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Episode32 誰彼考察Ⅳ


 突然、視界がぶれた。


 気づくと一面の銀世界が広がっていた。

 凍てつく風が吹き荒び、雪原には自分以外の足跡は無い。



 迷宮の最奥にある「台座の間」にいたはずのリンピアだが、瞬き一つでこんな風に空間転移。

 これには訳がある。今さら驚きは薄い。

 この認識のズレは【七つ夜の怪異】がその狭間に垣間見せる、いつもの時間跳躍の反応だ。


 転移の矛先は決まって過去のロアの体。

 手足を見るとロアの体だ。憑依していた。

 この前は10歳だったが、今はリンピアもよく知る青年姿。


 何歳なのだろう。成人はしていそうだ。

 100歳くらいでも驚かない。



 周囲には誰一人としていなかった。

 ロアは単独で北を目指して歩き続けていた。



『――巨人族が消えたらしい』


 緊迫した会話がフラッシュバックする。

 家で、まるで面接でもするようにロストとロアの親子2人が話している。

 相変わらず古臭い暮らしぶりだ。

 曲がったテーブルで向かい合って座っている。


『巨人族の誰が消えた。族長か?』


 ロストの真剣な口調に対し、ロアも無感情的な口ぶりで問いかけた。親子というより仕事仲間のようなやりとりだ。


『皆だ。巨人族全員が忽然と姿を消した』

『そのわりに街は静かだ。騒ぎになってない』

『俺たち以外、消えたことすら気づいてないんだ』

『……よく、意味がわからない』

『街のゲート、巨人族用に大きくしただろ?』


 北方十字軍と三種族(獣人、巨人、赤魔族)同盟の戦争はとうの昔に終わり、大陸国家が平和協定を結ぶにまで至っていた。

 交易のために街のバリアフリー化も進んでいた。


『それが無かったことになってる。ゲートは小さいまま。普通の人間サイズだ』


 過去改変によるものだろうか。

 この世にはそんな不思議道具が存在する。

 しかし、種族まるごととは類を見ない規模だ。


『……そうか。多少は事態を把握した』

『俺は司祭(リピカ)や賢者と連絡を取る。ロアは巨人族の故郷へ様子を見に行ってくれ』

『了解した』



 そうしてロアは現地調査に来ていた。

 忽然と消えた巨人族の行方を捜すために。


 この神隠し、【七つ夜の怪異】と同じだ。

 きっとこれが初めて守護者たちが七つ夜の怪異を知ったキッカケだ。


 ロアは大陸北部の寒冷地帯をひたすら歩き続け、文明の痕跡がまるでないことを確認し終えた。

 『巨人族』なんて種族が、架空のものになってしまった瞬間だった。


 リンピアの生きる時代では、雪山には雪男や大猿が住んでいるという伝承が時折ゴシップネタのように吹聴される世間があり、それを「馬鹿馬鹿しい」と揶揄する冷静な大人たちがいる。その程度だ。


