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「殿下、おはようございます」
セシルが、一人でダンスを踊った次の朝、マヒロは、やけに、にこやかに寝室に入ってきた。朝の挨拶のあとの第一声は、「昨夜は、ダンスを拝見させて頂きありがとうございました」だった。
「えっ、マヒロさん、……見てたんですか」
「はい。円舞曲を踊り始めたところから」
「……それって、ほとんど最初っからですよね」
「そうですねぇ。初めは、止めようとしたんですが、あまりにも楽しそうだったので、ゲンセイ隊長がそのままでと仰ったんです」
「ゲ、ゲンセイさんにも、見られてたんですか」
「殿下、申し訳ございません」
マヒロに続いて入ってきた騎士団隊長ゲンセイが、律義に頭を下げる。
「いえ、こちらこそ、お見苦しいものを」
「さすがに、二曲目を踊り始めて、あのまま踊り続けるようならお止するつもりでしたが、途中でやめられたのは、賢明でした。足がふらついていましたから」
「ごめんなさい」と、今度は、マヒロにセシルが頭を下げる。
マヒロが、「いえいえ」と両手を振る横で、ゲンセイがまた頭を下げた。
「殿下、体調が全快していない中、申し訳ございません。明日には、ここを立ちたいと存じますが」
「はい。わかりました。大丈夫です」
セシルは、皆に心配をかけている中、ダンスを踊ったなど申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
明日、立つことを了承したセシルにマヒロが、言う。
「殿下、それでは、最後の夜に『隠れ湯』に入って行きますか。知っている者も少なく、ここの主人のとっておきの場所だそうです。体にもとても良いそうですよ」
「……そうですね」
セシルは、迷っていた。セシルは、温泉に入ったことはないが、バナルの所に来る行商人から話を聞いたことがある。温泉という暖かい水があり、そこに裸で入る、すると極楽のように気持ちいいのだと。それを聞いたセシルもいつか入ってみたいと思っていた。おまけにここの温泉は、体にも良いらしい。
しかし、革紐の下にあるものを誰かに見られるわけにはいかない。
セシルの考えを読んだように、マヒロがゲンセイに問うた。
「ゲンセイ隊長、殿下が、一人でお入りになりたいとなれば、警護を外から行うこともできますか」
「ふむ。不可能ではない」
「殿下、よかったですね。これで温泉に入れます」
「えっ、あっ、はい。……よかったです」
いつのまにか、今夜、温泉に入ることが決まった。
* *
アランの悪友たちが、目覚めたのは、昼過ぎだった。昨夜からの酒臭さを西の特等室にまき散らしている。
「お前たち、飲み過ぎだ」
「面目ない。アラン、ところで昨夜は、どうして、途中から姿を消したんだ?」
「女性三人を、私が独り占めしては、お前たちに申し訳ないだろう」
「言い返せぬところが、悔しい」
あの後、楽師は帰り、踊り子たちは、悪友三人と夜を共にした。どうやら、床の上の方が、専門だったらしく、あの踊りの程度をみれば納得である。
その踊り子たちは、金払いのいい貴族の子弟に味をしめたのか今夜も来るらしい。アランは、呆れたが、だらしのない友たちの顔を見ると何も言う気が失せた。
夜になり、そわそわし始めた男たちを残し、アランは、部屋を出た。昨夜は、夜になり雲が出たため行かなかったが、今夜は、綺麗な月が出ている。
勝手知ったる抜け道を通り、一番お気に入りの場所へ向かった。この抜け道は、保養所の主人が、「とっておきのとっておきだ。アランだけに教えてやる」と、昔教えてくれたのだ。
岩場と岩場の間を通り、洞窟の中に入り、天井や岩壁の隙間から微かに入る明かりを手掛かりに進んでいく。とっておきの抜け道は、子供の頃通った時より、狭く感じた。しばらくすると、目の前に明るく開けた空間が、現れた。アランは、一番のお気に入りの場所に立った。そこは、大人になったアランをかわらず迎えてくれた。
