第33話 小さな再開
早朝、雨が降りながらも森の中はなかなか濡れない。木々の多さと葉の多さのおかげで天然の屋根ができているからだ。ただそれでも大地は少しずつ濡れていく。
背中にルーナを乗せた紫苑はそんな森のジメジメさもあるが、夏の暑さはこの雨で少しだけ緩和されていた。
そんな2人が森の開けた場所へと向かうと美しい幻想のような場所に出た。木々は生えておらず岩や苔が多い。滝から落ちる水しぶきが紫苑立ちにも雨と別の方向から当たる。
「うわあ。すごく綺麗」
雨が降っていてもその自然の美しさは伝わってくる。その光景の中の一つ一つから全てが何百年もかけて作られてきたんだろうとわかるほどだ。
「あれ?でもここ行き止まりだよね。道間違えちゃった?シオンさん」
「いや。間違えてはおらん。もうすぐつく。しっかり捕まっておけ」
そういうと紫苑は滝に近づくと地を蹴って飛び上がった。ふわりという感覚をルーナは感じる。
そのまま紫苑は宙をトントンと蹴りながら崖の上まで一瞬で登ってしまった。
「あっという間だったね。前も使ってたけどどうやってるの?」
「空歩のことか?原理は難しくない。俺の持つ霊力を使って宙に足場を作っているだけだ」
空歩とは霊力を使った特別な歩法だ。空中で足から霊力を出しながら固定して足場を作る。霊力も本来なら白い色をしているが薄く作っているので見えにくい。なので一目見ただけなら浮いているように見えたりもするがどちらかと言えば立っているという方が正しい。それにただ宙に浮くだけよりも自身の身体能力を使えるので加速が速く、機動力が高くなる。そういう強みがある。この他にも仙気が同じ歩法を使える。
崖からそのまま森の中へと再び入ると紫苑達はそのまま奥へと進む。そこから前よりもずっと生い茂る森を感じながら2人はとうとう木の巨大な門へとたどり着いた。
2人が門に近づくと見張りのエルフが声をかけた。最初は警戒していたものの紫苑の顔を見た途端すぐに門を開いた。
巨大な門がひとりでに動く姿に唖然としつつもそのまま門の中へと入った。
入れば何人かのエルフが出迎えてくれた。
「お久しぶりです。シオンさん」
「ああ、久しぶりだな。息災で何よりだ。ところでなのだがこの地に人の子は来たか?金髪のものと桃色の髪色をしておるものたちだが」
「ええ、2日ほど前でしょうか。そのぐらいにこの地へと」
「そうか。しかと着いておったか。なら安心だ。今はどこにおる?」
エルフ達と親しそうに話す紫苑にポカンとしながら前に会ったことがあるという話をしていたのを思い出す。それにしても何か敬われているように感じる。1度あった程度でここまでなるのか不思議に思ってしまうのは仕方が無い。
「ああ、やはりあの方たちは貴方の知り合いだったのですね。1人は今はここにおられます。もう1人の方は「ルーナ様!」…」
エルフの言葉を遮って大声を出す女子が1人ここに向かって走ってきた。桃色の髪をなびかせながら鎧ではなく少しラフな格好をしたクリスが駆け寄ってくる。
「あっクリス!久しぶりだね!」
クリスはそのまま近寄るとルーナを抱きしめた。
「お久ぶりです。ではなくてルーナ様。本当に心配したんですよ?貴方が無事でよかった。…申し訳ありません。護衛騎士でありながらあなたを護れず挙句の果てに見捨てるような行動をとってしまって」
ルーナを抱きしめながら申し訳なさそうに目を濡らす。それに対して何処か慈愛を感じる目でルーナは見つめた。
「ううん。そんなことないよ。あなたはテレスを守ってくれた。それだけで十分だよ。私なんかよりもテレスの方が大事なんだから。クリスはクリスの役目を全うしただけ。そうでしょ?」
「そうですが…ルーナ様。ご自身をなんかなどと仰らないでください。私にとってはテレス様もルーナ様も大事なお方ですから。」
「うん。そうだね!ありがとう」
いつも通りのルーナに対して何処か申し訳なさそうな態度のクリスはそのままおしゃべりを続ける。そんな時に思い出した!と言ってルーナはクリスに問うた。
