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  作者: まころん
第1章
29/70

28

セシリエスの皇宮到着の知らせは、親衛隊長ドモンの部下によってもたらされた。


「グラン、セシリエス殿下のところへ行かなくてもいいのか?」

『黒耀の間』で、執務を続ける皇帝グランジウスに、親衛隊長ドモンが言った。到着の報告がなされてから、かれこれ数時間たっている。

「これが、終わったら行く」

言葉とは裏腹に、グランが、腰を上げる気配はない。

「…おいおい」


グランは、多忙な身である。それを理由に、今回の〝面倒事〟を宰相イオリに全て任せていた。

今日、リュイファ帝国との外交の駒であるセシリエスが、五体満足で手に入った。グランにとっては、それだけで十分だった。セシリエスに対する興味もない。

仮に帝国を脅かす存在なら、この手で切って捨てるまでだ。宰相イオリたちは、熊か何かと騒いでいるが、自分が後れをとるつもりもない。


しかし、いつまでもこの件を先延ばしに出来るはずもなく、眉間にしわを寄せ現れた宰相イオリにせかされ、重い腰を上げた。



グランは、親衛隊長と宰相を伴い『樹蔭の間』へ向かった。

『樹蔭の間』、そこは、セシリエスを迎い入れる為に、宰相イオリが選んだ場所だ。皇帝の居住する皇宮の裏手にあり、渡り廊下だけで繋がった離れだ。皇宮の敷地内ではあるが、何かあった時、そこだけ封鎖することもできる。今回の件には、うってつけの場所だ。

とは言うものの、何代も前の皇族が、気まぐれに建てた廬屋は、小奇麗にされては入るが、寂れた感は否めない。

たしか、今日は天気も良く、南に面した皇宮には、暖かな陽ざしが差し込んでいたはずだが、『樹蔭の間』へ繋がる渡り廊下は、陽も当らず、漂う空気もくすんで見えた。時刻は、夕刻。北方にある帝都は、晩春とはいえ気温もいっきに下がり始めていた。



『樹蔭の間』の前には、二人の親衛隊が、立っていた。

この中にセシリエスがいる。現皇帝の兄として迎えた。皇位を狙っても不思議ではない。また、貴族と結託して権力を持ち、帝国を混乱させる可能性も十分ある。


親衛隊長ドモンが、めずらしく緊張を含み言った。

「まず俺から入る。何が起きるかわからんからな。グラン、お前はさがっていろ」

「余が、不覚を取るとでもいうのか?」

グランは、異を唱えるが、宰相イオリも親衛隊長ドモンに同意する。

「そうは思いませんが、セシリエス殿下が、どんな手を使ってくるか、わかりません」

「馬鹿な。どんな、屈強な者だろうと、どんな手を使ってこようと、この手で打ちのめすのみ」

「しかし、何といっても、帝国随一の強さを誇る陛下の兄君です。侮ることはできません。まずは様子を……」

宰相イオリが、グランをなだめ、一歩踏み出し、扉の前に立った。


「セシリエス殿下、よろしいでしょうか。私、宰相を仰せつかるイオリ・ドウエン・タイラと申します。只今、グランジウス皇帝陛下が、お見えになりました」

宰相イオリが口上を述べ、それと同時に、親衛隊長ドモンが、剣に手をかけた。

しかし、反応がない。宰相と隊長が、顔を見合わせる。

「セシリエス殿下、殿下」

再度呼びかけるが、やはり、なんの反応もない。

「これは、何かの罠が……」

「……くそ、何をたくらんでやがる」

宰相イオリと親衛隊長ドモンが思案する中、グランが、二人を押しやる。

ロウダン帝国の和平を壊すものは、血を分けた兄であろうと、何人たりとも許さない。

鋭い眼光を更に強め、鋼の皇帝が、腰の愛剣を抜いた。皇帝の凄烈な様に、監視をしていた親衛隊も息をのむ。

「どけ、余が行く」

怒気をはらんだ声が、低く響く。

抜き身の剣を片手に、皇帝グランジウスが、部屋の中へ踏み込んだ。


踏み込んだ『樹蔭の間』には、装飾も家具もなかった。ただ一つ部屋の真ん中に、入り口に正面を向けた長椅子が、置かれていた。


初めに眼に飛び込んできたのは、白。

崇高ともいえる艶やかな絹のような白。



         ―― この生き物は、なんだ ――



瞬きをして、もう一度見やれば、白い髪の下に、長椅子に上半身を横たえた姿があった。

自分と同じ男かと疑うほど華奢な体。それに被さる白い髪は、腰まであるだろうか。

薄く開かれた口元は、線の細い優しい面差しを、更に猛々しさから遠いものにしている。

身に纏っているのは、グランに言わせれば、廃物かと思えるような弊衣と擦り切れた靴。

しかし、それさえも、男の醸し出すやわらかな、そして清らかな佇まいを損なうことは出来なかった。


部屋は、西の窓から陰った残光だけが差し込み、薄暗い。にもかかわらず、この寒々しい部屋の中で、男の周りだけが、暖かで心癒す空気に包まれているようだった。



           ―― この生き物は、なんだ ――


なんであるかは、わからない。ただ、今は泣きそうだ。


無意識のうちに、皇帝グランジウスの愛剣が鞘におさめられた。



「……下、陛下!」

「……」

気が付けば、続いて入ってきた宰相イオリが、いぶかしむようにグランを覗き込んでいる。

親衛隊長ドモンは、油断なくセシリエスを見据え、グランを背に立つ。

「どういうことだ、こりゃ」

「……眠っていらっしゃる?この状況で?」

立っているだけのグランをよそに、二人の腹心が、セシリエスであるはずの『白の民』を見定める。

「やはり白なのですね」

「グラン、それを抜いてもお前の兄君っていうのは、嘘じゃないのか。似てなすぎるぞ」

「……」

親衛隊長ドモンの言葉にも、グランは、やはり、ただ立ちつくしていた。


「しかし、別嬪さんだよなぁ。社交界でいうところの清純派ってやつか」

「何を言っているのです。この方は、男ですよ。それに、容姿で騙され、油断してはなりません」

宰相イオリが、慎重にセシリエスに一歩近づき声をかける。

「セシリエス殿下、殿下、起きていただけませんか」

その声に反応し、眠り人は、小さく身じろぎした後、長椅子に手をつき、ゆっくりと体を起こした。そして、椅子の背に身を預けると、今度は、長い睫毛に縁どられた瞼を、徐々に開けた。

