27
騒ぎの後、セシルたちは、帝都に向かい出立した。帝都までは、あと五日程の旅程だ。
一行は、初めの三日間は、これまで通り野営場で過ごした。この先は、貴族たちが使う上級宿館に泊まる予定だ。帝都に近くなれば、貴族が、野営場を使うと余計に目を引くからだ。
「これでやっと、まともに寝る事が出来る」
馬車の中のズシーヨは、ご機嫌だ。
街道を進んでいくに従い、町と町の間隔が狭くなり、規模も大きくなっていった。遅れを取り戻すため飛ばしていた馬車も、街中を通る時は、さすがに速度を落とす。
子どもたちが、空き地で走り回っている。年老いた者たちが、道の脇で楽しげに話しこんでいる。この陽ざしの下、家々にはためく洗濯物は、良く乾きそうだ。町の目抜き通りに差し掛かれば、客寄せの大きな声が聞こえてくる。
馬車の小窓には、レースのカーテンが付いている。外からは、見えないが、中から様子をうかがうことは出来た。
「どの街も賑やかですね」
セシルは、初めて目にする街並みに声を上げた。
「ふん。田舎者め。帝都に入ればこの比ではない」
「そうなんですね」
セシルは、小窓に映される人々の営みを、飽きることなく眺めていた。
馬車が幾つかの町を通り過ぎ、目指す町に入れば、そこは、すでにたそがれ時をむかえていた。
大通りを進み、今夜の宿泊先である上級宿館に近づくと、マヒロが、またどこからか一枚のローブを取り出した。フードが付き、深緑色をしている。
「殿下、これは、精霊の寺院の聖職者の服です」
マヒロによれば、聖職者は、起きている間は、この服を身につけ、フードも外すことはないと言う。貴族でも聖職者に就く者は珍しくなく、聖職者自体の地位も高いので、上級宿館にいても違和感がないということだった。
マヒロの顔には、やはり、不本意ですがと、書かれていた。
たどり着いた上級宿館は、石造りの豪華な建物だった。上級宿館は、単なる宿ではない。貴族の社交場の役割も果たす。大きなホールや食堂を兼ね備え、様々な地域から集まった貴族の交流や情報交換の場となっていた。
馬車が、正面玄関にある車寄せに止まった。セシルが、聖職者のローブをまとい、上級宿館の中に足を踏み入れると、そこには、保養所とはかけ離れた空間が広がっていた。高い天井から吊り下げられたシャンデリア。その灯りの下に上等な服に身を包んだ貴族たちがいる。足元の絨毯は、歩くつどに靴が沈む。ズシーヨに言わせれば、ここは、まだ大きいほうではないという。
セシルが、豪華さに圧倒されていると、いつのまにか部屋に着いた。ズシーヨの子爵という爵位から、与えられた部屋は中程度の部屋だそうだが、セシルにとっては、かしこまるほど上等だ。
食事は、階下の大食堂でとることになった。ここでは、それが普通で、へたに勘ぐられない為にもそれに倣うことにした。
大食堂は、更に豪華な装飾がなされ、真っ白なクロスが掛けられたテーブルが並び、大勢の貴族たちが、各々のテーブルで酒や料理を囲んでいた。
セシルたちが、案内されたのは、壁際の目立たない席だった。ローブのおかげでセシルが『白の民』と気付く者もいない。そのローブの下から覗いているとテーブルの上には、次々と見たこともない料理が運ばれてくる。舌に乗せれば、おいしいのは言うまでもない。ただ、セシルにとっては、保養所の素朴な料理の方が、口にあっているのだが。
隣の席の貴族たちの目当ては酒らしく、テーブルには、酒びんとつまみが並んでいる。その内、盛り上がってきたのか、語らう声が大きくなり、セシルたちの席まで否応なく届いてきた。
「あの話は、本当らしいな」
「畑を全て焼き払った話だろう。全く信じられん」
「『鋼』と言われるだけはある。領主は、死罪だそうだ」
「恐ろしい話だ。冷酷なのは有名だが、情けのかけらもないのか」
貴族たちは、現皇帝グランジウスが、如何に非道かを捲し立てている。帝都にあれば不敬に当たりそうな話も、帝都の外という気の緩みか、食堂の端という安心感からか貴族たちの語気が、弱まる気配はなかった。