上を見れば、ぽっかりと抜けた天井から月光が集まり光の柱のように降り注いでいる。下を見れば、洞窟の中に、こんこんと湧き出る湯が泉をつくっている。その水面が月の光を受け輝いている。
下の泉から、天井まで三階建てくらいの高さか。アランはその中間の横穴にいた。
アランは、ここが好きだった。下にある湯が目当てではない。暗闇の中に、音もなく、ただそこにあるやわらかな光を見たかった。
どのくらい経っただろうか。下の方から数人の靴音が聞こえた。アランがすぐに身を伏せると、入ってきたのは、昨夜見かけた警護の者たちだ。泉の周りを確認した後出て行った。もちろんアランには気づいていない。
次に入ってきたのは、予想通りあの『白の民』だった。おそらく、気のいい保養所の主人が、何か事情があると察し、ここを教えたのだろう。下の泉は、「隠れ湯」と呼ばれ、歩きやすく整えられた正規の通路もある。
『白の民』は、上を見上げその神秘の美しさに驚いていた。初めは、みなこういう反応をする。
『白の民』は、ひとしきり洞窟を堪能した後、どこかためらいがちに服を脱いだ。綺麗だった。
アランは、男に興味はないのだが、それを抜きにしても綺麗だった。連れの悪友の一人は、女も男もいけるくちだ。彼が、見たら感嘆の声を上げるかもしれない。
『白の民』が、泉に歩みを進めた。その時、光の加減か、右の足首で何かが蒼く光った。そう言えば、さっき、服を脱いだ時、あそこには、紐らしきものが巻かれていた。泉に入り向きを変えた。今度は、左の腕の辺りで黒く鈍く光った。やはり紐が巻かれていた所だ。アランは、目を凝らした。まさか、もしやという、予感に引きずられて。
そして、そこにあったのは、アランが、焦がれ焦がれ欲したものだった。
「……なぜ、……なぜ、あの男に……。なぜ、『白の民』が、持っている?私が、持っていない物を……」
しばらく、アランは、その場を動けなかった。
「ふ~。気持ちいいなぁ」
セシルは、思わず口にした。温泉に入る事、いや、裸になる事をためらっていたが、湯に体を浸すという気持ちよさに脱帽である。行商人が、〝極楽〟と称したがその通りだ。加えて、この自然の神秘はどうだ。セシルは、マヒロの隠された思惑に気づくはずもなく、勧めてくれたことに感謝した。
それでもと、セシルは、左腕に手を添える。思わず、誰もいないかをもう一度確かめる。セシルは、自分が人と違うことを嫌というほど知っている。髪も瞳も、更にこの腕にある物も。
セシルがいた森の湖では、年に1回、村の祭りが開かれる。精霊の物語になぞらえ、村の子供たちが、裸で湖に入る。そして、精霊に感謝する歌を歌い、岸辺に用意された御馳走をにぎやかに食べ、帰って行く。
まだ幼かったセシルも、本当は参加したかったが、叶うはずはない。村では、セシルと母フィオナは、戦争で酷い火傷を負い、ひっそりと住んでいる親子ということになっていた。
村の子供たちを羨む気持ちにそそられ、屋根裏部屋の窓からそっと覗いていると、あることに気がついた。
……ない……。どの子にもない。自分の腕にある物と同じ物を持っている子どもは、誰一人いない。ついでに言えば、足首にある物もだ。
急いで、梯子を降り、母に詰め寄ると、母は、セシルの肩をつかみ、
「この事は、誰にも絶対に言っても、見せてもいけない」
と、初めて怖いと思える形相で言ったのだ。
セシルは、人と違うものが、また一つ増え、やっぱり、自分は、みんなと同じように交わる事はできないと思い知らされた。
革紐は、物心ついた頃から、ずっと巻かれている。留め具は、手が込んでいて、不器用なセリルは、外し方を覚えるまで苦労した。無理に外そうとすると、肌に傷を作り、痛みを伴う。寝ている間に外されるのを防ぐ仕掛けだ。
セシルは、自身の腕をつかんだ。
「……こんなものいらない……」
唯一の救いは、足首にある物が、母と同じということぐらいだった。




