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Epilogue 世界の秘密



 夜――。


 宵が深まると、決まって七つ夜を思い出す。

 リンピアには刺激ある日々だったが、退屈な日常と比べたら幸せだった。

 ただ、今宵はまた別の意味で特別な夜になる。


「ほ、ほんとに……こんなやり方で?」


 リンピアはおずおずと相手の顔を覗き込んだ。

 事前に聞かされていたものの、いざやろうとすると尻すぼみするものだ。

 暗がりに浮かぶロアの顔は平然としていた。


「そうだ。だからそれを退けろ」

「いや、あの……ロアくん、下手すぎでしょ」

「下手だと?」


 リンピアははっとなり、薄地の布を口元に手繰り寄せ、顔を隠した。

 傷つけることを言ってしまっただろうか。

 しかし、状況を考えれば、ロアの方がデリカシーにかけるのは言うまでもない。


 今夜が二人にとって特別な夜だ。

 それに邪魔が入るようなこともない。

 その状況で焦らせるようなことを言われたら、雰囲気が台無しだ。


「せめてこういうのは順番が……ね?」

「順番はさっき教えた通りだ。

 ――まず互いの身を清める。これは済んだな。

 次に両者から血を取って互いの腹部に、それぞれの血で魔法陣を描く。最後にはその陣を、腹部をあてがうなどして擦り合わせる。

 あとは体液交換すれば契約は完了だ」

「あのね、そういうことじゃなくて……」


 そう、これは『血の盟約』の手順だ。

 二人はまた『血の盟約』を結ぼうとしている。

 リンピアは深く溜息をついた。

 儀式の手順はどうあれ、お互い裸なのだ。

 男女があられもない格好で向き合えば、その先を意識するのは普通のこと。それを淡々と"体液交換"などと語るロアのムード作りの下手さに苦言を述べた。


「下手とは心外だ。俺は君と一度この契約を成功させたんだからな」

「ていうか、わたしが気絶してる間にこんなことしてたワケ!?」


 雰囲気がどうのより、その事実に驚いた。

 セクハラを通り越して痴漢である。


「あのときは緊急処置だ。手順を簡略化したから頬の傷だけで事足りた。君の頬から垂れる血を吸い出し、俺の血も傷口に沿って塗りつけた」

「そんなことでも契約が結べるのね」

「だから"俺と相性が良い"と言ったんだ」

「む……うー……」


 この手の天然は不意打ちが多くて質が悪い。


「わかった。でも、わたしの手順も聞いて?」

「リンピアの手順?」


 リンピアはそっとロアの首筋に手を回した。

 抱き寄せると自然とお互いの体が密着する。


 儀式の手順など最低限のことでいい。

 それより大事なのはお互いの気持ちだ。

 リンピアとロアはその晩、体を重ね合わせた。

 もちろん『血の盟約』の再契約など建前だ。

 今宵こそ、口約束でしかなかった七つ夜の最後の約束を、誓いへと変える特別な夜だった。


 ――これでずっと一緒だよ。


 リンピアの七つ夜は今宵で完結した。

 時間はかかったが、構うことはない。

 これから時間は無限にあるのだから。

 彼と永遠を添い遂げる覚悟は決めたのだから。



     …



 怪異の滅却から半月ほど経った。

 あの日々が、たった七日七晩の出来事とは思えないほど、リンピアにはそれからの毎日があっという間に過ぎていった。

 それほど変化が目まぐるしかったのもある。

 ――実は、世界は【七つ夜の怪異】の滅却により、元の形を取り戻していた。


 神隠しで丸ごと消えていた人々。

 巨人族や獣人族などの亜人種や魔法遺物。

 リンピアが常識に思っていたものは、瞬く間にすべて覆されてしまった。

 それを世界は驚くでもなく、当たり前のように受け入れている。世間も、歴史的事実もだ。



 エスス魔術相談所にも新鮮な依頼が増えた。

 かつては人探しや素行調査ばかりだったが、より魔術専門家らしい民間の怪現象や、異人種同士のトラブル解決に駆り出される日々だ。

 所長のソフィアはそんな忙しい日々に、


「いつも通りだろう。何を言ってるんだ?」


 と、リンピアの疑問を跳ねのけてみせた。

 やはり【七つ夜の怪異】滅却前のことは、当事者のリンピアやロアにしかわからないようだ。



 だが、前より人々は活気よく過ごしている。

 たまに喧嘩や揉め事があったり、悲しい事故や事件があったり、つらいことはあるが、だからこそ人は幸せを噛み締め、毎日懸命に生きていた。


 オットも毎日が楽しそうだ。

 最近はよく笑顔を浮かべるようになった。

 イルマもお店が繁盛して忙しそうだが、亜人種の素敵な男性と出会いがあったそうで、今度リンピアに紹介したいと意気込んでいた。

 カレルやシグネもそれぞれの道を進み始めた。

 カレル・ロッシといえば名前を知らないものがいないほど有名な狩人となった。

 シグネもアールグリッジ市商会の会長として街の経済活性化に一役買っている。

 みんな大変だけど幸せそうだ。


 "それが人間らしいってことだ"


