四話 初めての戦闘(3/3)
最悪だ。
何が最悪かって、自分の身体を他人に動かされることが一番最悪だ。
俺が行きたい場所も、俺が最適だと思う行動もまったくとりゃしねえ。
まるでゲームプレイ動画で字幕の案内なしにあっちへうろうろこっちへうろうろして先へ進まねえような場面見てイライラする状況だ。
まあ俺個人としてはそういう馬鹿くせえのを見ることも楽しみのひとつなんだろうとは思うが、今置かれている状況に関して言えばちっとも楽しくないどころか、知らぬ間に旅の仲間が敵との駆け引きで勝手に自分の命かけるような気分だ。
つまり最悪だ。
ナックルグリズリーの攻撃は辛うじて急所を避けた。
というか、数えることも鬱陶しくなるほど受けたテレンスとの修行の成果か、はたまた俺の身体に眠る防衛本能のおかげか、こいつが考えるより先に身体が防御の姿勢になったようだ。
とはいえ、ナックルグリズリーの攻撃をまともに受けたショートソードは粉々。
肝心の操縦者は一滴すら血を見たことのねえ青臭いガキだったせいで使い物にならなくなった。
つーか危険な状況に追い込まれてんのはだいたいこいつのせいなんだよ!
なんだよこのガキ!
この世界じゃ上流貴族だって食えそうにもない質の良い食い物ばっか食ってのうのうと暮らしてたせいかちっとも修羅場馴れしてねぇ!
血を見ただけでパニック起こすような奴とか生まれてこのかた貴族以外で見たことねーぞ!
こいつの世界じゃこれが標準なのか!?
そこそこできるようになったからって調子に乗りやがって!
それで命落としてちゃ世話ねーんだよクソが!
二体目のナックルグリズリーが相変わらずふらふらした挙動でこっちへ近づいてくる。
どうやら仲間がやられて激怒したんじゃなく、獲物を見つけて嬉々としてるようだ。
きたねぇ涎たらしながらこっちに来やがる。
くそが…。
いくら呼び掛けてもマサヨシの反応がねーし、こりゃここでお陀仏か…。
俺の人生がこんなやつのせいで潰されたかと思うとむかっ腹がたつぜ。
だが泣いても喚いても魂だけの俺にはどうしようもない。
主導権を取り返せるかも試したが無駄なことだった。
受け入れるしか術はない。
…せめてあの事件の真犯人をぶち殺してから死にたかったんだがなあ…ちくしょう…。
俺が死を覚悟した、その時だった。
一筋の閃光がナックルグリズリーを切り裂いた。
反応する暇もなくナックルグリズリーは絶命し、真っ二つに別れて崩れ落ちる。
もがき苦しんでいた方のナックルグリズリーも即座に頭を貫かれて死んだ。
そこにいたのは、返り血すら浴びずに敵を斬り殺す化け物。
カスティーラ王国騎士団団長、【神速】アネモネ・ラナンクラム。
俺が殺人鬼となるきっかけにもなった女だった。
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「おい、起きろ。それとも今すぐ私に切られたいか?」
「アネモネさん、何もそんな…。
この人はただ、私たちを助けようとして…」
「ふふふ…珍しく私は怒っているんだアリス。
残念だが君の鶴の一声でも止める気はないな」
「そんな…」
誰と誰が話しているんだろう。
遠い記憶のように聞こえるその声の主を必死に思い出す。
ええと、確か…。
「そうだな。では起きないようだしこの者の出自についてでも話そうか。
実はマサヨシ殿はトウキョーという…」
頭の中で今までの情報がフラッシュバックし、全てを思い出した。
瞬間、アネモネ団長が言わんとしていることも理解して俺は飛び起きる。
「南正義!
ただいま起きましたでございまするです!」
敬礼のまま固まってアネモネ団長を見ると、目線だけで殺せるような例の目付きで睨んできた。
「ほう、起きたか。では何回地獄を見たい?
私の剣技ならば同時に三回分の地獄観光ツアーへ招待できるのだが」
「ですからアネモネさん、そういう脅すような冗談は止めた方が…」
団長はかなり真面目に言っているようだが、アリスさんは冗談だと思って止めようとしている。
本当にすごい人だ。…あれ?