「…………」


 ロアは無機質な世界を後にすることにした。

 現地調査は終わり。何もないと分かった。

 流氷が流れる沿岸を歩いていたとき、ロアは大柄な生物に偶然出会った。


 初めは巨人族かと思ったが、目を凝らすと、ただの白熊だった。

 2,3頭いる。家族だろうか。

 ずいぶんと痩せ細っている。白熊は露頭にくれたように流氷の上をふらふらしていた。


 ロアはしばらく様子を眺めていた。

 感情は平静。怒りも悲しみも喜びもない。

 ただ、見慣れない生き物を見て、少し見ていようと思っただけのようだ。



「――グオオオオオ!」


 その直後、子ども白熊の方が、流氷の下から現れた角の生えたシャチのような海獣に噛みつかれ、海の中に引きずり込まれそうになった。


 親白熊は子供を助けようと海獣に噛みついたり、爪で切り裂いたりしたが、海獣の表皮は硬そうで、あまり意味を成さない。

 子熊を放そうとしない。


 ロアは手を貸さず、ただ見ていた。

 自然界の掟だと、冷めた心で見守っていた。


「ヴオオオッ! ゴオオッ!」


 子熊の悲痛な叫び。親熊の必死の抵抗。

 自然界の掟だと冷静に観察するロア。



 ――――……。


 ふと、ロアの心境に変化があった。

 憑依しているリンピアは敏感に感じ取れた。

 正体こそ分からないが、何かの感情が芽生え、その感情を無理やり鎮めようと無理をしている。



 不器用な人だね、ロアくん――。


 知っている。

 そんな彼の事をよく知っている。



 ロアは正義に憑りつかれた人だった。


 この自然界での正義は、白熊を助けないことだ。

 白熊が海獣に食われるのが生態系の一環。

 ロアが介入すれば、その調和が崩れる。


 調和を崩すことは守護者として不本意だ。

 でも本当は――。



「…………」


 ロアの片足が少し動いた。

 彼は無理していた。

 正義という檻に囚われ、本当に自分がやりたいことができない、生きたいように生きられない。


 それがこの先も未来永劫ずっと続く。

 不死魔族だから。

 なんて地獄のような日々だ。

 この人はどうしようもなく不器用で、ずっと囚われの不死魔族として生き続けたのだろう。


 リンピアにはそれがどうにも悲しかった。

 許せなかった。彼を解放したい。




「ああ、そうか――」


 ロアは、はたと思いついたように呟いた。

 考えを巡らせて別の正義を導き出したようだ。



 それからのロアの行動はとても素早かった。

 赤黒い魔剣を生成して、シャチのような海獣を瞬殺した。


 瀕死の子熊を背中に負ぶさり、流氷から連れ出して陸地に上げた。親白熊も同じように、負ぶって子供の傍へ連れ出した。

 その後、海中に飛び込み、熊が食えそうな魚を一通り、魔剣で串刺しにしてエサとして与えた。



 ――巨人族のことだ。

 巨人族の原始武器は、あの海獣の角だと聞いたことがあった。捌いて食っていたとも云う。

 天敵がいなくなり、海獣は大繁殖したかもしれない。きっとそうだ。

 白熊が食糧とする獲物を食い荒らし、ついには白熊自体にまで牙を向いた。



 ロアは無理やり、そんな暴論を導き出した。

 白熊の命を救うことが、本来の生態系を維持することになると自身の信条を説き伏せたのだ。


 そんな風に、ロアはリンピアと出会う未来に至るまでずっと、不条理な正義を貫いて生きてきた。

 なんて悲惨な人だろう。



 "過去に背負った白熊と比べれば十倍は軽い"


