Episode35 第五夜 - 黒点
外から吹き込む空気は、ひどく淀んでいた。
黒い瘴気……。
ここはもう第五夜の怪異の中なのだ。
スキルワードがゆっくり立ち上がる。
弾き飛んだ腕の付け根に黒い瘴気が集まり、新たな腕をつくり始めている。
生え変わった片腕は異形だった。
腫れ物のように膨れ、先端には鋭い爪が4本。
まるで蜥蜴のよう。
「そうか。お前もう人間やめてたのか」
屋根上で佇むスキルワードに向けて、ソフィアは呟いた。
「言ったでしょう。昇華するのです。より高位な存在に生まれ変わるのですよ」
「それのどこが高位な存在だ。センスがない」
「これは怪異という狭間での仮のモノです。私はいずれ肉体の楔から解き放たれ、あの"黒点"に至る」
スキルワードが蜥蜴の片腕を掲げた。
その先の空には、あの黒い穴がある。
新しい世界への扉。アセンション・ポイント。
それそのものはとにかく、スキルワードは罪を犯した。
私欲のために人を殺した。
リンピアの両親を。他にも余罪はありそうだ。
そして、また罪を重ねようとしている。
「ソフィア・ユリネ。貴方もですよ」
「なんだ? 私がなんだっていうんだ」
「貴方も世界に混沌をもたらす人間だ。魔術の才能を授かりながら、どこにも属せず、自由業でその神秘を振りかざす悪。神はあなたのような人間に魔力を授けたわけでは――」
神父が語る途中、音もなく何かが飛び交った。
空間が断絶したような錯覚。
それはロアが投擲した魔剣が、神速に迫る勢いでスキルワードの肉体を穿ったものだった。
「……ッ!」
片脚が切れ、態勢を崩したスキルワード。
神父自身も驚いていた。
そこへ新たな魔剣を手にロアが肉迫する。
「―――」
目にも止まらぬ速さでスキルワードの脆弱な肉体を微塵切りにした。
秒間、十の斬撃。
屋根に、神父の肉片が飛び散った。
圧倒的だ。有無を言わせなかった。
ロアが問答無用と判断したのだろう。
「宗教家の高説は時間の無駄だ」
ロアはあっさりとそう吐き捨てた。
人間一人を切り刻んだ後とは思えないほど、ロアは平然とした顔で細切れになった体を眺めていた。
刺すような冷徹な瞳。悪寒が奔った。
「この手の輩はあたかも神託を語るように自己主張を神に代弁させる。どうでもいい連中だ」
ロアは満足したように魔剣を解放した。
「あっけなくやってくれるな……」
その凄惨な手捌きに溜息をつくソフィア。
リンピアに至っては、無慈悲で鮮やかなその剣劇に悲鳴すら上げられなかった。
ロアは何かに気づき、肉片を観察している。
「いや、まだ終わってない」
「なに?」
「再生不可能なまでに切り刻んだつもりだったが、そもそもこいつは人体由来の組織構造とは無関係に体を再生するらしい」
もぞもぞと肉片が動き始めた。
周囲の黒い瘴気が、体のパーツを集めるかのように漂っていた。
「手応えがないと思ったら、最初からただの継ぎ接ぎだったか。寄せ集めの屍体を接着剤で固定して、無理やりソレに魂を乗せていたようだ。
最初からこの男は死んでいたということだ」
「死……またそのパターン?」
リンピアは思い出した。
遺跡調査でスキルワードはリッチに殺された。
あれは幻術か何かと思ったが、事実だった。
一度死んだスキルワードは怪異の中でだけ生を取り戻し、こうして自らの亡骸に憑依して体を酷使している。
肉片は集まり、黒い接着剤で象られた。
スキルワードの形をした肉が再び完成した。
「ごふっ、がは――――。はぁ……」
黒い影のような人間がそこにいた。
姿形はスキルワードだが、肌の色をしてない。
そこに佇むのは影のように揺らめく人形だった。
「私を殺すのは不可能だと言ったでしょう」
「…………」
パウル・ロッシのときと同じだ。
死んだ人間は殺せない。スキルワードは自らそう仕向けた。死なないために自殺したのだ。
ロアは再び剣戟を1本喚び出し、再生したばかりのスキルワードの腕をすっぱりと斬り捨てた。
「ははははっ! 無駄です。無駄ですよ」
スキルワードは、両腕を蜥蜴のそれへと変化させ、かぎ爪でロアと応戦し始めた。ロアはこれ以上は意味がないと判断し、相手の攻撃を流すように剣を振るっている。
「リンピア、聞こえるか?」
後方にいるリンピアにお呼びがかかる。
「ロアくん……! 聞こえるよ」
「あの"栓"を閉じる必要がある」
「うん?」
ロアは片手でスキルワードの攻撃を受け流し、もう片方の手で上空を指差した。
「あるいは、この瘴気を晴らすしかない」
黒い瘴気が接着剤なら、それがなくなればスキルワードは殺せなくとも、肉体を再生することができなくなるはず。
そう踏んだのだろう。
「どうすればいいのかしら?」
「それはわからない。なんとかしてくれ」
「ええ……」
「俺がこいつの相手をしておく。頼む」
「……わかった。頑張るね」
ロアが面倒くさそうな持久戦を引き受けてくれているのだ。ここでどうしていいか分からないなどと弱音を吐くのは我がままだと思った。
「では――」
ロアは返事を確認すると、魔剣を解放して消し、素手の状態になった。
そしてスキルワードの腕を鷲掴みにした。
「ぐ……」
「斬っても意味がないなら、こうしよう」
ロアは握り拳を作り、脳天を叩きつけるようにスキルワードの頭をぶん殴った。
べくんと鈍い音が響く。
神父は屋根に叩きつけられた。
追い打ちをかけるように、ロアが肘打ちでスキルワードの背中に圧し掛かると、屋根が抜け、派手な音を立てて2人とも屋敷内へ落ちてしまった。
――実家での死闘。
そんな言葉がロアの脳裏をよぎった。
父親が体験したことだった。
これがロストの生家を模したものなら、それを再現できるリルガ・メイリーは何者なのだろう。きっと今もこの屋敷のどこかにいるはずだ。
リルガの狙いは未だにわからない。
ロアは彼女の行動には矛盾が多いと思った。
オズワルド・スキルワードと同じ思いなら、最初から巻き込まれた人間に扮する必要はなく、リンピアと接触する意味はない。
それをわざわざ擬装したのは何故だ。
第四夜では向こうからヒントも与えてきた。
まるで何かを求めているように感じる。
助けてほしいのか?