あらわれた瞳は、やはり白。

寝起きの為か、とろりとした瞳は、艶のある真珠のような輝きを持っていた。

白い髪、白い瞳を持つ『白の民』。通称、『色なし』『加護なし』。



目の前の『白の民』は、まだ、意識が目覚めていないのか視線が定まっていない。

その相手に、宰相イオリは更に一歩近づき、胸に手を当て、片膝をつき慇懃無礼に最高礼を示した。

「セシリエス殿下、お初にお目にかかります。私、宰相を務めさせて頂いておりますイオリと申します」


礼を示された相手は、まだ、事態が呑み込めないのか首を傾げた。そのうち、言葉と所作の意味が理解できたのか、驚いて腰を半ば浮かした。

「……さ、宰相様っ」

宰相イオリは、相手を威圧だけで長椅子に押し戻した。

「セシリエス殿下」

何の感情もこもらない無機質な声で名を呼ぶ。呼ばれた『白の民』は、戸惑ったようにうつむいた後、顔を上げた。

「……俺、あ、私は、殿下じゃありません。……ただのセシルです」

宰相イオリの後ろで、大男たちが、わずかに身うごきする気配を感じたが、放つオーラで抑え込む。この仕事は、私の仕事だ。邪魔はさせない。

宰相イオリは、跪いたままにすることにより、自分だけに視線を向けさせ、問い詰めた。

「殿下じゃないと?」

「……はい」

眼鏡が、すらりと伸びた指で押し上げられた。

「それは、どのような理由からですか?」

「……私は、ずっと母と二人で、森で暮らしてきました。しかし、その母は、私に何も言いませんでした。何も……」

セシルは、森を発つとき、バナルから聞いた父の話を信じないわけではない。しかし、全てを受け入れたわけではなかった。


宰相イオリの問いが続く。

「そうでしたか。貴方様のご両親のお名前は?」

「母は、『蒼の民』フィオナ。……父は、『黒の民』ダヴィー、……と聞いています。……会ったことはありませんが」

ダヴィーは、先代皇帝ダヴィーグの親しいものだけに許された愛称だ。


また、眼鏡が、押し上げられた。

「貴方様は、殿下ではないとおっしゃいますが、それでも、もし仮に、ローダン帝国皇帝陛下の兄君だとしたら、どうなさいますか?」

宰相イオリの問。その中に含まれた真意は、おまえの欲しいものは何か?

皇位継承権か、財か、権力か、それとも、……。

答えによっては、……。

後ろの二人の男の気も、張り詰める。


問われたおそらく兄の男は、答える。

「えっ。……それは、……それは……。

……正直言って、ずっと森に住んでいたので、帝国とか、皇族とか、よくわからないんです。

……ただ、母が、亡くなって、長い間、一人で暮らしてきたので、家族ができたら、兄弟ができたら、嬉しいというか、それが弟だったら、兄として何かしてあげたいというか……」

言葉をとつとつと紡いでいく。

間違いなく国を脅かすと想定していた兄であろう人物の、想定外の言葉に、宰相イオリの後ろの空気が和らいだのは、気のせいではない。


だが、宰相イオリは追及を緩めない。

「具体的には、何をしてあげる事ができるのですか?」

「えっ、えっと、……私は、特別なことは何もできません」

「何もできない?」

「はい。私には、強い力も、秀でた知恵もありませんから。……ただ、以前、兄のように慕っていた幼馴染がいました。私は、いつも頼りにして遊んでもらったり相談に乗ってもらったりしていました。そういう風になれたらいいなというか、本当の兄弟だったら……」


兄弟、それは、家族という居場所に共にいる事が無条件で許される住人。住んでいる所が、一緒とか違うとかという事じゃない。家族という、それだけで、家族だから、心寄せあい、互いに想い慈しむ、絆で繋がる自分の居場所だ。

兄弟は、その同じ居場所にいる者。

なんの妨げもなく、なんの遠慮もなく寄り添える本当の兄弟なら、最高権力者といえども自分の弟なら、何か出来る事をしてあげたい。

そう思い、宰相イオリの問いに答えたが、拙い自身の考えに気付き、セシルは、恥ずかしげに視線を伏せた。


宰相イオリも同感だったらしく、

「そのような、取るに足らない…… 「そなた、黒耀石、黒い石を持ってはおらぬか?持っておるだろう」

宰相イオリの言葉を押しやるようにグランが、声を発した。


セシルは、他に人がいる事に初めて気づいた。視線を上げ、圧するような大柄の二人の男を目にし驚き思わずのけぞった。


その内の若い方の男が繰り返す。

「卵ほどの大きさの、滴の形をした黒い石だ」

その言葉にセシルは、思わず左の腕に手をやる。

男の口が弧を描いていった。

「そなたは、私の兄だ。私の左の腕にも同じ黒い石がある」









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