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貞操逆転世界で、僕は希少な男子らしい  作者: きなこもち
第1章

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8/50

「僕は希少な男子らしい」

 


 放課後の教室は、昼とは違うざわめき方をしていた。


 部活へ向かう生徒が慌ただしく席を立ち、帰る生徒は机の中をひっくり返すように教科書を鞄へ詰め込む。

 椅子の脚が床を引っかく音、友達同士の短い約束、誰かを待つようにわざと動きを遅くする気配。

 毎日同じように繰り返される、見慣れた放課後の光景だ。


 その中で僕だけが、少しだけ違う速度で動いていた。


 今日はどこにも寄る気はなかった。

 誰かと話す気力もない。

 まっすぐ帰って、できれば一人で静かになりたかった。


 教科書を二冊、ノートを一冊、筆箱を鞄に入れる。

 そのひとつひとつの動きが妙に遅いのは、疲れているせいか、それとも考えたくないことを考えているせいか、自分でもよく分からない。


「東條」


 担任に呼ばれて、手が止まった。


 顔を上げる。

 担任はいつも通りの顔だった。

 けれど、こういう“いつも通り”が一番油断できないということを、最近の僕は少し覚え始めていた。


「…はい」


「支援棟の会議室B。今から」


 短い。

 それだけで十分だった。


 周囲に聞かれたくないのだろう。

 僕も何も聞き返さず、「分かりました」とだけ返した。


 担任はそれ以上何も言わずに離れていく。

 それを見送ったあと、僕は小さく息を吐いた。


 またか、と思う。

 でも、その“また”の中身が少しずつ変わってきているのも感じていた。


 前は、ただ面倒だった。

 最近は、それに加えて少し怖い。

 何を言われるのかより、何を知っていると言われるのかが怖かった。


 ◇


 支援棟の廊下は、夕方になると本当に静かだ。


 教室棟のざわめきが遠くなったぶん、足音やドアの開閉音が妙にくっきり聞こえる。

 窓の外では運動部の掛け声がかすかに響いていたけれど、それもこの建物の中まで熱を持ち込んではこない。


 会議室Bの前で一度立ち止まる。


 プレートの文字を見ても、そこから何が待っているのかは分からない。

 でも、軽い話ではないだろうということだけは、ここ数日の経験でよく分かっていた。


 ノックをする。


「どうぞ」


 中から聞こえたのは、鷹宮ひとえの声だった。


 僕は少しだけ肩を固くして、ドアを開けた。


 室内には二人いた。


 一人は鷹宮ひとえ。

 もう一人は見慣れない女性だった。


 机を挟んで向かい側に並ぶように座っている。

 ひとえが現場の空気をまとっている人だとしたら、その隣の女性はもっと書類と規則の匂いがする人だった。

 黒髪をきっちりまとめ、皺ひとつない濃紺のスーツを着ている。

 姿勢がまっすぐで、目元には冷たさというよりも、余計な感情を混ぜない強さがあった。


「座ってください、東條くん」


 ひとえに言われ、僕は机のこちら側の椅子に腰を下ろす。


 会議室は広くない。

 なのに、机の上には何も置かれていないせいか、やけに空白が目立った。

 書類の山も、飲み物も、やわらかいクッションもない。

 ここは、誰かを休ませるための場所じゃない。

 話を“決める”ための場所だと、一目で分かる。


 見知らぬ女性が軽く会釈した。


「初めまして。学園連携部・評価調整室の霧島紗世です」


「…東條凪です」


「把握しています」


 その言い方が、最近いちばん嫌いな種類の返答だった。

 名前だけじゃない。たぶん、もっといろいろ“把握”されている。


 霧島さんは机上の端末に指を置き、感情の凹凸をほとんど乗せずに言った。


「今日は確認と説明を行います」


 確認と説明。

 曖昧さのない言い方だ。


「東條くん自身が、自分の現状をどこまで理解しているか。そのうえで、現時点で共有すべき情報を伝えます」


 僕は少しだけ眉を寄せた。


「現状、って」


「あなたの立場です」


 霧島さんが即答する。


 立場。

 その単語に、胸の奥が小さくざわついた。


「…男が少ないこととか」


 とりあえず、今の自分が分かっている範囲を口にする。


「それで、目立ちやすいこととか。見られやすいこととか」


「それだけですか」


 間髪入れずに返される。


 僕は少しだけ口をつぐんだ。

 “それだけですか”と聞き返される時点で、向こうが用意している答えはもっと重いのだと分かる。


「…他にもあるなら、聞きます」


 そう言うと、霧島さんは小さく頷いた。


