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マヒロ・アコウ・ロウダンゲンは、自室のベッドの上で天井を見つめ寝転がっていた。
太陽は、空の高い所で輝き、館の使用人も領民も額に汗して働いている。
マヒロは、寝返りを打ち、窓に顔を向けるが、そこから見える美しい景色を見ていたわけではない。
半月あまり前だ。
そう、その時まで、マヒロは、従者として三週間に及ぶ旅をしていた。仕えた主人は、『白の民』にして、ロウダン帝国皇帝の兄。
まだ、一九年しか生きていないが、マヒロの中で、その日々が一番輝いていた。
マヒロは、幼いころから全てにおいて優秀だった。
一般的に跡取りでない貴族の子息は、一四歳になると学問に優れていれば高等学舎に進み、武術に優れていれば士官学舎に進み、仁徳に優れていれば礼典作法学舎に進み、それぞれ二年間学んだ後、一六歳の成人を迎え、宮殿の文官、帝国正規軍、皇族貴族の家に仕える。
マヒロは、学問もあまりにも秀抜な成績を出すため、飛び級で通常より二年早く学舎を卒業し、その後も高等学舎、礼典作法学舎、士官学舎をそれぞれ僅か一年で卒業してしまった。それも、努力も何もせずに全て首位で修了した。その時一五歳。
何もかもつまらなかった。何をしてもむなしかった。
家も貴族の最高位公爵家だ。何不自由のない環境だ。
その公爵アコウ家で、三人兄弟の末っ子としてマヒロは生まれた。一番目の兄は、文官になり、二番目の姉は女だてらに帝国正規軍第一騎士団に。
アコウ家は、代々皇宮に仕えていたため、マヒロが、皇宮に仕えてもよかったのだが如何せん仁徳に不安があった。マヒロ自身も、人の世話をするなどあり得ないと思っていた。何しろ、自分より優れた人間も、自分をささげるべき人間もいないと思っていた。周りにいるのは、馬鹿ばっかりだ。
結局、マヒロは、四年間職に付かず社交界にもでず引きこもっていた。たまにフラフラと外に出る事もあるが、いつの間にか、世間から忘れられていた。
それは、ある日突然やって来た。
皇宮で家令を務めるムロト・アコウ・ロウダンゲンは、マヒロの祖父だ。その祖父から依頼があった。
秘密裏に皇帝の兄をアモルエから帝都へ運ぶ。その際の従者を務めて欲しいと。
皇族の持つ石は、皇族を直接世話する者は知っているが、世間的には知られていない。できれば、広めたくない。全く無関係の者を従者に付ければ、その者口からその家族、知人へと広がる可能性がある。まして、今回は、本物かどうか見極める必要もあり、信頼のおける人物が、また優秀な人物が必要になった。
そこで白羽の矢が当たったのが、マヒロだった。
初めは、そんな面倒な仕事と気が進まなかったが、長年引きこもっている手前、しぶしぶ引き受けた。
そこで、出会ったのが、『白の民』セシルだ。
おそらく、セシルが、優秀なマヒロに敵う物など何一つないだろう。しかし、マヒロは、一瞬でセシルに魅せられた。
その後の事は語るまでもない。
ベッドの上のマヒロは、また寝返りを打ち天井を見つめた。
セシリエス殿下は、今、皇宮でどうしているのだろう。
弟である皇帝から虐げられてはいないか。そういえば、別れ際の親衛隊の対応は、ひどかった。
食事は、ちゃんととれているだろうか。体調は、大丈夫か?
