小さな砂の王国よ、永遠なれ!
従業員用の出口を出ると、外は変わらない寒さであった。深緑のダウン越しでも伝わる冷気のせいでサトシの足は自然と速足となる。少しでも早く帰ろうと出口へ向かったサトシは、芝生の上にいる人影を見つけた。
「サナエさん!」
サトシの声に、立ち尽くすサナエが振り向いた。
「あの……今日は……その」
彼女は、今までと何も変わらないはずなのに、文字通り憑ものが落ちたかのような、あるいはまるで消えていなくなりそうな姿であった。そんなサナエへ、何か声をかけてあげたいが何を言っていいのか分からない。それでも、サトシは彼女に近寄りながら、声をかける。
「もし、僕でできることなら、何でもしますので——」
「ありがとう、サトシくん」
サトシが続けようとするのをさえぎるようにサナエが答え、サトシは近寄ろうとする足を止めた。
「でも、これは私の問題だから」
「そう、ですか……」
「……ありがとう、サトシくん」
サナエは、中途半端な距離にいたサトシの前に立つと、肩掛けバッグから一冊の分厚いノートを取り出した。
「これ、私が生物園でまとめた資料。いろいろと書いてあるから、参考にして」
「えっ!?でも、それって……」
「もう、私にはいらないから」
今まで飼育で使っていたノートを譲る。それが何を意味するのか、鈍いサトシでも容易に想像できた。
「サトシくん、きっと良い飼育員になれるから。応援しているよ!」
サナエは微笑んで、広場から立ち去る。その大きく頼りない背中にサトシは大きな声で、それでもおだやかに言葉を伝える。
「また、絶対に生物園へ来てください!僕も、迎江さんも、グンディもみんなで待ってますよ!」
サナエは足を止め、彼のほうへ振り返る。その顔には初めて会った時と変わらない笑みを浮かべていたように見えた。しかし、そのままふたたび背を向け、出口の方へと去っていく。
彼女を、サトシは見えなくなるまでずっと見ていた。
——箱音サナエは、年末に合わせるように生物園を辞めた。故郷へ戻って介護に専念する、とのことであった。
***
「なるほどな。昨年末、立て続けに起きた事象の原因はここのグンディだったのか……」
年初の生物園の休憩室で、目の下に濃いクマがある獣医——土岐坂シズル——は、何やら得心したかのように答えた。
『不躾だが。君、なんでネズミのひげを生やしているんだい?』
数日前、初めて直接顔を合わせたサトシの顔を一目見るなり、彼女は驚くように言った。それまではシズルの対応はサナエがしており、サトシと顔を合わせる機会がなかったため気付かなかったらしい。聞けば、シズルもハーウィのロパカたちのように魔術的な素質があるそうで、魔法や呪いを治療することには長けているそうだ。
「ところで、前も聞いたことだが、本当にその呪いを解かなくてもよいのかい?」
「はい。特に今のところ問題があるわけではないので」
「そうか。まあ、悪さするような呪いではないし、君がそういうならそのままにしておこう」
そう言って、シズルが紙コップに入った紅茶を一呑みした。
「私も王様グンディに一声かけたいところだが、生憎、動物との会話の素質に欠けるのでな。そのうち、そういうのが得意な子を向かわせよう」
「えっ!?先生がですか?」
「そうさ。動物との意思疎通は、遺伝的あるいは相当な個人の素質がないと、いくら努力しても不可能なのだよ丑前くん」
「待って、そうしたらなんで僕が王様とやり取りできたのですか?」
「面白い質問だな。見たところ、君に魔術的な才はなさそうだから、後者の可能性はまずあるまい」
あんまりな言い方に肩を軽くすくめるサトシだが、シズルは気にすることもなく顎に手をやりながら続けた。
「君の先祖の誰かが、動物との会話術を身に付けたのだろう。もし家系図でもあるなら、読み解いてみるとよい。巫女であったり呪い師のたぐいが出てくるだろう」
「わかりました」
シズルは時計に目をやると、立ち上がった。
「すまないが、次の用事があるのでこれで失礼するよ」
「ありがとうございます。先生」
「君も、がんばりたまえ。その顔の呪いは、一種の勲章だよ。普通に生きていてつくようなものではないからな」