「では、順に説明します」


 端末の画面が起動する。

 淡い光が机の上を照らした。


 最初に映ったのは、男女比や出生率などの一般統計だった。

 そこまでは知っている。

 この世界で男性が極端に少ないことも、保護対象として扱われていることも、今さら説明されるまでもない。


 問題はその次だった。


 画面が切り替わる。


 表示された表の見出しを見て、僕は思わず眉をひそめた。


 **希少男性評価区分**


 項目が縦に並んでいる。

 年齢区分、健康安定値、対人反応傾向、学習適性、社会適応性、将来保護優先度。


 数値と、アルファベットの区分。


「…何ですか、これ」


 口に出した声が、自分でも少し硬かった。


「登録男性に対する基礎評価です」


 霧島さんは淡々と答える。


「学齢期以降は、継続的に更新されます」


「更新…」


「はい」


 まるで成績表か何かのような言い方だった。


 でもこれは、学校のテスト結果じゃない。

 もっと、僕そのものを別の物差しで測っている表だ。


 霧島さんが次の画面へ切り替える。

 今度は、個別データ。


 画面の左上に、自分の名前がはっきり表示されていた。


 **東條 凪**


 見慣れたはずの自分の名前が、急に他人のものみたいに見える。


「…僕の、ですか」


「はい」


 霧島さんは迷いなく頷く。


「現時点の登録評価です」


 僕は画面から目を離せなかった。


 いくつもの数値。

 いくつもの区分。

 評価欄の一つ一つが、僕の知らないところで勝手に決められている。


 視線が止まったのは、**保護優先度A** という表示だった。


「A…」


「高位区分です」


 霧島さんが説明する。


「同年代の登録男性の中でも、比較的高い評価に分類されます」


「比較的、って…」


「かなり高い方です」


 そこだけ言い直した。


 その率直さに、変な意味で息が詰まる。


「どういう基準で」


「複数要素の総合です。容姿印象、身体安定性、対人反応、学習傾向、将来的な社会配置適性」


 言葉がどれも綺麗すぎて、一瞬何を言われているのか分からなくなる。

 でも要するに、僕は“価値の高い男”として扱われているということらしい。


 その理解が追いついた瞬間、胸の奥が冷たくなった。


「…そんなの」


 言葉がうまく続かない。


「そんなふうに見られてるんですか、僕」


「はい」


 あまりにもすんなり肯定される。


「東條くんは、ただ男性であるだけではなく、“価値の高い男性”として見られています」


 価値の高い男性。


 それは、きっと誰かにとっては喜ぶべき言葉なんだろう。

 少なくとも、僕が前の世界でずっと欲しがっていた“選ばれる側”に近い響きはある。


 でも、今は少しも嬉しくなかった。


 価値。

 それはつまり、失いたくないものとして見られているということだ。

 大事だからじゃない。貴重だから。

 好きだからじゃない。減らしてはいけないから。


 そんなふうに整理される自分を、まだうまく受け止められない。


「東條くん」


 今度はひとえが口を開いた。


「最近、自分に向けられる視線の強さを感じたことはありますか」


「…あります」


 それは否定できない。

 むしろ、嫌というほど感じている。


「それは、個人的好意だけが理由ではありません」


「……」


「あなたのような区分の男子は、公的にも私的にも注目されやすい」


 ひとえはそう言ってから、少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。


「つまり、“珍しいから気になる”では済まない位置にいるということです」


 珍しいから気になる。

 そこまでは、たぶん今までの僕も分かっていた。

 でも、“それでは済まない位置”と言われると、急に現実味が増す。


 霧島さんが再び画面を切り替えた。


 今度はグラフだった。


 日付ごとの線。

 棒グラフ。

 接触件数。

 間接照会。

 校内保護観測値。


 知らない単語が並ぶ。


「…これ、何ですか」


「直近三週間の推移です」


「推移?」


「東條くんに関する接触・関心・照会の総合変化です」


 僕は思わず顔をしかめる。


「照会って、何を」


「学内連携窓口や、支援経由での確認です」


「確認?」


「東條くんが現在どういう状態か、どう接するべきか、接触は可能か、など」


 言われた意味を理解するのに少し時間がかかった。


 どう接するべきか。

 接触は可能か。


 つまり、僕の周りではもう、そういう相談が動いているということだ。


 言葉にならない気持ち悪さが、背中のあたりを這う。


