*10*
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けど、腕を伴喜に引っ張られた。
強く強く彼の腕に抱きしめられる。
「終わりになんて、できない。気なんて全然すまない」
私の耳元で伴喜が囁いた。
「芽以外の人なんていらない。芽がいい」
そして私の両方の手を、硬い手で一くくりに掴んで、もう片方の手で私の頬を撫でた。
「俺は、物分りがよくも、諦めがよくもない。俺は芽以上にずるくて、酷い男だ」
親指と人差し指で私の顎のラインを引っ掛けてくいと持ち上げられる。私の視線を自分のと同じ高さにして、伴喜は妖しいほど綺麗に微笑み
「さっき言っただろう? 俺は、芽を手に入れるためなら、世間に俺の物だって知らしめるべく芽を公開するし……」
私の掴んでいる両手を自分の口元に運び、私の目の前で私の目を食い入るように見つめながら私の手の甲に口付けをした。
「いっそのこと、芽に俺の子を孕ませても良いって思ってる。……孕ませてもいいって言うより、孕ませたいって言うほうが正解だな」
恐ろしくも甘美な告白に私は背筋がぞくっとすくんだ。
演技なんかじゃなく、あれは本気の目だ。
でも、その半分狂気に思える彼の言葉も、嬉しいなんて思えるのだから私も狂っているかもしれない。
「就職おめでとう、なんていってるけど。俺は就職できたってコトを祝ってるだけであって、芽を帰す気はサラサラないし」
伴喜は微笑んで、私の指にすっと、彼のポケットから出したものをはめ込んだ。
私の左手の薬指に入ったのは、微かな光もまぶしく煌き返すダイヤモンド。
私の指にぴったり納まったそれに、伴喜は満足そうに微笑んで私の顔をもう一度覗き込んだ。
「俺がアイドルを続けるために、芽は必要不可欠な要素だから、絶対に帰さない。俺の前から消えるなんて……俺と別れるなんて許さない」
私の顔はもう涙でぐしゃぐしゃになっていた。
さっきから止め処もなく涙が溢れて、止まらない。
「でも……」
私は首を横に振った。
夏、彼の事務所の社長に言われた言葉が私の頭をよぎる。
しかし
「芽。俺の留守中に社長にきついこといわれたんだろ? ちゃんと知ってるよ」
伴喜は優しく微笑んで私を覗き込んだ。
「意外なところで、学生って言うのは学校に守られてるって知ってた? 意外とね、芽の場合は大学がちゃんとした硬いところだったから学校の力が特に強い。けど卒業したら芽は普通の人だから、芽を守るための組織なんてない。事務所だって、所属のタレントの家族でもない人間を守る力はない。だから社長は芽にきついことを言わなきゃいけなかった。ごめんな」
そして優しくなだめるように私の頭を撫でる。
「今までは、芽は学生だったし中途半端な関係だから、芽を守りきれないかもしれない、そう思って遠慮した。けど、俺の家族にしてしまえば、芽を守れるから。ちゃんと守るから、そばにいて欲しい」
私は両手で口を覆ったまま肩を震わせ、彼を見つめた。
本当に、この人はとんでもない人だ。
私が幾重にも幾重にも重ねたすべての殻を破り捨てる。
「もっと太陽の下で手を繋ごう? もっと互いの世界に入り込もう? 俺は芽を犠牲にした日々は望んでない。そんなのは幸せじゃないから。ちゃんと俺が幸せに笑えるよう、芽にそばにいて欲しいんだ」
伴喜の言葉は私の固く閉ざしていた扉をすべて開け放ってくれていた。
明るい日差しへとその手を差し伸べてくれていた。
「芽」
懇願するような伴喜の声に誘われて、私は伴喜の首に腕を回していた。
「伴喜、伴喜」
何度も彼の名前を呼んで抱きしめる。
「芽」
促されるように名を呼ばれ私が顔を上げるとしっとりと口付けを重ねた。
甘くやわらかく唇を咥内を食まれて、背がぞくぞくっとのけぞった。吐息が漏れるほどしっとりと唇を重ねて、また名残を惜しむように唇を重ねる。
彼の口付けはこれ以上もない幸せを私にくれた。