 ロストが言い残した言葉の通りだ。

 人間は醜いが、だからこそ綺麗なものもある。



 一方、人間らしさとは反対を往く者もいた。

 リンピア・コッコがその一人だ。

 『血の盟約』はリンピアの時間を止めた。

 不死の呪いを孕んだ魔力を共有することは、その仲間入りをするということ。

 相応の決断が必要だったが、リンピアには不安はあれど抵抗はなかった。


 ロアとは、ずっと一緒だと約束した。

 悠久を生きることになっても彼の面倒を見ているだけで毎日退屈しなさそうだ。

 それにロアのことだけじゃない。

 リンピアにはまだ見たことのない世界がある。

 これから会うのもその一つ。世界の秘密だ。



「なんだか緊張しちゃうな……」

「俺もだ」

「へぇ、ロアくんにしては珍しい」


 リンピアは旅を終え、北レナンサイル山脈を越えて王都へ辿り着いた。

 王国を名乗る時代錯誤の国は現存しない。 

 それでもその直系の子孫や王政の名残りが、その大国には残っていた。

 これから向かうのは、その国の大聖堂だ。

 そこに神秘の一つが待ち構えている。


「俺にも苦手な相手くらいいる」

「そっか……。まぁそうか。そうだよね」


 リンピアはロアの心情を察して腕を絡めた。

 もうすぐ大聖堂につく。

 広大な土地を有する王都西区にその聖堂はひっそりと存在し、今や観光名所にもなっている。

 その目前の大きな橋まで辿り着いた。


「大丈夫! わたしが守ってあげるから」

「……」


 大橋を先に進み、大げさに振り返るリンピア。

 ロアはそんな光景を見て驚いた顔をした。


「随分と頼もしくなったな」

「そうでないと、この先やってられないでしょ」

「ふ……。そうだな」


 ロアが後からついて歩く。

 この日の大聖堂は休館だった。

 見物客がいないと、聖堂の周りを囲う鬱蒼とした森も相俟って薄気味悪い。

 大きな門を開け、仄暗い聖堂の中に入った。



「ようこそ。歓迎するわ、リンピア・コッコ」


 大聖堂の司教座(カテドラ)には、白い法衣に包まれた紫髪の少女が座っていた。

 その若さで大司教然とした姿に驚かされる。

 しかし、リンピアはこの少女を知っていた。

 過去の肉体憑依の合間、ロアの視界(レンズ)を通して見た姿そのまま、現代でもその容姿は変わっていない。


「はじめまして。……えっと、リピカさん?」

「その様子なら自己紹介は必要なさそうね」


 リピカも立ち上がり、身廊まで降りてきた。

 ステンドグラスを背に近づく人間離れした雰囲気の少女にリピカは息を呑んだ。

 そも、この教会の雰囲気が重々しすぎる。

 リピカはリンピアの手を握ると、深々と頭を下げた。


「それと、感謝を申し上げるわ。ありがとう」

「い、いえ……そんな大したことは……」

「あなたが思う以上に大したことなのよ」


 ロアに堂々宣言した手前、怯んだ姿は見せたくなかったリンピアだが、この少女の凄みを帯びた口調は、どうも親しみにくかった。


 リンピアが救ったのはロアだけではなかった。

 ロアに関連した不死魔族――つまりは彼の両親や姉弟、リピカという大司教や他にも"守護者"側に位置づけられる精霊たちも復活した。

 【七つ夜の怪異】からロアを引き剥がしたことで、この世界が神性魔力や虚数魔力を取り戻したおかげだった。


 もしあのときロアの救出に失敗していたら、それら特殊な魔力も消却されていたため、彼らの復活もありえなかった。

 あの最後の綱渡りは、ゼロか全か。

 雌雄を決する戦いだったのだ。


「あなたもどうやらこっちの世界に足を踏み入れたようだし、せっかくだから歓迎会でも開きたいところだけれど――」


 リピカは司教座(カテドラ)に振り返った。

 厳かな椅子の裏から2つの影が出てきた。


「まずは……"感動の再会"とやらが先かしら」


 リピカは呆れ果てたように溜め息をついた。

 司教座の裏から出てきたのは、リンピアもよく知る存在だった。

 七つ夜の最後の戦いで多いに助けられた。

 初めて見たときから数百年は経つのに、その男はまったく変わってない。

 ここにいる人間は誰も彼も老い知らずだ。


 ――ロスト・オルドリッジだ。

 あの日の英雄が穏やかに手を振っていた。

 リンピアは直接会うのはこれが初めてだ。



「あの時はありがとう。それから、初めまして」


 あべこべな挨拶をしてロストは微笑んだ。

