第五話 青柳綾子④
ツッコミを入れたくなる気持ちをぐっと堪え、佳苗は青柳の話に耳を傾けた。
「性質の悪い三人の不良グループがいてな。彼らがトイレで煙草を吸っているのを、大津先生が偶然見つけたんだ。大津先生はすぐに叱りつけたらしいんだが、逆に脅されていた。そこに、わたしが駆けつけて……大津先生は怯むことなく、まっすぐに彼らを見ていた」
その時の大津を思い出してか、青柳の頬がほんのりと赤く染まった。
「あの気弱そうな大津先生が……?」
「ああ――信じられるか? 相手は、自分よりもガタイのいい不良三人だぞ。教師だって人間だ。胸倉を掴まれれば恐怖に怯えるし、殴られれば心が折れもする。だが、大津先生は教育者であり続けた。気弱そうに見えて、芯の通った……とても素敵な人だ」
青柳の短い説明の中に、確かな想いを感じて、佳苗の目頭が熱くなった。
「それで、どうなったんですか?」
「ん? ああ。連中がまた殴りかかろうとした時にな。ついカッとなって、わたしが全員投げ飛ばしてしまった」
「それは、痛快ですね」
恐らくは、その時に現れた青柳がヒーローに見えて、大津も青柳のことを好きなったのではないだろうか――そんなストーリーが、佳苗の脳裏に構築された。
青柳が足を崩して立ち上がる。
「君たちには、恥ずかしいところを見られてばかりだな……なんとも、情けない。すまないが、そろそろ失礼するよ。部活動に行かなければ――」
「先生」
「ん?」
「わたしは、先生と大津先生は結ばれるべきだと思います!」
「え? あ、ああ、そうか?」
突然、佳苗に真摯な眼差しを向けられ、青柳は恥ずかしそうに頬を掻いた。
「優菜ちゃんの言う通り、少し強引に迫ったほうがいいと思います。でないと、進展が見込めません。恋人になるころには、お二人ともおじいちゃん、おばあちゃんですよ」
「そんなにかっ!?」
「そんなにです」
青柳はガックリと肩を落とした。
「できるならそうしたいんだがな。いざ二人で向き合うと、緊張してしまって……頭が真っ白になるんだ」
「別に、押し倒せとか、そういう話をしているんじゃないんですよ」
優しく微笑んだ佳苗に、青柳が「うん?」と小首を傾げた。
「異性として強引に迫れないなら、教育者として強引に迫るんです」
「……? どういうことだ?」
「まずは胸襟を開いて語り合わなければ何も始まらない、ということですよ。手を焼いている生徒について大津先生がどう思っているか、とか。この学校の教育方針はどう思うか、とか。さりげなくそういう話を振る時間ぐらいはありますよね?」
「あるにはあるが――」青柳が後ろ首を撫でて言う。「例えるなら、わたしは信長、大津先生は家康だ。意見がぶつかってしまうと思うぞ」
「そこです!」佳苗は机に両手をつき、身を乗り出した。「お互いの意見を真っ向からぶつけ合ってみませんか? その熱で、お二人の間にある壁が崩れるんです! 大丈夫です、百戦錬磨のわたしを信じて下さい!」
「……百戦錬磨?」
佳苗はハッとして右手で口を抑え、視線を逸らした。
「もしかして君は……いわゆる、その……男性経験が豊富なのか?」
そう続けた青柳に、佳苗は顔を真っ赤にして、ドンと胸を叩いてみせた。
「そそそそ、そうなんですよ! 百人切りの氷川とはわたしのこと! ザ・恋愛マスターです!」
――バーチャルの世界で、ですけどおおおぉぉ!!
新作の乙女ゲームをいち早く購入しては、誰よりも早く攻略法をネット上に掲載していた中学時代の佳苗。ついに攻略したゲーム数が百を超えた時、ネット上の同志たちから敬愛され、『百人切り』の二つ名がつけられた。
「なんというか……人は見た目によらぬものだな。心強いが、とっかえひっかえもどうかと思うぞ?」
――ビッチ認定されちゃったあああぁぁ!
佳苗が頭を抱えて嘆いていると、優菜が戻ってきた。
「先生、来週の火曜日の放課後、空いてます?」
「ああ。昨日もそうだが、毎週火曜日が部活動の休みだからな」
「じゃあ、わたしの家に来てください。そこで、作戦会議を開きます」
「わたしが行ったら、親御さんが気を遣うだろう」
「お母さんは夜遅くなりますから。お父さんはいますけど、邪魔なのでどっか行ってもらいますから」
――お父さんかわいそう!
「いや、しかしだな――」
「来てくれないと、ばらしますよ?」
伝家の宝刀を持ち出した優菜。青柳は、ただ黙って項垂れるしかなかった。