Episode42 第六夜 - 希望の十三階段
初めての記憶は誰しも鮮明に覚えている。
期待と不安に満ち溢れているからだ。
それが月日を重ねるごとに、あらゆるものが無意義に思えてくるのだから、人間というものは強欲な生き物だ――。
なぜだろう。
案内人の少女リルガ・メイリーは螺旋階段を一段ずつ昇るたび、そんな感傷に耽っていた。
強欲な生き物とは自分自身のこと。
"十三階段"を昇る死刑囚はこんな感覚なのか。
「そういえば」
先行くリンピアがふと振り返った。
リンピアは恐怖心が麻痺しているようで、王城の尖塔から伸びる螺旋階段という高所も、あまり怖いと思っていない。
階段の足場は半透明。魔力で出来ている。
普通の人間なら恐怖を感じる高さだ。
リルガは、急にリンピアが振り返ったことに、おどけてみせる素振りをした。
それが限界だった。
「これが終わったら、リルガちゃんは……?」
歯切れの悪い聞き方をした、と反省した。
リンピアには彼女の末路が想像できた。
言葉にすれば、頷かれるだけで終わりそうで中途半端に聞いてしまった。
リンピアの悪い癖だ。
「私には居場所がありませんから」
「それって……」
「ご想像の通りです。【七つ夜の怪異】の終わりは、私の世界の終わりです」
リンピアは立ち止まった。
舞台の幕を締めれば、リルガも消える。
そういう意味だ。
「…………」
「なんでそんな顔するんですか? やめてくださいよー。私は案内人兼、諸悪の根源ですよ? ここで同情されるのは筋違いだと思いますけど」
「わかってるわ」
【七つ夜の怪異】はリルガが創り上げた。
諸悪の根源とは、まさにその通りだ。
この怪異のせいで大勢の人が争い、死んだ。
リンピアの両親も、オットの両親も。
恨まれて当然だろう。
法がこの少女を裁くなら死刑宣告は固い。
……だが、リンピアはリルガという人物を知りすぎてしまった。
普通の魔術学生だった彼女が、世界の裏側に至った背景、【七つ夜の怪異】を産み出した理由、そして生前の交友関係も――。
「わたしはリルガちゃんを恨む理由がある」
「そうですよ。リンピアさんは言うこととやることを整理して喋ってください」
ほら進んでください、とリルガは囃し立てた。
その声は震えていた。
リンピアはまだ歩き進めない。
「でも、わたし以外もそうとは限らないわ」
「リンピアさん以外……?」
「ロストさん、ロアくん……それからミーシャさんも」
リルガは驚いて目を見開いた。
ミーシャを知っていることに驚いた様子だ。
リンピアは第五夜で亡霊に出会った。
それこそ【七つ夜の怪異】で再現しただけのオルドリッジの屋敷で。
"……お願いします。2人で見届けてあげて"
あのとき、ミーシャはそう依頼してきた。
怪異を滅却すれば、リルガ――旧友のリンダ・メイリーが消えると知っていたのだ。わざわざ模型に出張ってまで、友達を助けたかったのだろう。
「ミーシャさんが2人で見届けてと言ってたわ」
「そうでしたか……」
見届けるのはロアの最後。この怪異の終りだ。
今ならその真意が汲み取れる。
だから、リンピアはリルガに復讐する気も、見捨てる気もない。
人から依頼を受けた。だからやり通す。
それが魔術相談所で働く魔術師の仕事だ。
依頼人が惚れた相手の祖母なら尚のこと。
それに――、
『……が悪ではないと思ったなら、それはリンピアが彼女の道理や生き様を認めたというだけだ』
ロアも似たようなことを言っていた。
『正義か悪かは当事者には測れない。決めるのはいつだって傍観する部外者だ。争い合う者は皆、己の信念を賭けて戦っているだけなんだからな』
正義か悪かは当事者には測れない。
リルガが正義か悪かなんて、そんなことを決められないし、これからリンピアが立ち向かうロア自身も、正義でも悪でもない。
リルガは信念をもって楽園をつくった。
ロアに支配権を奪われた後も、必死に足掻いて戦って、狂ってしまった歯車を元通りにしようとした。酌量には十分すぎる。
「わたしはあなたのことも助ける。リルガちゃんを助けてほしいって思ってる人もいたから」
「ふふ……リンピアさんは底が知れませんね」
口論を諦めるようにリルガは目を伏せた。
「それでも、どうにもなりませんよ。リンピアさんは【七つ夜の怪異】を滅却させます。それで私も消滅します。そこは因果なので、お気軽に見捨ててください」
それはどうだろう。
怪異に溶け込み、楽園を失楽園に染め上げたロア・オルドリッジも同じこと。
沈没船から救うのは1人も2人も一緒だ。
「わたしは諦めの悪い魔術師だからね」
「そうですか。それなら……ちょこっとだけ希望を持って残りの段を昇ることにしますよ」
リルガは階段を踏みしめて歩いた。
期待はしてなさそうだ。