 リンピアは恐縮して、ただ一礼するのが限界だった。


「わたしも、その、ありがとうございましたっ」

「お礼なんかいい。全部こっちが悪いんだから」

「あ、えっと……ロアくんのことは……」


 リンピアは恐る恐る後ろを見やった。

 聖堂に入る前に守ると言った。

 リンピアも最大限フォローするつもりだ。

 ロアは無表情で父親を見据えている。

 ロストもそんなロアの様子を見て、両手を開いて呆れたように首を振った。


「それより先に、こっちを紹介しないとな」


 ロストは息子のことはさておき、もう一つの影をリンピアと対面させた。


 小さな少女だった。

 彼ら家族の誰かという訳でもなさそうだ。

 初めて見る顔だが、リンピアはその少女が誰かをすぐ理解した。

 相手も同じで、この再会に涙を目にいっぱい溜めた後、堪らず駆け出した。


「リンピアさぁぁああぁあん!」

「リルガちゃん……! 助かったのね!」


 リルガ・メイリーだった。

 以前の容姿と比べると肌が白かったり、目の色が赤かったりと少し違いはあるが、顔立ちや栗色の髪は変わらず彼女だった。


「うぅー……嬉しいです。こうして会えたのは奇跡です。私もこれから心を入れ替えて第二……いえ、第三の生を頑張って生きます」

「ちょっと待って。どういうことなの? なんでリルガちゃんが……」

「え……? リンピアさんのおかげですよ」

「何が?」

「私を助けてくれたのは、リンピアさんです」

「わたしは何も…………あ……」



『わたしはあなたのことも助ける。リルガちゃんを助けてほしいって思ってる人もいたから』


 ――ロアのときと同じだ。

 あの宣言を、ロアとの血の盟約を通じて【七つ夜の怪異】が聞き届けていたなら、助かる対象にリルガも含まれていた。

 沈没船から救うのは2人でも一緒だと思った。

 それが功を奏したということか。


「ただ、その子の場合は現世に受肉する器がなかったから私の人形の鋳型から造って、魂を無理やり引っ張って封じたのだけどね」


 後ろからリピカが補足した。

 リルガだけ大聖堂で復活した理由はそれだ。

 半分なにを言っているか分からなかったが、まぁいい。今は再会を喜ぼう。

 そう思い、小柄なリルガを強く抱きしめた。

 これからたくさん知らないことも学ぶ機会が増えるのだし、頭で理解するのはその後からでも遅くはない――。



「ロア」

「……」


 もう一つ、大事な再会があった。

 ロストはロアに声をかけた。

 親子水入らずにしたかったが、リンピアは連れ添うと決めた。だからせめて邪魔にならないように、静かにその2人を見守った。

 ロストはロアに真剣な顔で向き合った。

 ロアも目を背けることなく父親を見ている。


「俺の強さを思い知ったか、馬鹿息子めっ」


 その溌剌とした声は静かな聖堂に響いた。

 ロストは軽く、それこそ冗談のように拳をロアに突きつけた。それをロアは、ぱしんと片手で受け止めた。



「……ああ。アンタは本当に強い」


 ロアはその拳を包むように握った。


「だからまた教えてくれないか? 戦い方」

「もちろんだ。早く俺に追いついてこい」

「いつか必ず……な」


 ロアは、ロストの拳を放すと同じように握り拳をつくって軽く突き合わせた。

 それでロストは満足したようで、


「じゃあ帰ろうぜ。みんな待ってる」


 そう言って父親の表情に戻った。

 その穏やかな顔に充てられ、ロアも気恥ずかしそうに目を反らし、頬を掻いた。


「それから――おかえり、ロア。大変だったな」

「……ただいま、父さん」


 それを見ていたリンピアは胸が熱くなった。

 家族はどれだけ離れても、どれくらい会ってなくても、ずっと待ってるものだ。

 いつか旅に出た息子が帰ってくることを。

 おかえりと言う日が来ることを――。



 これからあの守護者の家にお邪魔しにいく。

 母親や姉とは初対面となるのだから、気構えして挑まなければならない。

 リンピアにとってはここからが本番。

 でも、きっと受け入れてくれる気がした。

 人智を超えた守護者といえど、家族の在り方は変わらないと知っていたから。


 それがいつの時代も普遍の『世界の秘密』だ。




【七つ夜奇譚 完】

ご愛読、ありがとうございました。

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