 自分の知らないところで、自分への近づき方が相談されている。

 しかも、それが“普通”のこととして説明されている。


「この上昇は」


 霧島さんがグラフの一部を示す。


「最近の接触増加に対応しています」


 最近。

 それが何を指すかはすぐに分かった。


 佐伯さん。

 朝の件。

 昼休みのやりとり。

 小さな好意の往復。

 教室の空気の変化。


 そういうものが、全部どこかで“記録される現象”として処理されている。


「…気持ち悪いです」


 思わずそう漏らすと、会議室の空気が一瞬だけ止まった気がした。


 でも霧島さんは表情を変えない。


「そう感じるのは自然です」


 その返答の方が、余計にきつかった。


 自然です。

 つまり、その気持ち悪さももう想定済みで、そのうえでなお制度は動いているのだ。


「東條くんは今、自分が思っている以上に見られています」


 霧島さんが続ける。


「近づく人間も、距離を測る人間も、避ける人間も含めてです」


 避ける人間。

 その言い方に、昨日や今日の教室で感じた微妙な距離を思い出す。


 近づいてくる人だけじゃない。

 巻き込まれたくないから離れる人も、やっぱり僕を見ている。


 視線の意味が一つじゃない。

 だからこそ厄介だ。


「…じゃあ、僕はどうすればいいんですか」


 出てきたのは、また同じ問いだった。


 ひとえにも聞いた。

 澪にも。

 しずくにも。

 そして今、またここで聞いている。


 霧島さんは端末を伏せ、まっすぐこちらを見る。


「まず、自分が一般的な男子学生とは違う立場にあると理解してください」


「違う立場」


「はい」


 その声は落ち着いている。

 でも、そこに曖昧さはなかった。


「東條くんは、普通の意味での“自由な男子生徒”ではありません」


 その一文は、思っていたより深く刺さった。


 自由じゃない。

 いや、完全に自由じゃないことは、薄々分かっていた。

 けれど、こんなにあっさり言葉にされると、さすがに少し笑いたくなる。


「すごいですね」


 自分でも驚くほど平たい声が出た。


「僕、今、普通に学校来て、普通に授業受けて、普通に帰ろうとしてただけなんですけど」


「そうですね」


「それでも自由じゃない?」


「はい」


 そこを濁さない。


 僕は机の下で、膝の上の手を強く握った。


「東條くんの安全保障は、個人の感覚より優先されます」


 霧島さんの言葉は、まるで最初から答えが決まっている文章みたいに迷いがない。


「それがこの社会の前提です」


「…前提」


「はい」


「前提だから従えって?」


「前提だから、まず知らなければならないという意味です」


 言い返そうとして、少しだけ言葉に詰まる。


 この人は、怒らせるような言い方をわざとしているわけではない。

 ただ、本当にその順番でしか物を言わないのだ。


 感情より先に構造。

 納得より先に制度。

 それがこの人の話し方だ。


 ひとえが、そこで静かに口を開いた。


「東條くん」


 僕は視線を向ける。


「あなたがどう感じるかは、大事です」


 少し意外だった。

 でも、次の言葉でその意外さはすぐに現実へ引き戻される。


「ただ、感じ方だけで現実は変わりません」


 結局そこへ戻る。


「あなたが普通にしているつもりでも、それが普通として処理されない立場にいる」


「……」


「だから、自覚が必要なんです」


 自覚。

 最近ずっと、その言葉ばかり聞いている気がする。


 でも今なら、少しだけ意味が違って聞こえた。


 気をつけろ、というだけじゃない。

 お前はもう、知らなかったでは済まない側へ来ている、という宣告に近い。


「…僕」


 気づけば、口が動いていた。


「そんなに立派な人間じゃないです」


 声は思ったより小さかった。


「ただ、少し女の子に好かれて、いい気になって。曖昧にして。ちゃんと切れなくて」


 言いながら、自分で嫌になる。


「そんなやつに、“価値が高い”とか言われても」


 会議室の空気がまた静かになる。


 霧島さんは少しだけ視線を落とし、それから言った。


「価値があることと、立派であることは別です」


 その返答は、ひどく残酷だった。


 人格が優れているから価値があるわけじゃない。

 未熟でも、軽くても、どうしようもなくても、社会の側が価値を見出してしまえば、それで終わりだ。


 むしろその方が、逃げ場がない。


 僕が立派じゃないなら、せめて価値もなければよかったのに。

 そんな子どもみたいな考えが、一瞬だけ浮かぶ。


 ひとえが、少しだけ声を落とした。


