プロローグ
暗い意識の底から目覚めた時、俺——佐藤翔馬を包んでいたのは自室の畳の匂いではなく、血と鉄の匂い、そして刺さるような冷気だった。
重い瞼を開けると、視界に飛び込んできたのは巨大な玉座と、鏡に映る漆黒の角を生やした男の姿。巨大地震で妹の部屋の本棚が倒れてきた記憶が最後だ。俺は死んで、転生したらしい。
それも、妹が新刊のたびに押し付けてきたあの乙女小説『悪役令嬢は冷酷な皇太子に屈しない』の世界に。
玉座の脇に置かれた人族の新聞を広げると、一面には「公爵令嬢、国家叛逆の罪で地下牢へ投獄」の大見出しが躍っていた。俺はこの小説の展開を、妹の長時間のマシンガントークのおかげで嫌というほど知っている。
学園時代、皇太子と男爵令嬢は様々なイベントや襲い来る魔物を共に倒しながら仲を深めていった。男爵令嬢は彼の「地位」ではなく「一人の男」として純粋に寄り添い、皇太子はそんな彼女にぞっこんになったのだ。
一方、婚約者である公爵令嬢は、自分の公務や仕事を部下や自分だけに丸投げしている皇太子に対し、「皇太子としての自覚が足りない」と咎め続けた。さらに男爵令嬢に対しても、二人きりの場面で「あなたの存在は皇太子の邪魔になっている」「貴族としてのマナーが身についていない」と厳しく注意していた。しかし男爵令嬢はそれを皇太子に「公爵令嬢にいじめられた」と被害者ぶって密告。その結果、完全に男爵令嬢の言葉を鵜呑みにした皇太子に疎まれ、社交界の舞踏会で一方的に婚約破棄された挙げ句、身に覚えのない罪を着せられて牢屋にぶち込まれたという理不尽なストーリーだ。
妹は口を開けば文句ばかり言っていたが、新刊が出るたび真っ先に買ってくるほど、この小説を愛読していた。だからこそ、設定の不遇さには人一倍熱が入っていたのだ。
『お兄ちゃん聞いてよ! 目次に“強大な力を持つ魔王が魔族領を治めている”ってあるのに、魔王の出番は一切ないんだよ!? 乙女小説の魔王なんて絶対イケメンに決まってるのに、勿体なさすぎでしょ!』
そう、俺は設定資料の賑やかしでしかない出番ゼロの魔王に転生してしまったのだ。本来ならストーリーに関与せず、優雅に隠居生活を送るはずだった。
「魔王様! 人族の王都より報告です! 地下牢に投獄されていた公爵令嬢が脱獄し、追手を振り切って我が魔族領へと逃げ込んでまいりました!」
跪く側近の不意の報告に、俺は思わず玉座で目を見開いた。
おいおい、話が違うぞ。原作での最期は、彼女が最後まで理不尽に逆らって処刑されるか、闇ルートで奴隷として売られるかのどちらかのはずだ。魔王城を目指して逃げてくるなんて展開、妹のあらすじネタバレには一言もなかった。
「……で、その公爵令嬢は今どこにる?」
「はっ! 彼女はボロボロになりながらも当城まで辿り着き、『魔王陛下に直接謁見したい』一歩も引かずに門前で強く申し出ております!」
冷たく湿った牢獄を自力で抜け出し、死に物狂いで魔王城までやってきたというのか。
報告を聞きながら、俺はふと妹の言葉を思い出した。
妹はよく半泣きで愚痴っていた。
『公爵令嬢ちゃん、不遇すぎるよ……誰よりも皇太子のことや、この国の未来を一番に考えて行動していただけなのに』
妹の話を何時間も聞き合わされてきた兄としては、そこまで報われない彼女の境遇を知っていて見捨てるのは寝覚めが悪い。それに、どうせ出番の決まっていない脇役の魔王なら、俺が好き勝手に原作改変したって文句はあるまい。
俺は玉座の背もたれから身を起こし、口元をわずかに吊り上げた。
「面白い。原作と違う道を歩み、ここまでたどり着いた覚悟と理由、じっくり聞かせてもらおうか」
……あいつの名前、エリザベスだっけか。いや違うな、エレノア・スカーレット……だったか。妹に何度も間違えて怒られた名前を思い出しながら、俺は謁見の間の扉を見すえた。
設定資料の一行目にしか存在しなかった最凶の魔王が今、妹の推し(悪役令嬢)を迎え入れ、原作のシナリオを粉砕するために動き出す。物語の結末は、俺が好きに書き換えてやる。
見てくれてありがとね!後悔させないよう頑張るから(^-^)v次もみてほしい。