「そういえばテレスはどこにいるの?早く会いたいよ」
「…申し上げにくいのですが、今はテレス様はここにいらっしゃらないです」
「何かあったの?」
「テレス様ご自身には何も。ただ八重香殿が…」
「やはり八重香になにかあったのか?」
ルーナが口を開くよりも速く紫苑が質問をした。
「ええ。2日ほど前に突然…」
「どこにおる?今すぐその場所へ案内を頼みたい」
言いにくそうにしているクリスに紫苑は急かすように言葉を進める。必要なことを聞く前に言葉を重ねてしまっている。
「分かりました。案内します。こちらに」
クリスはそのまま黙ったまま歩き出した。そのままそこにいたエルフに挨拶だけしてクリスの後を追う。
紫苑はいつも通りの薄い顔の中に何処か焦りを含ませていた。
集落の中を案内されてそのままひとつの家の前へと案内された。そこは厳重に封鎖されていて簡単に人が入れないようにされている。
コンコンとクリスが戸を叩くと中から女性の返事があり、そのまま少し待つと扉は開かれた。
扉の隙間からひょっこりと金髪の女エルフが顔を出す。
「あら?クリスさんお見舞い?そちらの方たちは?」
「こちらがあの方の主人に当たる方です。そしてこの方は私の主の1人です」
「そう。あなたが……」
その瞬間キッと紫苑の方を睨んだ。何か侮蔑を孕んだその様子にルーナは困惑してオロオロするも紫苑は思い浮かぶものがあったのかその目を受け入れていた。
突如金髪の女性が戸を強く開け放つとそのまま紫苑に近づきその頬を引っ叩いた。
「お、落ち着いて」
「良い。このままで」
クリスが落ち着かせようと前に出ようとしたところ、紫苑がそれを手で静止した。
「最っ低!契約中だからってあんな奴隷みたいな契約しているなんてあの子が可哀想よ!ずっと苦しんでて意識も戻らない。身体中火傷だらけ!何をやっても効果がない!進行を遅らせるしかできない。…自分の怪我ぐらい自分でどうにかすればいいのに全部あの子に背負わせるなんて!しかものこのこ顔を見せに来るなんて。あなたをあの子に合わせる訳には行かないわ。とっとと向こうに行って!」
数日みていてくれたからだろうか。心優しいエルフがここまで疲労しているのは。彼女の言葉から八重香の様子が頭によぎる。ずっと苦しんでいたのだろう。八重香も彼女も。何をしても治らない彼女を精一杯助けようとしてくれたのだろう。エルフは人と感覚が違う。全ての自然が自分達と共にあると考える。必要ない命は絶対に狩らない。それが彼ら心優しい種族だから。獣だろうとその優しさの対象になる。だからこそ彼女はここまで傷ついたのかもしれない。
言い訳なら言える。けれどそんなものを言う気は紫苑にはなかった。
「言い訳をする気は無い」
「そんなもの聞く価値もないわ」
何も聞く気がないという彼女の態度に紫苑は地に膝をつき頭を下げた。今まで見ていてくれたのは彼女だ。文句など言えるはずもなかった。
「…それでも俺はあやつの主だ。それは変わらぬ。だから頼む。俺に八重香と会わしてくれぬか?その資格が俺にないのかもしれぬ。そなたがあやつを大事にしてくれていたことは分かる。ただ知らぬまにあやつを傷つけたのは俺だ。だが、我があ…友だから。傷つけたまま何もせず終わる訳には行かぬのだ」
「それは貴方の事情でしょう。それにあんなことしておいて友達なんて」
聞く耳なんて持たないと言う彼女の姿勢に横から見かねたクリスが仲裁を図る。
「ラティス殿。彼のお願いを聞いて貰えないでしょうか?彼は見ず知らずの私達を助けてくれるぐらい優しい方です。何か行き違いがあったのかもしれない。だからどうかお願いできないでしょうか?」
クリスの言葉を聞き少し考える素振りを見せる。すると大きなため息を吐いた。
「…ルクスの心を溶かした貴方が言うのならいいでしょう。ですが何かしよう物ならわかってますね?」
「ああ、八重香を傷つけるような気は無い。…かたじけない」
「礼を言うなら彼女に。彼女が何も言わなければ追い返してたと思うから。さあ入って。ああ、貴方たちはここで待っててね」