セシルは、食事を終え部屋に戻った。ローブを脱ぎソファーに腰を下ろすと、ゲンセイが、目の前に膝をついた。
「殿下、少しよろしいでしょうか」
「はい。なんでしょう」
これまで、セシルは、自分に対し膝まず付く必要はないと言ってきたが、ゲンセイは、改まった話をするとき、こうして膝をつく。
「先ほどの食堂の件ですが……」
ゲンセイとマヒロは、食堂で席には就くことはなかったが、セシルたちの後ろに控えていた。当然、貴族たちの話も耳にしている。
「グランジウス皇帝陛下は、政務に厳しいお方ですが、決して、暴政を敷くお方では、ございません」
「……えっと……俺、難しい事は、よくわからなくて。……ごめんなさい。……でも、今日、馬車の窓から見えた景色は、いつまでも見ていたいと思いました。……その景色は、皇帝陛下をはじめ、たくさんの人々が、頑張って作ったものなんですよね。……だから、子どもも、お年寄りもみんな、笑顔でいられる。……でも、反対に、すごく怒ってる人もいる。……皇帝陛下の仕事って、大変な仕事だって思いました」
ゲンセイは、貴族たちが、話題にしていた事件の裏を知っていた。強制とはいえ、領民も、ご禁制のアヘンの製造に加担した。娘たちも、アヘンを味わわされた。事実が、世間に明るみにされれば、蔑みを受ける事は間違いない。それを避ける為、皇帝グランジウスは、公表しなかった。しかし、貴族たちは、自分たちに都合の悪い所はふせ、皇帝の非道と尾ひれを付け広めていった。
セシルに真実を告げるわけにはいかないが、弟である皇帝を誤解させることは、避けたかった。だが、それは杞憂に終わりそうだ。
セシルは、目に入った泰平の世を、ただ讃えるだけでなく、そこに至る労苦にも思いを巡らせた。貴族たちの対極の言葉を受け止めながらも、皇帝へのいたわりも口にする。
人の痛みを想像できるということは、大切なことだ。
「殿下、差し出がましい事を申し上げました」
「いいえ。皇帝陛下は、立派な方なんでしょうね」
「はい」
セシルは、やわらかい笑みを浮かべた。
配下の者が、皇帝グランジウスの擁護の為に膝を折る。そうさせる皇帝自身が、それだけ慕われ尊敬される人物ということだ。
そして、弟かもしれない皇帝に、ゲンセイのように心を砕いてくれる者がいる。セシルにとって、その事が、なによりも嬉しかった。
ただ、思う。自分が、そんなに立派な皇帝の兄であるはずがないと。
次の朝、春の気まぐれな空は、前日と違い雨を選んだ。今日は、いよいよ帝都に入る。帝都の端の上級宿館まで行くのが今日の目標だ。気がかりなのは、この雨の寒さによるセシルの体調と、もう一つ……。
ゲンセイは、眉間のしわを更に深めた。峠の襲撃の後も、ここまでの道のりで、大なり小なりの妨害があった。だが、それらは、強化された警護と、謎の助っ人により、なんとか阻止されていた。
― 謎の助っ人 ― 未だ、姿を見た者もいない。ある時は、先駆けが向かうと、すでに、ならず者が木にぶら下げられていた。また、あるときは、仕掛けられた罠が、外されていた。
ゲンセイは、雨を見つめ気を引き締めた。襲撃があるとすれば、今日が最後の機会と言える。正体不明の助っ人など当てにするつもりもなく、更に援軍も加わる予定だが、用心するにこしたことはない。
朝早く、上級宿館を発った馬車は、川沿い続く街道を進んだ。この川は、帝都まで続く大河だ。この辺りでは、川の両側に崖がそびえるが、帝都に入れば、『黒の大地』最大の都市が広がる。
「殿下、寒くはありませんか」
「はい。大丈夫です」
マヒロは、いつものようにセシルを気遣う。
馬車の中は、これまでと違う空気に包まれていた。明日、三週間にも及ぶ旅が終わる。
セシルは、胸の動悸を感じた。これが、期待から来るのか、不安からくるのかは、わからない。心の蔵に問えば、両方と答えるだろう。前の日でこれでは、明日は、どうなる事か。
マヒロは、感慨深いものがあった。明日で、自分も騎士団もセシルを離れる。おそらくセシルは、そこまで頭がまわっていない。別れを告げれば何と言うか。もしかしたら、塁線のゆるいセシルは、涙を見せるかもしれない。