自分が、傍についていれば、殿下に何不自由なく過ごさせる自信があった。
しかし、今、自分は遠く離れた地にいて、殿下の傍には優れた近侍がついているはずだ。それに、何かあっても有能と名高い祖父のムロトが付いているのだ。心配することなどない。
マヒロの出番などもうないのだ。もう、この手であの白い髪を梳く事も世話をすることもないのだ。
夕暮れを迎える頃、にわかに館が慌ただしくなった。
自室を出て居間に向かうと、そこには、いるはずのない祖父ムロトがいた。
「おじい様、どうして……」
マヒロは、珍しく言葉に詰まった。ムロトは、皇宮にいれば仕える身だが、領地に戻れば、一国一城の主だ。今は、主らしくソファーに身を預け、長い脚をもてあまし気味に組んでいる。
しかし、そのムロトの身に付けている服が、マヒロを不安にさせた。公爵として、皇宮の家令としては、みすぼらしい。窓から見える馬車もどこのものともしれない馬車だ。何かがあったのは間違いない。マヒロは、眉間を寄せ怪訝そうな視線を向けた。だが、対するムロトは、どこか晴れ晴れとした顔をしている。
「マヒロ、元気そうで何よりだ。それから、まだ、礼を言っていなかったな。重要な任務ご苦労だった。それから、お前がくれた殿下の報告書は、とても役に立った」
マヒロは、旅の間、セシルの行動を全て記録していた。その記録を伝手を使ってムロトに届けていた。
「そんなことより、おじい様、いったい何があったのです。この時期に領地に帰って来るなど。それに、そのご様子は?」
「ああ、家令の仕事を辞めて来たのだ。私も、六五だ。そろそろ引退せねばと思っていたのだ」
「辞めて来た?それでは、殿下は?セシリエス殿下は?」
「……セシリエス殿下。……セシリエス殿下は、本当にすばらしい。お前の報告書どおりだった」
「……」
「ただ、最後に泣かせてしまった。……殿下を」
「泣かせた?」
「皇族たれと……、相応しい態度を取れと……」
「そんなことを……。あの殿下には、無理です」
「そうだな。そこが、あの殿下の良いところなのだが……。私も、そのままでいて欲しのだが……。しかし、これから、あの皇宮で生きていくには、必要だ」
マヒロは、思い当たった。旅の間もセシルは、周りに気を使うがあまり、自分を抑え込んでいたのだ。
「おじい様、今、殿下のそばには信用のおける者が付いているのでしょうか?」
「どうだろうか?出来る限りの事はして来たつもりだが、おそらくは……」
言い淀むムロトの言葉で、全てが察せられた。
「おじい様は、殿下が、苦しまれるのをわかっていながら放り出してこられたのですか?」
「マヒロ、もう私の時代は終わったのだ。皇宮もいやロウダン帝国さえも新しく生まれ変わる時なのだ。その為には、セシリエス殿下の存在が不可欠だ」
「ならなぜ?」
「その殿下を守る事さえできず、殿下自身も潰れてしまうのなら帝国はそれまでだ。これからは、彼ら自身の手で乗り越えて行かなければならない」
「……」
「マヒロ、もし殿下の盾になるべき時がきたら、お前はどうする」
「言わずもがな」
数日後、公爵アコウ家に二騎の早馬が着いた。
届けられた封書には、ロウダン帝国の紋に雫型の黒耀石が描かれていた。ロウダン帝国皇帝の紋だ。中には、
―― マヒロ・アコウ・ロウダンゲン
ロウダン帝国皇子セシリエスの近侍に任命す
ロウダン帝国皇帝グランジウス
と、あった。
マヒロは、居ても立ってもいられず、すぐに旅だった。
帝都まで馬車を使えば五日は掛る道のりを、単騎で昼夜疾走し二日でたどり着いた。
久しぶりに目にしたセシリエスは、やつれ、熱にうなされていた。
「何をやってるんだ」
肌着は小まめに変えなければ、換気もしなければ、水分補給も。
マヒロは、セシルの状況にぼやきながらも、唯一の主人を世話できる喜びに浸っていた。
手慣れた手つきで甲斐甲斐しく世話をしていると数日後、セシルがうっすらと目を開けた。
「セシリエス殿下、セシリエス殿下」
マヒロが、声を掛けると、セシルは、ゆっくりと真珠の瞳をマヒロに向けた。
「……マ……ヒロ……さん」
「殿下」
「……あり……が……とう」
そう言って、やわらかな笑みを浮かべた。
ああ、そうだ。この笑顔の為にここに来たのだ。この笑顔の為なら、ずっとそばにいよう。