「傷が…さっきまで血が流れてたのに」
敬礼した腕を見れば、さっきナックルグリズリーに切り裂かれた傷がすっかり治っている。
これはいったい?
疑問符を浮かべた顔をしていると、アリスさんが補足してくれた。
「私の回復魔法ですよ。
どこまで治るかと思いましたけど、傷跡が残らなくてよかったです」
傷跡が残らないどころか、心なしか肌の艶もよくなっている気がする…。
「言っておくが、回復魔法で治るのは傷だけだからな。
失った血を補充したいなら薬草を食べるか、鉄分でもとりたまえ」
俺の事情を汲んでか、アネモネ団長がさらに付け加えてくれた。
回復魔法は内蔵の傷すら治せるすごい魔法だが、使える者が少ない上に、血液や何年物かの傷などは取り戻せないという。
なので凄腕の冒険者でも安い薬草くらいは最低限持ち歩くのだとか。
大怪我をしたら基本的に死んでしまうというのは、元の世界と変わらないようだ。
まあそりゃあ、普通はそうだよな。
「さて本題だ。
君は何故この問題を一人で解決しようとした?
何故昨日私にこの事を報告しなかった?
以前言ったはずだぞ。
必ず誰かに報告をいれるようにと」
言い返せない。
「私がたまたま近くを通りすがったからよかったようなものだ。
今朝は侵略してくる魔王軍の指揮系統を粉砕していたのでな。
帰りにアリスに挨拶でもしようかと考えていたのだ。
一歩間違えれば死んでいた状況で、君は何を考えていた?」
言い返すことができない。
「だんまりか…なるほど。君はそういう奴なのか」
アネモネ団長の失望した声が頭に響いた。
そこへアリスさんが俺をかばうように抗議した。
「待ってください!私たちも悪かったんです!
騎士団が忙しいだろうからと報告をせずに、自分達だけで解決しようとして…」
アリスさんにとってはそう感じるだろう。
しかしそれは意味のない抗議だ。
「見習いとはいえマサヨシ殿もまた騎士団の一員。
私に報告しなかったマサヨシ殿が勝手に起こした始末だ。
教会の方のせいではない」
「ですが…!」
「…いいんですよ。アリスさん」
アリスさんが不安そうな顔を浮かべて俺を見る。
そう、これは全面的に俺が悪いのだ。
自分が勇者に選ばれたからと、何の努力もなしに特別な力を得たと勘違いして、調子に乗って死にかけただけの話。
以前町でひったくりを追いかけたときだってそうだ。
軽い気持ちで悪者を捕まえようとして殺されかけた。
それはつまり、危機感に欠けているということ。
比較的穏やかな日本で暮らしていたから、俺にはそういった能力が圧倒的に足りていないのだ。
“南正義”としての記憶が有る限り、俺はどこまでいっても“南正義”以外の人物にはなりえない。
ただ少し勉強ができるだけの、非力な高校生だ。
「すみませんでした」
俺が悪い。
だから、まずは謝る。
「…ふむ、自分の非をわかっているか。
ならばいい。
私は正直君が勇者に向いているとは思えないが、これも王の意思だ。
私はそれに従うまでだからな」
向いているとは思えない、か。
向こうでも先生に言われたっけ。
お前は警察官には向いてない、諦めろって。
そう、組織として活動するはずの警察官が独断で行動しちゃ駄目なんだ。
必ず複数人で、もし他の人が間に合わなくても、せめて誰かに報告をするべきなんだ。
これが俺の限界。
なりたい職業になれない、最大の欠点。
「明日からも訓練は続く。
今日のところは部屋で安静にして、体力の回復を待ちたまえ」
団長が踵を返して去ろうとする。
アリスさんはなにか言いたげにしているが、口を挟んでも良いものか悩んでいるようだ。
俺は勇者にはなれない。
…そんなこと、わかりきっていたはずなのに。
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『正義、お前の将来の夢は何だ?』
『えっとね、父さんみたいにりっぱなけいさつかんになる!それでわるいやつをいっぱいつかまえるんだ!』
『ははは、そうか。
正義がそうなりたいと思ったなら父さんは応援するよ。
でもな、一つだけ忘れちゃいけないことがある』
『なあに?』
『どんなものにも言えるかもしれないけどな、一度や二度の失敗で何かを諦めちゃ駄目だ。
