Episode33 二人だけの時間
――さぁ、救世の快感に溺れよう。
「え……?」
振り向くと、シグネ・トイリの屋敷の正門が固く口を閉ざしていた。
周囲では秋の虫が騒がしく合唱している。
どうやら、すっかり夜も更けていたようだ。
「どうしたんだ?」
低く落ち着いた声。
隣にはロア・オルドリッジが、背後の門と同じくらいどっしり構えて整然と立っていた。
いつも通りの相棒だ。
だがリンピアは、一抹の不安を覚えた。
今、幽かに響いた声は確かに耳元……あるいは頭の中で聞こえたのだ。声の主はロアだったか、あるいは別の人物だったか、判然としない。
「ううん。ちょっと疲れたみたい」
「…………」
ロアは何か言いかけたが、すぐ口を噤んだ。
「ロアくんも疲れたんじゃない?」
第三夜が終わって夕暮れのアールグリッジでシグネと遭い、そして夕食をご馳走になって、そのまま第四夜でのあの迷宮だ。
不思議と体力は保ったが、気疲れは溜まった。
そういえば、怪異に巻き込まれるペースが日に日に早くなってる気がする。
「無用な心配だ。俺は体の構造からして普通の人間と違う。疲れは感じない」
「そう……」
リンピアは白熊のエピソードを思い出した。
彼の追体験では、白熊を助けることを選んだロアは、親子2頭を負ぶさって救済して、最後には息を切らしていた。
如何な超人の彼らでも、疲れは感じるのだ。
それが今のロアはどうだろう。
息を切らすどころか、呼吸も感じさせないほど落ち着き、本当に生きているかも疑ってしまう。
本当に、生きているのか――。
"あの人にはもう二度と会えないだろうけど"
黒幕がそう言った。
ロスト・オルドリッジには二度と会えない。
世間に知られなくともこれだけの大事件だ。
それを守護者のうち、ロアだけが対処に当たっているという事実。
そして何より、リンピアはロアを介した魂の時間転移によって、未来で起こる【七つ夜の怪異】を直接、ロストに伝えたのだ。
その条件で、なぜ出向いてこないのか。
不死魔族なら何処かで生きているはずなのに。
深く考えれば考えるほど、リルガの言った言葉が真実味を帯びてきた。
「第五夜で何が待ち構えているかは分かっている。正念場になるかもしれないから、君も休んでおいた方がいい」
ロアは歩き出した。立ち去ろうって気だ。
「ねぇ、ロアくん」
「なんだ?」
「……リルガちゃんが七つ夜の怪異を創り出した張本人だとして、第五夜であの子を殺すの?」
「それが最善の選択ならな」
ロアは振り向いた横顔でさらりと言い放った。
最善とは何なのだろう。
七つ夜の怪異を止めるなら、第四夜でリルガが自分こそ黒幕だと暴露したとき、すぐに決断して捕まえていれば良かったのだ。
リンピアもそう促した。
だが、それをロアは踏み止まった。
第五夜でいずれ邂逅できるから、と。
思えば、あのカミングアウトも唐突だった。
リルガは第四夜のタイミングで何故、急に態度を豹変させ、すべてを明かしたのだろう。
「わたしのスケッチはもう要らない?」
それはリンピア自身の存在価値を尋ねていた。
絵を描く以外に取り柄はない。
当初、七つ夜の怪異の術式を破綻させるため、リンピアは怪異の情景のスケッチを始めたのだ。
「続けてくれ」
「いいけど、意味があるのかな」
神隠しの証拠集めとして始めたことだ。
七つ夜の怪異が滅却できるという確証もない。
「消極的だな。手は尽くした方がいい」
「……わかったわ」
「では」
ロアは再び歩き出そうとした。
「ちょっと!」
「まだ何かあるのか?」
「こんな夜道をわたし一人で歩かせるつもり?」
「む……」
ロアはようやく体ごと振り向き、リンピアと向き合った。
「意外だな。君は人の手は借りない主義かと」
「それとこれとは話が別よ」
ロアくんの気遣いが足りないだけでしょ、と心の中でごねた。勿論、リンピアはロアが独りになりたがっていることは感じていた。
口数も少ない。顔も向けない。