ズシーヨも、いつもは、帝都の知識をひけらかすのに忙しいが、今日は、静かだ。
相変わらず、鉛色の空から、大粒の雨が降っている。
それは、突然だった。
ドドン、ドン、ガンと物凄い音とともに地響きがした。同時に、馬が嘶き、騎士たちの怒号が飛び交う。次に地響きがしたときには、強い衝撃と共に馬車が傾き、気が付けば、三人は、増水した川の中だった。
マヒロは、すぐに浮上し、セシルを捜した。雨にけぶる川は、視界が悪い。
「セシル様ーっ」
帝都に近い事も咄嗟に考慮し、名前を声の限り叫ぶが、返事はない。突然、しがみ付かれ、期待に振り向けば、探し人にあらずズシーヨだった。
「た、助けてくれ、マヒロ。わ、私は、泳げないのだ」
「ズシーヨ様、そんなにしがみ付かないでください。それより、殿下は?」
「あぁ、白なら、もっと先に流されていった」
「なんですってっ」
セシルは、水の中でもがいていた。セシルは、泳げない。空気が欲しくて、もがけば、もがくほど沈んでいった。苦しくて意識を手放す直前、誰かに後ろから抱きかかえられた。わかるのは、上へ上へと向かっている事。ぶはっと水面から、顔を出すと今度は、岸へと引き上げられた。
「セシー、セシーッ、しっかりしろ」
落ちかけていた意識が、名を呼ばれ引き戻され、同時に飲み込んでしまった水が、せり上がってくる。顔を横向きにされ、苦しさにむせながら、水を吐き出した。水を吐き出すだけ吐き出し、呼吸が落ち着いてくると、意識がまた沈みはじめた。遠くで、別の誰かが、別の名を呼んでいる。確かに、その名も自分の物だが……。
―― セシー ―― あぁそうだ。この懐かしい呼び名で自分を呼ぶのは、たった一人しかいない。顔を確かめたかったが、目が開かない。
雨の中、バシャバシャと足音が近づいてくる。
自分を抱きかかえている腕の力が強められ、額にやわらかな感触がふれた。
やっぱり、そうだ。
―― セシーの額が、ちょうど、俺の口の高さなんだ。だから仕方ないだろ――
そう言って、なにかと、額に口づけしてきた ―― カイト兄さん。
足音が、更に近付くと、そっと体を下に横たわされた。併せるようにセシルの意識も落ちていった。
* *
セシルが、目を覚ますと、そこは、灯りの燈されたベッドの上だった。
「……殿下。気が付かれましたか。どこか、痛い所はありませんか」
声の主は、マヒロだった。大丈夫と頷き、
「……ここは?」と、セシルが、問えば、帝都の上級宿館という答えが返ってきた。どうやら、今日の目的地までは、辿り着いたようだ。それは、ついに、帝都に入ったことを意味する。
首を巡らせると、ゲンセイもいた。
「殿下、私の至らなさにより、殿下の御命を危険にさらし、申し訳ございません」
頭を下げるゲンセイに、セシルは、そんなことはないと首をふった。
落石は、この雨で他の場所でも起き、故意か自然災害かは、わからないという。騎士たちは、さすがに岩をかわし、かすり傷を負っただけですみ、その後、駆けつけた援軍により、マヒロたちも救助され、セシルもここまで運ばれたそうだ。
セシルは、気になっていたことを口にした。
「……あの、川岸で俺のそばに誰かいませんでしたか」
「いえ、報告によれば、殿下お一人で岸に打ち上げられていたと」
「そうでしたか」
セシルは、それ以上、何も言わなかった。意識がもうろうとしていた中のことだ。夢か現か定かでない。夢だとしても、懐かしく心地よい夢だった。
幸い、セシルは、川に落ちたのに、怪我もなかった。増水した川が、上手く受け止めてくれたらしい。ゲンセイは、「恐れ入りますが」と、明日の昼にここを発つ事をセシルに伝えた。早朝出発の予定を昼にのばすのが精いっぱいだったのだ。
* *
川に落ちた翌日、昼食の後、セシルは、マヒロに「あの、俺の服を出してもらえますか」と、願い出た。
セシルにとって、今着ている服は借りた物だ。それに、皇帝の兄ではないと判明した後、森に帰るのにこの服では、帰れないと思ったのだ。