人の命を、生活を守るための仕事につくんだ。
あれがダメだから諦めよう、じゃあいつまでたっても人は救えない。
自分で決めたことは諦めずにやり通さなくちゃな。
…まあ、一通りやってダメだったら向いてなかったってことだけど』
『なんだよ、けっきょくあきらめてるじゃん』
『でも人間ってのは案外何でもできるもんだ。
諦めずにもう一度やってみたら、すんなりいくことだってある。
だから正義、もし心の底から警察官になりたいって願ったなら、一度くらい躓いただけで諦めたりするなよ。
みんな、お前が失敗から学んで成長していくことを願ってるんだからな』
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昔からお伽噺が好きだった。
勧善懲悪。
そしてなにより、主人公とその周りの人が幸せに暮らしている姿を見るのが大好きだった。
ご都合主義でも何でもいい。
とにかく人が笑顔で幸せに暮らせる世界。
ずっとずっと幸せに、何てことは現実にはあり得ないのかもしれないけど…。
それでも俺は、そんな平和な世の中にしたいと本気で考えていた。
侵略してくる魔物によって苦しめられ、たくさんの人が平和を望んでいる。
俺がさっき味わったように、殺される寸前の人がどこかにいるかもしれない。
俺はそんな人を助けたい。
そんな人たちの力になりたい。
俺にできることは僅かすらなくて、逆に苦しめてしまうのかもしれない。
大きなお世話と言われて、追い払われるかもしれない。
…それでも、俺は。
「待ってください」
言おうと思った時には既に口が動いていた。
アネモネ団長が足を止め、俺を見る。
そこに感情の色はない。
互いの瞳に、互いの姿が映る。
「俺にチャンスをください。
俺には勇者になるという自覚が足りませんでした。
だから、お願いします。
俺が勇者になるための修行をさせてください」
右の手のひらを心臓に合わせ、左手を腰の後ろに回し、深く頭を下げる。
この国の最大限の敬礼。
俺は勇者になりたい。
みんなを助ける存在に。
みんなの平和を、守る存在に。
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昨日“彼”から休日の申請を受けた時、私は心の底で歓喜した。
遂に本性を現すか、と。
はっきり言って、私は【降霊術】などという意味のわからん儀式程度で、地獄に落ちても蘇りそうなあの男が消滅するとは到底思えなかった。
ここ最近のあの男の行動は全て計算ずくで、我々を騙すための演技である、とずっと考えていたのだ。
だからこそ、歓喜した。
あの男の化けの皮が遂に剥がれるのだと。
両親の仇を、討てるのだと。
しかし蓋を開けてみれば、変わらず“彼”の姿だった。
朝一で前線に向かいうるさい連中をさっさと殲滅してからここへ向かったというのに、修羅場馴れしているどころか血を見るだけで正気を失う“彼”の姿を見て、私は完全に復讐の道が途絶えたのだということを悟った。
我ながら最低だと思う。
結局のところ私は感情を制御できているように見せ掛けているだけで、両親を目の前で失ったあの子供の頃から何も変わってはいないのだ。
この手で復讐を果たすまで、私は変わらないのだろう。
だがどうだ。
この世で一番憎いものが目の前に立っているというのに、中身が違うだけでこうも印象が変わるものか。
魔王よりも何よりもこの世界の闇を体現していたような男が、今は光輝く純粋な少年の顔をしている。
それが何だか可笑しくて、私はつい笑みを溢してしまう。
「何を勘違いしているかは知らないが、私は明日からも訓練は続くと言った。
もちろん、王の名において君を立派な勇者にして見せよう」
そう、“彼”は“ミナミマサヨシ”。
【殺人鬼】ではないのだ。
ならば私は王のご命令通りに、マサヨシ殿を勇者にしてみせるだけだ。
マサヨシ殿は顔をあげ、笑顔で「ありがとうございます!」というと、また頭を下げた。
けちをつけるのもおこがましいほどに完璧な敬礼だった。
彼のその努力家な部分は、きっと報われることだろう。
いや、報われなければならない。
