第40話 病み上がりの「捕食」
「……ん……っ」
重い瞼を持ち上げると、窓から差し込む朝日が目に沁みた。
火を吹くようだった喉の痛みも、霧がかかったような頭の重さも、嘘のように消えている。
……それよりも先に、私は自分の指先に伝わる「感触」に息を呑んだ。
私の手を、壊れ物を扱うように両手で包み込み、そのまま寝台の脇で力尽きたように眠っているパツパツの巨躯。
見れば、水差しは空になり、絞った後のタオルが何枚も置かれている。
(……ずっと、そばにいてくれたのね)
いつもは「筋肉だるま」だの「語彙力不足」だのと罵倒しているけれど、今だけは胸の奥が熱いお湯で満たされたように温かかった。
この狼王様は、私が苦しんでいる間、一睡もせずに看病してくれたのだ。
「陛下……」
愛おしさがこみ上げ、その寝顔を撫でようと手を伸ばした瞬間、彼が弾かれたように目を覚ました。
「……ナオミ!? 下がったか? 苦しくないか!?」
血走った目で私を覗き込む彼を見て、私は思わず、病み上がりだというのに相好を崩した。
「……ええ。陛下のおかげで、すっかり元気です。ありがとうございます……本当に、嬉しい」
素直な感謝を口にすると、レオンは救われたような顔をして、堰を切ったように自分の過去を話し始めた。
亡くなった妹、ライアさんの話。
その壮絶な最期と、彼女が今の私によく似ていたこと……。
(え……?)
温かかった胸の奥が、一瞬で氷水を浴びせられたように冷えていくのを感じた。
彼が私に見せていたあの必死な献身、あの熱い眼差し。……それは、私を見ていたのではなく、死んだ妹の残像を追っていただけなの?
「……つまり、陛下」
私の声から体温が消えた。
「妹のライアさんに、たまたま私が似ていたから、私に固執したんですか?」
「ナオミ、それは──」
「つまり、私じゃなくて他の誰かでもよかった。ライアさんに似てさえいれば、誰でもよかったんですよね?」
怒りと、それ以上の惨めさがこみ上げて、視界が滲む。
「……がっかりです。感謝して損をしました。それって、あまりに軽薄じゃないですか!」
私は彼を突き放そうとした。けれど、次の瞬間──
「違うっ!!」
咆哮に近い叫びと共に、私の肩は寝台に押し付けられていた。
「違うぞ、ナオミ。……お前は、俺が妹の影を追うための『身代わり』などではない!」
パツパツに鍛え上げられた胸板が視界を埋め、彼の泣き出しそうなほど切実な瞳が私を射抜いた。
「むしろ、逆だ。俺は、お前に出会って初めて『妹を救えなかった臆病な自分』を許せたんだ。……俺を叱り飛ばし、無知を笑い、力強く手を引いてくれる……。あの日失った『光』を、お前は俺に突きつけてくれた」
鼓動が、壊れた時計のように激しく打ち鳴らされる。
「……妹に似ていたからじゃない。……俺が、お前なしでは息もできないほど、お前に狂わされているからだ。他の誰でもいい? ……笑わせるな。俺をここまでボロボロに調教して、いまさら他の女のところへ行けとでも言うのか!」
「……っ……」
ナオミ、お前一人だけだ。
そう言ったレオンの瞳に宿る、狂おしいほどの独占欲。
……ああ、狡いわ。
「軽薄」だなんて怒った自分が馬鹿らしくなるほど、この男の愛は……深くて、重くて、澱んでいる。
「……看病の礼をさせろ。一晩中、お前の熱にあてられて、俺もおかしくなりそうだったんだ」
「待っ……陛下……っ!」
唇を塞がれる直前、私は悟った。
教育係として手懐けていたはずの狼は、とっくに私を飲み込む準備を終えていたのだと。
貪るような接吻。逃がさないとばかりに絡みつく腕。
病み上がりの体に、彼の強引で、けれどどうしようもなく愛おしい熱が刻み込まれていく。
……本当、この王様は。
私の体温を吸い取るどころか、一生分の熱を私に押し付けるつもりなのね。
(つづく)
【次回予告】
第41話:隣国の「光」なる王子
病み上がりのナオミの前に現れたのは、隣国の第三王子・アルフレッド。
同じ人間、溢れる知性に紳士的な気遣い、そしてナオミの仕事を完璧にサポートする圧倒的な「スパダリ」力!
パツパツで語彙力のない狼王レオン様に、かつてない強敵が立ちはだかる。
ナオミさん、第ピンチ!
「野生の愛か、人間の正解か。……漢気姐さんの心はどちらに揺れる!?」
(お楽しみに)