「これからも俺は芸能界に身をおく。きっとそのことで芽に辛い思いをさせると思う。けど、それ以上に幸せをあげたい。俺も芽と一緒に幸せになりたい」
私は伴喜の言葉に何度も頷いた。
胸に溢れる言葉を伝えたいのに言葉にならなくて、代わりに彼に強く抱きついて頷いた。
伴喜の手が私の肩を落ちつかせるようにゆっくりと撫でて頬に額に口付けをくれる。
「芽」
ようやく私の呼吸が落ちついた頃に、伴喜は改めて私の顔を覗き込んだ。
「芽、俺と結婚してください」
改めて言われたプロポーズに私は小さく噴出した。
さっきまで散々愛の言葉を言ってくれていたのに、こういうところは堅いというか、律儀な人だった。
だから私も頷くのではなく、自分の言葉でちゃんと返事をしなくちゃいけない。
「はい。喜んで」
私は頬に流れる涙を指で拭いながら頷いた。
するとそこにはとても綺麗な、本当に綺麗な伴喜の笑顔があった。
安堵したような、朗らかな笑顔。
でも、その頬にポロリと光るものがあって、私は目を丸めた。
「伴喜」
私が彼の頬に手を伸ばすと、彼は恥ずかしそうに顔を背けた。
「見るなって。うわ、やべぇ」
伴喜の声がかすれていた。
私が辛くて怖かったように、きっと彼も怖かったのだろう。
私はぎゅっと彼を抱きしめた。
愛しくて、嬉しくて、そしてとても幸せだった。
「いっぱい、傷つけたね。ごめん」
私は彼の耳元に謝罪した。彼がくすっと笑う。
「俺も芽を一杯傷つけたからおあいこだ」
優しい伴喜の言葉に私もくすっと笑った。
これからのことを考えると不安で、やっぱり怖い。
けど。
「芽、愛してる」
伴喜が私の顔に触れながら囁いた。
「私も、伴喜を愛してる」
私も彼の頬を撫でながら頷いた。
彼がいるから。
彼が私といて幸せであるのなら。
彼がファンに見せる笑顔が、私といることで作られるのであれば、私は頑張れる。
テレビのモニタを通すより、私ではない誰かの意思が通ったレンズで彼を見るより、私は私自身のレンズで彼を見たい。
私たちはもう一度口付けを交わした。
「今は絶対不味いって」
私はぶんぶんと頭を横に振った。
散々泣いてしまったから、頭だってまだ少し痛い。
「大丈夫大丈夫。可愛いって」
すっかり崩れてしまったメイクは、いましがた伴喜が直してくれた。
意外なことに伴喜もメイクが上手で、私はびっくりしてしまった。
初めて伴喜にメイクしてもらいながら、真剣に見つめている彼の目がすごく格好よくて、どきどきした。
なんだか、キスをしたりもっとそれ以上のことだって一杯してたけど……そういうのよりもっとドキドキして緊張してしまう。
そんなふうに再び伴喜の手で綺麗にしてもらったけど、化粧が仕上がった頃には伴喜が急に帰ると言い出して焦った。
「え、でも。外は……」
今頃どうなっているのだろう?
私が背中を引かせると、伴喜の腕が背中に回った。
「一緒に堂々と手を繋いで帰ろう。大丈夫だから」
せかす様に私に微笑む。
何で彼がそんなに焦っているのかわからなくて、どうしたの? って私が問うと、彼は困ったように微笑んだ。
「芽を抱きたくて仕方ないんだ。ここでおっぱじめても良いなら、遠慮なしに剥くけど?」
その言葉に私もどきりとして慌てて自分の荷物をとった。
私も彼に触れたい。
だから触れ合うのに文句はないけれど、ここでって言うのは大いに問題ありだ。
「早く帰ろう」
私が振り返ると、伴喜は笑って私の手をとった。しっかりと手と手、指と指を絡める。
案の定、外は人だかりになっていた。
TV局のカメラまで待機していた。
でも。
「大丈夫だよ、芽」
耳元で伴喜が微笑んでくれる。とても嬉しそうに。とても幸せそうに。
私はその笑顔に励まされて彼に寄り添った。
妬みや非難の声はもちろんあった。
しかしそれ以上に祝福してくれる声も多かった。
『悲しいけど、悔しいけれど、TOMOKIが幸せそうだから祝福します』
そう言ってくれる人がたくさんいたから。
私はこれからも彼と生きて行こう
そう決めた。
(END)