リンピアはその様子を見守ってから、意を決して再び螺旋階段を昇り始めた。
天蓋には黒く穿つ穴……。
そこからは屍人が落ちていく。
あそこに黒幕がいる。無自覚な黒幕が。
自身が悪役の親玉だとも知らず、悪役の親玉を追いかけていた青年。
それが、待っているのだ。
「……?」
何を――。違和感が押し寄せた。
リンピアの知る限り、ロアは迫り来る脅威をじれったく待つような男じゃない。
生涯、彼は負け無しだった。
そんな男は"迎撃"なんかしない。
敵意を向けられたら自分から攻め込み、標的を瞬く間に破壊する。それがロアという兵器じみた男だった。
それが相手を待つ理由など、思いつくかぎり、こちらを怖れているか、身動き取れない理由があるかのどちらかだ。
うん。おそらく前者はない。
リンピアは空で頷いた。
「――――あ」
リンピアは気づいてしまった。
噎せ返るような熱を帯びた風がその吐息を掠め取る。
この数日間で、ロアの性格はほぼ把握した。
彼はエゴで行動することがない。
必ず何かの制約のもとで動いている。
それが"守護者"の呪いだ。
ロアは人類の守護者であるという体裁で生きてきた。
そんなロアが、自分自身が原因で人類が脅威に曝されていると気づいたとき、どういう行動に出るか……。
――頬の傷跡を撫でる。
まだロアとの『血の盟約』が続いている。
これは、彼が一方的に破棄できる契約だ。
そんな提案を初日に彼の方からしてきた。
それが成されない理由は、今、彼が黒点でリンピアを待つことと関係している。
「ふーん、そういうこと……」
「どうかしました?」
「つくづくロアくんも意地悪だなって思って」
いや、違うか……。リンピアは溜息をついた。
きっとロアは人の心がわからないんだ。
だから人によっては意地悪に思うことも平気でする。
「わたしがロアくんを殺せると思ってるの?」
「…………」
「殺せるわけないじゃない」
「……それしか滅却の術はありません」
「そんなことない」
随分と破滅的な筋書きにしたものだ。
すべてロアとリルガの筋書きだ。
【七つ夜の怪異】は人類の脅威であり、それを滅却させる方法は、歯車を崩壊させる他ない。
そのための策はリンピアも山ほど講じてきた。
絵を描いて記録に残す。
裏で糸引く黒幕を捕まえて滅却させる。
どれも未遂で終わってしまった。
だが、今回は歯車を直接的に破壊しようというもの。
つまり、ロアにとっては自殺同然。
その破壊の遂行を『血の盟約』によって同等の力を得たリンピアにやらせようという気だ。
「じゃあ、リンピアさんは何のためにロアさんに会いに行くんですか?」
「決まってるでしょ――」
【七つ夜の怪異】でもロアを満たせなかった。
救いを求めて乗った船が沈没船だったから。
今度はリンピアが救助船になって、ロアを救い出す。
「わたしがロアくんを満足させてあげるんだ」
そのための手段は準備してある。
心配なのは、成功率が未知数なこと。
一歩、また階段を上がる。
だいぶ空に近い。黒い穴が頭上すべてを呑み込むように口を開けている。
リンピアはさらに足早になった。
怒ったように先へ先へと進んでいく。
真意を察して腹が立ったようだ。
「……ロアさんを満足させる方法は、人類のために身を呈して死なせてあげるくらいですよ」
リルガは遠くなる背中に、ぼそりと呟いた。
ロア自身もそう望んでいる。
もうどうしようもない次元に至っていた。
小さくも完璧な術式だった怪異は、癌のように周りの養分を吸って膨れすぎた。
切除不能な腫瘍なら、治さず死を待つのみ。
ならばその病巣となったロアが納得するケアを施して終わらせてあげよう。
そういうつもりだった。
「あー……その場合、癌の原発巣は私か」
地上では屍人が暴れていた。
時折、爆発音が響く。
先ほど会ったオット・ファガー、シグネ・トイリ、カレル・ロッシの3人が必死に屍人を食い止めているのを音で感じた。
エリンドロワ王城の一部が弾け飛ぶ。
崩壊していく幻想。
それを眺めていると、自分自身も終わりが近いのだとまざまざ感じさせられた。
「お城には一度しか行ったことなかったな……」
リルガは呟いた。
女神に魂を引き抜かれてからというもの、生きている実感はなかったが、今ほど現世に名残惜しさを感じたのは初めてかもしれない。
「そうか……。ミーシャ、ありがとね」
すべて消えてしまう前に呟いた。
とうに天寿を全うした友への感謝の言葉。
何もかも失ったと思っていた自分にも、助け船を出してくれる友達がいた。
それだけで消滅も受け入れられそうだ。
――リンピアが黒点に至った。
胸にえぐり込まれる感覚でそれを悟った。
リルガも慌ててその後を追いかける。
せめて友達の遺言くらい守らなければ、今後こそ地獄行きになるかもしれない。