――何から? ロアは朽ちた部屋で蹲る黒い神父を蹴り飛ばしながら考えた。少なくともスキルワードの暴走からではなさそうだ。では何か?
接近して殴る。
神父は邸の廊下を吹き飛び、また距離が空く。
スキルワードは『歌姫』と敬っていたし、決定権は歌姫にあるようだった。
そうなると怪異そのものから?
いや、『七つ夜の怪異』を組んだ術者はリルガ自身、ということは……。
気づけばスキルワードの体は滅茶苦茶だった。
無意識に殴りすぎて原型を留めていない。
「ああ。やりすぎたか」
廊下に転がる屍体を眺め、淡泊に吐き捨てた。
「いいえ」
虫が蠢くように黒い影が動く。
不自然な動きでスキルワードは起き上がった。
「痛くも痒くもありません。ロア・オルドリッジ。あなたの超人的な力も此処では無力です」
「ほう……」
ロアは思わず笑みが零れそうになった。
無力。――挑発のつもりだろうが、その言葉がロアには昂揚感を覚えさせた。
今まで自分を非力だと思ったことはない。
たいていの敵は速攻で片が付いた。
だが、スキルワードはロアが全力を出しても壊れない耐久性があるということだ。なんて都合のいいサンドバックだろう。
"さぁ、次のステージで踊りましょう"
これがリルガの与えてくれた舞台だというなら、最高のプレゼントだ。ロアにはこの怪異の世界がとても魅惑的なものに映った。
○
黒点を塞ぐのは根本的に無理だ。
あの穴から降り注ぐ黒い瘴気を吹き消す程度ならまだ可能かもしれない。
ひとまず屋根の上にいても出来ることは少ないと判断し、リンピアとソフィアの2人も屋敷の中に入って廊下を駆け抜けていた。
「ソフィアさん、ところで何故ここに?」
「ん?」
駆け足で通り抜ける廊下には、豪華な調度品の数々が並んでいた。時代的に、それこそ数百年前のものだろう。
「ああ。直前まで尾行てたからな。お前たちを」
平然とそんなことを言い出した。
「え!? 付けてたんですか?」
驚いて立ち止まった。ソフィアも止まる。
「ああ」
「いつから!?」
「2人仲良く家を出たとこからだ」
「最初からじゃないですかっ」
リンピアの顔が見る見る赤面していく。
アールグリッジ市街のデートを常に見張られていたということだ。知り合いに目撃される覚悟はしていたが、それでも友人と職場の上司とでは違う。
「なんでそんなことになったんですっ! 酷い、ハラスメントですよっ」
「なに言ってんだ。昨日の夜、2人がシグネの家に行ったときから屋敷の外で見張ってたんだぞ」
それは第四夜の前の話か。
ソフィアは窮地にすぐ駆けつけられるよう、リンピアとロアがシグネ・トイリの屋敷に向かったときも傍にいた。
そして第四夜が終わり、2人は外へ出たが、ソフィアと合流することなく、共にリンピアの家で一夜を過ごした――。
「あ……ああ……と、ということは……」
「全て見た。昨晩はお楽しみだったようだな」
ソフィアがにやけ顔を浮かべる。
「な、なな、何もしてませんよ!」
「そんなワケないだろう。若い男と女が一つ屋根の下で何も起こらない筈がない。おまけに翌日のあのイチャつきぶりだ。状況証拠が揃い過ぎている」
何もしてないのは本当だ。
だが、デート中にイチャついたのも本当だ。
釈明の余地がなかった。
「ふっ、私を欺くにはまだまだ甘いな」
「ああああああああ!」
リンピアは、この怪異とは一切関係ないが、発狂した。