後ろ暗いものがあるように思うのだ。
だからこそ、今は離れたくない……。
「どうせ寝床もないんでしょ。布団なら貸すわ」
「君はその警戒心の低さを改めることだな」
なんと失礼な男だ。
「ばかっ。誰でも家に入れるワケじゃないわ」
「なら俺を招き入れる道理はあるのか?」
「はぁ」
堅物だ。そりゃ自分が魅力的かと問われれば、彼の母親と比べたら見劣りする自覚はある。
だが、ここまで拒まれるとショックだ。
リンピアは愕然として、溜め息を吐いた。
しかしすぐかぶりを振って気を持ち直す。
ロアは色んな意味で世話が焼ける。
こちらが大人になろう。
リンピアはロアに近づき、彼の腕に手を回して身を寄せるようにした。
「これでどう? 理屈なんていいでしょ」
「…………」
返事はなかった。
でもロアの強張った腕が、ほぐれた気がした。
リンピアはそれだけで満足だった。
怪異に巻き込まれる不安はあった。
夜道を二人で歩く。突然そんな雰囲気をぶち壊しにされ、あの悍ましい屋敷に取り込まれ、リルガやトカゲ神父との戦いが始まるのだ。最悪。
街の暗がりはトンネルかもしれない。
そこに足を踏み入れたら最後、一瞬で転移だ。
幸いにもそうはならなかった。
せめて、お互い床に就いて寝付くまで、この現実世界にいさせてほしい。
――ねぇ、ロアくん。
寝静まった街の空気の冷たさ。
ロアの逞しい腕を胸に感じながら、リンピアは呟くように吐息を漏らした。
――ロアくんは長生きなんでしょ?
彼の生返事が乾いた空気に溶けた。
――人と別れるとき……辛くなかった?
応えは無かった。意図は十分伝わっただろう。
不死の気持ちは分からない。だが、少なくとも別れがあったはず。
それに一番聞きたかったことは他にある。
家族みんな不死なら、彼の家族は今どこに?
それは口が裂けても聞けなかった。
部屋に着いた。
多少散らかってたが、血の盟約で繋がった間柄。
今更隠す物はない。恥ずかしくもなかった。
お茶を淹れて一息。会話はない。
当然だ。眠いし。
そして最低限の寝支度。そこで思いついた。
「そうだ。明日は街へ遊びに行こっか」
「……なに?」
「わたしたち、ずっと怪異の中だけだったし、普通のお付き合いがまだでしょ」
「…………」
ロアは気でも狂ったかという眼差しを向けた。
違う。違うんだよ、ロアくん。
「お勧めの喫茶店があるの。友達がやってるんだけど、ロアくんのことも紹介したいし。あと絶景スポットとかも詳しいわ」
「遊んでる状況じゃないと思うがな」
「七つ夜の怪異のこと?」
「その通りだ」
堅物の顔を正面に見据える。
リンピアは行儀よく座り、真似るように真顔を向けた。
「リンピア。さっきから様子がおかしいぞ」
「じゃあ聞くけど、ロアくんはいつ遊ぶ状況になるの?」
戸惑ったようなロアの童顔。
こうして見ると300年も生きたなんて嘘だ。
まだ人生経験も浅い若造じゃないか。
「ロアくんとわたしはいつ遊べるんですか?」
同じ言葉を、今度は敬語で並べてみた。
「遊ばない。そんなことして何になる。俺は守護者としてやるべきことが――」
「守護者とか何とか、どうでもいいよっ!」
怒りの混じった張り詰めた声。
リンピアのいつにない怒りに面食らったロアは、少し仰け反って硬直した。
「ロアくんは明日わたしと遊びます。デートします。これは命令。いい?」
「……ああ、わかった」
どん引かれた。リンピアはそう思った。
ワガママな女に思われただろうか。
でも必要なことだ。結果叶うならそれでいい。
変な空気のまま、別々の布団で就寝した。
本音を云うと、リンピアは彼と抱き合って眠りたかった。
その動機は恋慕だけじゃない。
ロアが遠くへ行ってしまう気がしたからだ。
他の消えていった人間や亜人、彼の家族と同じように、ロア自身も消えてしまう気がした。
先ほどの深夜の帰り道、相変わらずロアの体温が冷たかった事実が、リンピアの胸をずっと締め付けていた。
◆
