐だった。
次は、次は、次は、次は――。
もう、なにが憎いのかも分からない。
何を主張したいのかも、わからない。
それでも、自分を捨てた妻や娘が……女が憎い、と思っていた。
彼女たちから力を奪えば。
彼女たちを、自分だけに、奉仕させれば。
そうすれば、自分はいつか幸せになれるのだと。
そう信じて、思い込んで。
マクスウェルは生きてきた。
体も捨てて、心も捨てて。
もとの自分の顔すら、もう思い出せなかった。
「さあ、女王になろうか。アリエノーラ」
腕の中で気を失っている人造少女に、マクスウェルは甘たるく語りかける。
いまは工房でアンデッドのように、ただマクスウェルの敵を討とうとしているだろうラプラスを模した【花嫁】たち。
彼女たちを完成させるには、女王がいる。
マクスウェルの手で思うままになる手駒。
そして、国民の支持を得られる存在。
かつて命を落とした皇女の代わりにと、亡き皇女にそっくりに整えられた【花嫁】……それが、アリエノーラである。
幸い。
個体としての出来も悪くない。
感情も、思想も、なにもかも。
上書きすることなど、いまのマクスウェルには造作もないことだ。
もとより、【花嫁】たちはそのために造られた個体である。
従順に。
疑問を持たず。
そして、ラプラスのように役に立つ。
「術式女王作成起動。魔力充填を開始」
マクスウェルの声に応えるように。
街全体がーー王都オーデ全体が、淡い光に包まれる!
「あぁ。永い時間がかかったものだが……我ながらいい仕事をしたものだ」
例えば、教会。
例えば、噴水。
例えば、花壇。
あらゆる事象には、魔術的な意義がある。意味がある。
それらを魔術的な礎にして、都市全体を魔法陣として展開した大規模術式。
三〇〇年の時を費やして、マクスウェルが築き上げて来た魔術機構都市。それが王都オーデである。
もうすぐ。
もうすぐ、すべてが、この手に。
そのとき、マクスウェルの背後から声が響く。
あの声が。
あの、我が娘の声が。
「マクスウェルゥウウアァアア!!!!」
「……酷く品のない声だな、ラプラス」
振り返る。
時計塔に続く螺旋階段。
そこに立っているのは。
「……その手を、その手を離せ。マクスウェル」
「いけ、ラプラスさん! ぶん殴ってやってよ!!!」
歩行に慣れていない足から血を流しているラプラスと。
灰桜色の髪をなびかせる魔法剣士、だった。
歩き慣れない足で。
時計塔のてっぺんまで駆け上がって来たのだ。
「……はっ」
マクスウェルは、失笑を禁じ得ない。
偽物のくせに。偽物のくせに。偽物のくせに!
「その偽物の才能で、俺を殴るのか?」
「……偽物?」
「そうさ……全部が偽物だ、ラプラス!」
マクスウェルは吠える。
「お前の才能は偽物だ、お前の血にその魔法の才能を刻み込んだのは俺なのだから」
「お前の能力は偽物だ。お前にそれを仕込んだのは俺なのだから」
「お前の意思は偽物だ。お前は……お前が、父親たる俺に、反抗的な目をするはずがないのだから!
くつくつ、とマクスウェルは肩を震わせる。
ちょーー身勝手かよ! と。
ターニャは肩を震わせる。
「……それに。お前が、今さら俺に抱いている怒り! それだって偽物に……借り物に決まっている!!!」
「……は?」
「その剣士の女に仕込まれたんだろう? そそのかされたんだろう? 俺が育てたラプラスが、俺に反抗的な目をするはずがないんだ。借りものの怒りで、俺を蔑みやがって!」
マクスウェルの言葉に。
ぐつぐつと、腹の底から何かが湧き上がる。
「……ラプラスさん」
くく、と。
マクスウェルの言葉にラプラスは笑う。
ああ。こいつは。
まじでくだらねぇ。
「マクスウェル!!!!」
ラプラスの咆哮が。
いつも飄々としているラプラスの咆哮が。
時計塔に響く。
「よく聞け……いいか。私の怒りは」
そう。
この怒りは。
あの大荒野。あの日のターニャの怒りに焦がれたことが始まりだったとしても。
でも。
でも!
「でもっ!!! ……あたしの怒りは、絶対に。絶っっ対にあたしのものだ!!!!」
この気持ちは。
怒りは。
誰のものでもない。
この身体も。
この能力も。
すべて、すべて私のものだ。
「それを、偽物なんて言わせない。そういうお前が、大嫌いだ!! だからっ」
ラプラスは拳を握りしめる。
「だから。今日ここで、あたしはお前をぶっとばす!!!!」
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