マヒロとゲンセイが渋る中、セシルは、なんでもないように、さっさと着替えてしまった。そして、上から、昨日のローブをはおり、上級宿館を後にした。
昨日感じた胸の動悸は、今日は、感じられない。その後の思いもかけない出来事が、逆にセシルを落ち着かせた。
馬車が帝都を進む。ズシーヨの話は、嘘ではなかった。視界に入る街並みは、これまでの比ではない。聳える石造りの建物が、空を狭くしている。馬車と馬車が、行きかい、無数の人々が、闊歩している。その様にセシルは、声もない。
やがて、馬車は、ひときわ大きく荘厳な建物群の中に入った。
「ロウダン帝国の宮殿です」
マヒロが、静かに言った。
建物と建物の間には、石畳が敷かれそこを通り、ある建物の中に馬車ごと入って行った。そこは、数台の馬車があるところを見ると車庫のようだった。
一台の馬車の脇に数人の男たちが立っている。
「皇帝陛下の親衛隊です」
マヒロが、更に静かに言った。
馬車は、男たちの前で止まった。外から戸が開けられ、セシルは、ゲンセイの手を借り、馬車を降りた。目の前の親衛隊は、無表情で出迎えた。
セシルが、身に着けていたローブを脱ぎ、姿を現すと、ゲンセイが、口上を述べた。
「セシリエス殿下にございます」
親衛隊は、その言葉に、取り敢えず跪いてみせた。次いで、馬車を降りたマヒロとズシーヨも跪き、最後にゲンセイが跪く。
ゲンセイが顔を上げ、セシルを見つめた。
「殿下、これまでの旅中、至らぬ点が多々あったこと、お詫び申し上げます。我らの任務は、ここまで。殿下におかれましては、健やかに過ごされますよう陰ながらお祈り申し上げます」
「え、ゲンセイさん、ここまでって、どういう……」
その時、セシルとゲンセイの間に、親衛隊が割って入った。
「殿下、それでは、こちらの馬車に」
「待ってください。あの、……」
セシルの言葉を聞くこともなく、親衛隊は、セシルを自分たちの馬車に押し込もうとする。
その扱いに、マヒロとズシーヨも思わず立ち上がった。大きな体躯の男たちに、セシルが抗えるはずもなく、このまま別れるのかと思っていた時、凛とした声が響いた。
「お願いです。少しだけ時間をください」
セシルの声だった。その言葉に、押されたのか、男たちが下がった。
「ありがとうございます」
セシルは、男たちに丁寧に頭を下げた。
それから、マヒロ達へ振り返った。
「あの、俺、自分のことばかりで……、皆さんとお別れだなんて全然考えてなくて……ごめんなさい」
セシルは、今度は、マヒロたちに頭を下げた。
そして、まだ、跪いたままのゲンセイを立ち上がらせ、ゲンセイの手を両手で包んだ。
「ゲンセイさん、いつも命がけで、こんな俺を守って下さり、本当にありがとうございました。騎士の方々にもよろしくお伝えください」
ゲンセイは、また跪いた。
次にズシーヨの手を握った。振り払われなかった。
「ズシーヨさん、旅の間中、ご迷惑をおかけしました。ズシーヨさんが、いてくれて、旅が楽しかったです」
「……セシリエス殿下、どうか、お元気で」
初めて、ズシーヨに名前で呼ばれた。
最後にマヒロを目にしたとき、セシルは、胸に込み上げてくるものをからくも堪えた。この旅で、一番近くにいてくれたのが、マヒロだった。
「マヒロさん、俺なんて言ったらいいか……」
「……」
セシルとマヒロが見つめあっていると、ズシーヨが、「ふん」と、ハンカチを取り出した。差し出した先は、マヒロだった。
「え、僕ですか?」
「お前、気付いていないのか」
マヒロが、自身の頬に触れれば確かに濡れた感触がある。涙を流したなどいつ以来か。セシルが、泣くかもしれないと予想していたが、まさか、自分の瞳から涙がこぼれるとは、思ってもいなかった。
動かないマヒロにかわり、セシルが、ズシーヨのハンカチを受け取り、マヒロの涙を拭いた。
驚くマヒロに、セシルは、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「いつかの食事の時のお返しです」
その後、セシルは、親衛隊にうながされ、用意されていた馬車に乗り込み、皇帝の待つ皇宮へ向かった。