何度も夢に見た。この荒野を。
ロアと血の盟約で繋がって以来、ずっと。
無限に続く荒野と骸の山。
空を穿つ、黒い大穴が広がる憧憬だ。
そこでロアは一人、遠くを見ていた。
誰かの影を追っていたのだと思う。
でもどうしても届かないと、彼は諦めにも近い胡乱な表情で黒点を仰ぐ――。
ロアは幸せなのだろうか。
殺伐とした世界を駆け巡り、休むこともなく、笑うこともなく、そんな日々を何百年と過ごした。
――仕方ないよね。あなたの願いなんだから。
――そんな理想に囚われているんだから。
◆
「はい。どうぞ」
「なんだこれは」
「アイスクリーム。知らないの?」
「知ってるが、なぜ俺に渡す?」
アールグリッジでも有名なアイスクリームの出店は常に行列ができている。
だが、その日は運よく客足が少なかった。
リンピアは咄嗟に駆け寄って、2つ注文すると、即座にロアのもとへ戻って手渡した。
「一緒に食べようってことよ」
「……」
ロアはつまらなさそうに受け取った。
この朴念仁。腹を拳で軽く殴った。
今のリンピアは差し詰め、強引なワガママ系彼女といったところか。
勿論、普段は違う。
この堅物を連れ回すには少し強引な雰囲気でやり通さないとデートが成立しないと思い至った。
「さ、ここに座って」
公園のベンチに座り、長閑な街の風景を眺める。
平和だった。街の人間は、まさか世界の裏側で【七つ夜の怪異】なんて超常現象が起こっているとは露にも思ってないだろう。
そこ行く女の子も、ご老人も、明日には存在ごと抹消されているかもしれないというのに。
本来なら亜人種も街を闊歩していたはず。
この世界がそもそも不自然な形に収まっている。
「なんか、不思議だよね。この光景」
「俺にはリンピアの変わりぶりが不思議だ」
「こら。こういうときは雰囲気を壊さないの」
「……すまない」
ロアは女っ気が無さすぎる。
娯楽を知らないにも程があろう。
今だって、新調したばかりの服の襟にアイスクリームの白を付けてしまっていた。リンピアは、まるで子供にするようにハンカチで拭き取ってあげた。
普段は戦場で、胴衣か鎧かのどちらかしか着ないせいで、襟つきの服に慣れないのだろう。
服の試着をしていたときも、このビラビラは何の役に立つんだ? と服の襟を引っ張って邪魔そうにしていた。
役になんか立たない。見た目の問題だっての。
それから街を周遊して名所は行き尽くした。
喫茶・月光亭はどうしようと思ったが、イルマを混乱させると思って止めた。
親友たちへの紹介は、すべてが終わってからで十分だ。
最後、街の時計台に登った。
アールグリッジ市街の中心には時計台がある。
屋上に出たり、時計の裏側を見学できたり、それなりに充実した場所だ。
時計裏の歯車の噛み合う音が絶え間なく続く。
ロアはその様子をじっと見つめていた。
最後の最後でやっと気に入ってくれたようだ。
「よかった。ロアくん、時計好きなんだ?」
「これらが刻む音は心地良い」
変わった嗜好だった。
時計の音なんて、夜中に一度気にしてしまうと、それから耳にまとわりついて、なかなか寝付けなくなることもある。
「時計は急に遅くなったり、後戻りしたりしない。正確に時を刻むために、歯車が一定のペースで働き続けるんだ」
「そりゃ時計だし。不規則に動いたら困るよ」
「そうだろう?」
「うん? ……うん」
リンピアはなぜか戸惑った。
諭すようなロアの物言いに圧迫感を感じた。
「守護者は、この歯車と一緒だ」
「またそんなこと言って……」
「正確な時を刻むために働き続ける。それがこの世界での俺の役割だからな」
「……」
彼はひょっとすると心の病かもしれない。
強迫症のように固執してる。
歯車と同じ? 世界のために働き続ける?
そんな世界、さぞ嫌って当然だ。
ロアの節々から感じる、方方に向けた憎悪の正体はこれかもしれない。
最後に此処を選んだことを少し後悔した。
ただ純粋に楽しんでほしかったのに。