 ――第一夜でリンピアを背負ったときだ。白熊のことを覚えていたのは、この葛藤が強く記憶に残っていたからだろう。思えば、"軽い"とは体重のことだけだっただろうか。



「はぁ……」


 ロアは白熊を背負って運び、海中水泳までして体力を使い果たしていた。息を乱していた。


 この時(・・・)は、息を乱していたのだ。

 リンピアはそれが気がかりだった。



     ○



 ロアは、あの家に帰ってきた。

 文明の痕跡はなかったとロストに報告した。

 それを聞いたロストは深刻な顔で告げた。


「……巨人族だけじゃない。妖精(エルフ)小人(ドワーフ)、獣人もだ。人間以外の他種族がどんどんいなくなってる。いや、いなかったことにされてる」


 残りの人類は、人間以外には魔族くらいだ。

 他はすべて空想のものにされてしまった。

 リンピアの歴史認識に近しい状態に、世界が再構築されている。


「酷い……」

「酷い? ロア、今ひどいって言ったのか?」


 今のはリンピアの声が漏れた。

 ロストは息子の思いがけない言葉に驚いている様子だった。普段のロアは、他者に同情を示すような言葉は決して口にしない。


 リンピアはここで、ロアの表層意識に出た。


「すみません。わたしです……」

「……?」


 ロストは訝しんだ顔でロアを見返した。

 近くで見ると、ロストは遠目に見たときの印象とかけ離れ、あどけない、安心感のある朗らかな表情をしている。

 遠目で怖く見えるのは、浅黒い肌にタトゥーめいた魔族紋章のせいだろう。


 ロストは遅れて、リンピアに気づいた。


「君は……リンピア・コッコか」

「はい。ご無沙汰……ですか? わたしの方では1日しか経ってないんですけど、ロアくんの体を見ると、もっと経ってますよね?」

「君と最後に会ってから50年近く経ったかな」


 やっぱり。リンピアはさほど驚かなかった。

 家の外壁も材質が新しくなっていたし、家具の配置も大きく変わっていた。


 何よりロストの雰囲気も少し変わった。

 ロアよりも情熱的ではあるが、達観的な雰囲気を感じさせた。仙人のような。

 50年も経てば人も変わるか。

 見た目は10代でも、今の彼は80近い年齢だ。



 そういえば賑やかだった家が静かだった。

 ロスト以外に、家には誰もいない。

 母親たちも姉弟もいなかった。


「あの、もしかして、ロストさんの家族も……」

「家族?」


 ロストは不意を突かれたように目を丸くした。


「ああ、あいつらは大丈夫。この問題のことで各地を飛び回ってるだけだから」


 退魔の力を宿す彼ら一族は、あらゆる怪異も影響ないようだ。安心した。

 ともあれ【七つ夜の怪異】のことだ。

 この大規模な神隠しは、怪異によるものだ。

 リンピアはロアの声を借りて訴えた。


「――そうだろうな」


 ロストも50年前、リンピアが現れたときからこの危機は薄々感じていた。

 だからといって対策はできなかった。

 リンピアも、架空の存在であるはずの亜人種が、まさか怪異の力で架空のものにされていたとは、露にも思わなかった。


 ロストは部屋の奥の戸棚から箱を取り出し、中から紙を出して広げてみせた。そこには箇条書きで何やら書かれている。


「君が次に現れたときのために質問を準備してた」


 几帳面な人だ。

 質問の内容は【七つ夜の怪異】に関すること以外の方が多かった。リンピアの生きる時代が、どんな時代かということだ。

 魔術文明、国家バランス、生活様式まで。

 "はい"か"いいえ"で答えられるものばかりだ。

 話す時間が短かったときに備えて、そういう風にしたのだろう。かなり用意周到だ。それだけ多くの修羅場を潜り抜けてきたからかもしれない。



 ロストは概ね質問を終え、書き込んだ未来の状況を眺めながら考え込んだ。考え込むときに、あごに手を当てる仕草は親子揃っての癖だろうか。


「にしても、なぜ怪異の発生周期が20年なのかだ。そこにヒントがある気がする。20年周期を守る意味があるのか、20年経たないと成立しないのか」

「ロストさん、実は――」



 リンピアは犯人を知っている。


 ここに転移する直前に判明したことだ。

 この問答の前に言い出してもよかったかもしれないが、ロストにすべての背景を知ってもらった上で判断してほしかった。


 先に犯人を伝えても混乱するだけだろう。




「リルガ・メイリー?」


 その名をロストは反唱した。

 ぱっと思い当たる節がないようで、眉間に皺を寄せていた。難しそうな顔を浮かべる人だ。


「その子が自白したときに言ったんです。ロアくんのお父さん……つまり、ロストさんとは昔、仲が良かったって」



 "いつか訊いてみるといいわ。まぁ、あの人にはもう二度と会えないだろうけど"


 最後のリルガの言葉は、言えなかった。

 ロストもいずれ消滅するのだろうか……?

 怪異の影響を受けないのに、何故だろう。


「悪いけど、心当たりがない。でも、どこかで聞き覚えがあるような」


 身近な存在ではなかったようだ。

 リルガも"昔"と言っていた。肝心なのは、どれほど昔かということだ。


 特徴をいくつか尋ねられた。

 日焼けした健康的な肌。少女の体。栗色の毛をショートカットにして、見た目は村の田舎娘という感じだった。

 でも正体を明かしたとき、あの凄然とした雰囲気が印象的だ。例えるならそう、


「少しだけ、あの教会で会ったリピカさんという人と雰囲気が似てた気がします」

「リピカに?」

「はい。含みを持たせた喋り方というか、達観した口ぶりというか……」


 ロストは黙っていた。

 何か糸口を見つけたのかもしれない。


「……わかったよ」


 ロストは溜息まじりに吐き出した。

 もう十分だという意味だった。


「まだ第四夜が終わったところだったか」

「はい。次は第五夜ですね……」


 数えると、怪異も終盤に迫っていた。


「次に話せるのが何十年先か分からないけど、それまでにはリルガの尻尾を掴んでおく。こっちは時間だけは十分にあるからな」


 リンピアは1日で、彼らの数十年を跳躍する。

 それは、ともすれば二度と会えない可能性もあった。ロア以外の彼ら家族には、現代では一度も会っていないのだ。

 考えてみれば、なぜこれだけの大事件をロア一人で対処しているのかということだが――。


 いや、深く考えるのはやめよう。

 リンピアは首を振った。




「大丈夫さ」


 ロストは優しく微笑みかけた。

 さすがは熟練の救世主。並の英雄と訳が違う。

 リンピアの不安もすぐ察知したようだ。


「俺は、これまでも酷い戦いを渡り歩いてきたし、どうしようもない絶望だって味わってきた。……身内に裏切られたりもした」



 身内に――。


 ロストは、情報をまとめた紙をテーブルに投げ出して、ロアがするのと同じように、魔剣を生成して見せた。その刃を鋭い視線で眺めながら、決意を固めるように沈思黙考していた。


 "身内"という言葉に棘を感じた。

 七つ夜の怪異の話で、リルガの狙いも、ロアの立ち回りも伝えている。ロストはその話の中から何かを危惧しているのだ。


 例えば、リルガが身内かもしれない。

 あるいは、誰かが裏切るかもしれない。



「リンピア。君にも頼みたいことがある」

「はい! わたしにできることならっ」

「むしろリンピアにしかできないと思う。怪異の中でだけ発揮する能力だけど」

「わたしの絵のことですか?」


 絵に描けば何でも具現化させる力。

 ロストはそれこそが、もしもの時の頼みの綱だと考えた。

 彼はいつだって切り札を用意しておく。

 どうしようもない詰み(チェック)を、最後の最後で捻じ曲げる機械仕掛けの女神デウス・エクス・マキナだ。



「――わかりました。やってみます」




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