「東條くん。あなたがどういう人間かと、あなたに価値がついてしまうことは別問題です」


「…そんなの、余計に嫌です」


「ええ」


 ひとえは否定しなかった。


「私も、気持ちは分かります」


 その一言に、ほんの少しだけ息が詰まる。


 軽々しく言っているわけではないと分かるからこそ、そこに逃げ込みたくなる。

 でも、ひとえは逃がさない。


「ですが」


 やっぱり続く。


「現実は変わりません」


 会議室の外で、誰かの足音が通り過ぎる。

 それが遠くへ消えていくまで、僕は何も言えなかった。


 窓の外はもうほとんど夜で、ガラスには室内の光と、そこに座っている僕の顔が薄く映っていた。


 普通の高校生にしか見えない。

 少なくとも、自分ではそう思う。


 でも、この世界では違うらしい。


 男であること。

 その中でも、価値が高いと判断されること。

 それだけで、もう普通ではいられない。


 その事実が、今さら本当に重くなってくる。


「…分かりました」


 ようやく出せた言葉は、それだけだった。


 全部が分かったわけじゃない。

 納得したわけでもない。

 でも少なくとも、もう知らないふりはできないところまで来ているのだけは分かる。


 霧島さんが小さく頷いた。


「現時点では、それで十分です」


「十分…」


「はい。自覚の有無は大きいので」


 端末が閉じられる。

 会議の終わりを告げるように、机の上の光が消える。


「今日はここまでです」


 ひとえの言葉に、僕はゆっくり椅子から立ち上がった。


 足が少しだけ重い。

 でも、ここで立ち止まっていたら、何かがさらにのしかかってきそうで、早く外へ出たかった。


 ドアのところまで行ったところで、ひとえに呼び止められる。


「東條くん」


 振り返る。


「今後、あなたへの接触はさらに増える可能性があります」


「…はい」


「ですが、今日の説明を聞いたうえで同じことを繰り返すなら、それはもう“無自覚”ではなくなります」


 その言い方は静かだった。

 脅しでも、怒りでもない。

 ただの確認。

 でも、それが一番重い。


「…気をつけます」


 それしか言えなかった。


 ひとえは小さく頷くだけで、それ以上何も言わない。

 会議は本当に終わったらしい。


 僕は会議室を出た。


 廊下は静かで、窓の外の空は暗い。

 教室棟の明かりが遠くに見える。


 その場で少しだけ立ち止まって、僕は窓ガラスに映る自分を見た。


 制服姿の男子生徒。

 顔立ちは、この世界では少し恵まれている方なんだろう。

 でも、それだけだ。

 それ以上でも、それ以下でもないはずだった。


 なのに、向こうはそう見ない。


 見た目。

 安定性。

 将来性。

 保護優先度。


 いくつもの言葉と数字で、僕はすでにどこかに並べられている。


「…僕は希少、か」


 誰もいない廊下で、小さく呟く。


 口に出してみると、ひどく他人事みたいだった。

 でも他人事じゃない。

 今日見せられた数値も区分も、全部僕の名前の横にあった。


 それを背負って生きろと言われている。

 しかも、自分で自覚したうえで。


 笑いたくなる。

 でも、笑えない。


 たぶん今日、ようやくはっきりした。


 僕はただ“少しモテる”だけじゃない。

 この世界の側から、価値をつけられている。

 それは武器にもなるし、守られる理由にもなる。

 でも同時に、簡単に人を傷つける重さにもなる。


 僕はまだ、自分が何者かもよく分かっていないのに。


 窓から目を離し、廊下を歩き出す。


 足音が静かに響く。

 その音を聞きながら、僕はぼんやり思った。


 たぶん、もう前みたいには戻れない。


 知らなかった頃の僕には。

 ただ好かれているだけだと思っていた頃の僕には。

 少し優しくして、少し気持ちよくなって、それで済むと思っていた頃の僕には。


 今日で、そこには戻れなくなった。


 それが良かったのか悪かったのかは、まだ分からない。


 ただ一つだけ確かなのは、ここから先はもう、

 “知らなかった”では済まないということだった。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

もし作品を気に入っていただけましたら、

下部の☆☆☆☆☆より評価をいただけると大変励みになります。


★★★★★を入れていただけると作者のやる気が大幅に上がります(^^)/


また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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