そう言うと彼女、ラティスは紫苑を館へと出迎えた。怒りを我慢しているのが伺える。言葉は優しいが口調は優しくは無い。
紫苑も2人に後でと口にするとそのまま中へと入っていった。
奥に進めばある1箇所の扉に複雑な術式が書かれていて何かを封印していることが分かる。
ラティスがその扉を開く。すると中心に酷く爛れた肌をしている黒い狐が1匹。前に見た美しい毛並みは見る影もない。
「八重香…お主やはり勝手に」
数日前、炎の卵を持ってから火傷も炎も突然消えた時の違和感。それを目の前の八重香をみて紫苑は確信した。彼女が身代わりになっていたんだと。ずっと抱いていた不安はこのことだったんだと理解もした。
紫苑は自身と八重香を繋ぐ契約式に勝手に彼女が書き換えていたと思考を巡らせる。普通なら契約の条件などは主となる人が決める。下となるものは変えることができない。だがそれは変えられていた。知らぬ間に。普通ならできない。だが八重香だからこそ出来たのだと思わせる。この狐だからこそ。
紫苑はゆっくりと八重香に近づき手を伸ばす。
「貴方変なことは…」
ラティスに注意されるも聞いていないようにそのまま前に進む。
「お主はうつけものだ。本当に。こんな俺のためにそのようなことをするなど。俺に気づかれないようにするなど。昔からそうだなお主は。いつも俺のためと言って無茶をする。俺が心配しないとでも思うておるのか?」
紫苑が八重香に触れる。ジューと紫苑の肉に火傷が移り、炎が燃える。
「あなた何をしているの!早く離れて!」
紫苑は言うことを聞く気がない。元々そのつもりだったから。
紫苑に火傷ができると同時に八重香の火傷が消えていく。代わりに反比例のように彼の左腕は火傷でただれていく。
八重香の火傷から強い炎が現れ、渦巻きのように暴れ始める。
「そうにお主の主は頼りないか?」
少しだけ悲しそうに誰にも聞かれない大きさで呟く。そして八重香から出る炎を全て左腕に取り込む。全てが取り込まれたあと紫苑の腕は見るも耐えないほどに酷いものになっていた。八重香とは違い腕だけでとどまっているがその分酷い火傷になっている。
そもそもこれは呪いに近いもの。あんな卵が発するには強すぎるほどに。それで油断して触れて呪いを受けて危うい状況に陥った。八重香も突然紫苑から送られてきたダメージに抵抗すら出来ずにやられてしまった。しかも力を落としていたのも原因だろう。
だが、紫苑自身八重香のおかげでここまで来れたのは事実。あのままでは今の八重香と同じことになっていたことは簡単に想像がつく。逆を言えば準備した状態ならある程度どうにかなる。それが今の紫苑腕に繋がる。左腕だけに呪いを封じ込めている状態だ。
「嘘、あんなに強い呪いを自身の体に封じ込めるなんて…」
「当分腕は使えんな」
そう口にするとビクッと八重香の瞳が開かれる。
「おはよう。八重香」
『おはようございます。主様。……お怒りにならはった?うちが勝手なことして』
「ああ、少しだけだがな。さすがの俺も肝が冷えたぞ。また俺に大事なものを失わせる気か?」
『ふふ、大事なんて嬉しいこと言うてくれはるんね。でもうち後悔はしてへんのよ。だって主様守れたんやから。まあ今は違うみたいやけど』
八重香の目は紫苑の腕に向けられる。痛々しいそれを見て悲しそうにする
「そのような顔をするでない。俺はお主に守られた。それだけは事実だ。だがもうするな。」
『主様がもっと気をつけてるれるんやったら簡単なんやけどなあ』
八重香は微笑んで意地悪そうに言う。それを紫苑がやれやれと言った様子で少しだけ微笑む。
「俺の性分はわかっておろう?無理だ」
『そう言うてるとまたやるよ?うちは。それにしても主様の笑顔いつぶりやろ。もっと柔らかくわろうてーな』
「調子に乗るな。阿呆。……さあ休め。後のことはおれがやっておこう」
紫苑が狐姿の八重香の頭を撫でると安心したようにまた眠りについた。
「私は一体何を見せられてたの?」
八重香が瞼を閉じたあと1人蚊帳の外であったラティスがそうぽつりとこぼした。