私は再び歩きだし、その場を離れることにした。
後のことはアリスが何とかするだろう。
彼女はああ見えて、私以上に胆が座っているからな。
森の奥を軽く見回りながら自室へと向かう途中、私は今までを振り返った。
最初に王から「シックの身体を異世界の者に渡し、勇者として祭り上げる」という話を聞いた時は何かの冗談だろうと本気で思った。
私があの男をやっとの思いで捕縛し、今すぐにでも殺したいと考えていることを知った上で、そのような全てを無に帰す真似をするのかと。
そうするように王を唆したマンガス魔法大臣は、私の中で気にくわない存在へと昇華された。
しかし私は王に命を救われた身。
かつてあの男に全てを奪われ、身寄りも力もなかった私が今日まで生きてこられたのは、王のお心あってのものなのだから。
口答えは許されない。
私は心の底の考えを圧し殺し、それを了承した。
実際出会ってみれば、私がレイピアを抜いた瞬間もわからず慌て出すほどの素人で、しかし真面目に訓練をこなし、着々と腕を磨いていく素直な少年だった。
こんな素人が本当に世界を救えるのかと思った。
しかし本人の才能か、それとも身体の才能かは不明ではあるものの、確かにその成長速度は高く、ぐんぐん実力を増す彼の姿を見るのが段々楽しみになっていたのは一つの事実だ。
彼の大本はそこら辺にいる裕福な子供そのものだろう。
とりたてて得意なこともなく、しかし苦手なこともない。
平々凡々。
どこにでもいる子供だ。
しかし心の底に秘めた光輝く魂だけは、他の誰とも違う、彼だけのものをもっている。
そんな気がする。
だからこそ【降霊術】の条件にもかかったのだろう。
なんの根拠もない、私の勘でしかないのだが。
「いいんですか、あれで」
木陰から声がした。
振り向くまでもない。
サボり癖を持った頼れる相棒だ。
「奴が本心を圧し殺して生活しているという私の考えは思い過ごしだったようだ。
ならば、マサヨシ殿の応援をしてもいいだろう」
「でも、ならあいつは…これから先ずっと、最悪の殺人鬼の皮をかぶって生活しなきゃならないってんですか」
仮に中身が本当に書き変わったのだとしたら、テレンスの言う通り、彼はこれから死ぬまで殺人鬼としての側面を見られて、裏社会の者から追われるようになるだろう。
奴に恨みを持つものなど数えきれない。
あの身体がシック本人のものであると気づいた者がいつか闇討ちしてもおかしくないのだ。
しかしそれでも、やらなければならない。
あれだけ純粋な彼を騙しているとしても。
私の復習心が未だ燃えたぎるものであったとしても。
「私は王のご命令に従うまでだ。
彼を勇者として育て上げ、魔王の元へと向かわせる。
…今の私にはちょうどいい暇潰しだ」
話は終わったと言葉にする代わりに、私は歩き出した。
魔物がこの国の中に発生しているということも分かった以上、明日からやらねばならないことがたくさんある。
この心に秘める炎は、今一度仕舞っておこう。
アネモネが去った後。
その場に残ったのは、テレンスのみ。
ぐっと拳を握りしめ、呟くように一人愚痴を溢す。
「俺は、あんないいやつを一人で魔王の居城に向かわせるなんてごめんですぜ…」
その呟きは、木漏れ日に溶けて消えた。
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『お前は、本当に勇者になる気か?』
ああ。
俺が王様と約束して、俺が決めた道だ。
棘の道だってことはわかってた。
ただ、覚悟が足りてなかったんだ。
力を持って、人を助ける覚悟が。
『血を見るだけでパニックになるやつが勇者になれるとでも?
夢を見るだけじゃ世界は平和にならねーぞ』
わかってる。
だから、もう甘えたことを言うのはなしだ。
俺は勇者になる。
強い勇者になる。
みんなを守れる勇者になって、この世界を救って見せる。
その為に、これからもっと努力していくんだ。
『言うが安し行うは難しって言うそうじゃねーか。
テメーは守れんのかよ。その誓いを』
守ってみせるさ。
この魂に誓って。
『…ケッ。勝手にしやがれ』
俺の気のせいなんだろうけど、シックが少しだけ、いつもの下卑たものじゃない笑みを溢したような気がした。