「なんか、呪祝同源みたいな言い方ですね」
「ん?なんだい、それは?」
首をかしげるシズルへ、サトシが軽く首を振った。
「あっいいえ。なんでも」
「まあいい。次に会った時にでも詳しく聞かせてくれ。では」
黒カバンを持ったシズルは、休憩室から出ていくと、後にはサトシだけが残された。残った飲み物を飲み干し、彼もまた立ち上がった。
***
「丑前さん、大学を辞めたのですか?」
白いコートを着たイロハが驚くように言った。今年のお年玉代わりに買ってもらったというそのコートは、少し大きくなったイロハにピッタリのサイズである。
「まあ、どのみち留年しそうだったしね」
グンディの展示ケースの前でサトシが答えた。冬休みが終わり初めての週末は、去年とは比べ物にならない程にぎわっている。サトシも、先ほどまで、子どもからの質問に受け答えしていたところであった。
「そうしたら、次はどうされるんですか?」
「まだ、計画の途中なんだけど、動物系の学校に行こうと思うんだ。もっと、飼育や生き物について深く学びたいからね」
「おっ、それは偉いな。ウシ!特に、生物園のような万年人不足な場所では!」
突然、会話に割り込んできた園長が、良く焼けた顔を破顔して言った。
「サナが急に辞めちまって、困っていたところなんだ。知識とやる気のあるやつが増えることは大歓迎だからな!」
「は、はあ……」
「なんだ、そのやる気のない返事は!来月は新しい生き物がくるってのによ」
「はあ!?それ聞いていないですよ!」
「しぃ!まだ公表前なんだぞ」
思わず声が大きくなったサトシへ、園長が指を自身の口に当てて注意するように言った。
「まだ、秘密なんだからもう少しトーンを下げろ」
「すいません。で、どんな動物が来るんですか?」
「イロハちゃんがいるけど、まあいいか。グンディの縁で、『世界一幸せな生き物』を彩国県の動物園から譲り受けることになったんだぜ!」
自慢気に話す園長の声に割り込むように、サトシたちの脳裏に王様の声が響いた。
『あの、お調子者が来るのか。また、面倒くさくなる』
『知っていたんですか?』
『ふんっ!あやつらとは腐れ縁があってな、ああ、厄介だ』
「んっ?どうした、ウシ?」
もちろん王様の声など聞こえない園長が、怪訝な顔をする。サトシは慌てて手を振ると、園長は続けて言った。
「そいつらの面倒は立実とウシに任せるぜ。また、SNSでうまく盛り上げてくれよ。じゃあ、頼むぜ!」
そう言うと、園長は展示室から出ていった。後に残されたサトシたちは思わず顔を見合わせて笑った。
『そうだ、今のうちに言っておきますけど、しばらく僕は忙しくなるので、シフトとぎれとぎれになりますね』
サトシは、思い出したように王様へ奏上する。王様は、チュルル、と軽く鳴いて答えた。
『余へ仕えること以上に大切なことはないと思うが、まあよい。励むことだ』
『何があるんですか?』
思わず尋ねたイロハへサトシが顔に指を当てた。
『まず、次の学校への入学に向けた勉強でしょ。それと、姉さんの結婚式の手伝いもあるし——』
『えっ!?お姉さんがいたんですか!』
『あれ?話していなかったっけ?』
そうして、会話する二人を王様と五匹のグンディが重なり合いながら愉快気に眺めた。
『お父さま。さっきの『世界一幸せな生き物』ってなに?』
王様グンディの上に重なるシュバーロが、尋ねる。続けて、展示ルームに戻ってきたメウェの上で、和んでいるライラも聞く。
『そうよ、大きいの。どんな生き物なのよ?』
『そうか気になるか二人とも。では、語ってやろうかな……』
——手伏区生物園には、砂漠の妖精がいる。
彼らは、今日もまた重なり合い、じゃれあいながら、のんびりと世界を守っているのであった。
皆様、拙作を読んでくださりありがとうございます。
グンディたちとサトシの物語はここでいったんおしまいです。グンディたちの物語はここで完結ですが、この世界の別の物語を書く予定です。
この作品で、少しでもグンディが気になった方は、実際の動物園でぜひ見てください。
次の作品は、今年中に出せればと思います。
拙い点もあったと思いますが、読んでくださったこと改めてお礼申し上げます。




