最終話 初秋の放課後と、小さな日常
付き合い始めてから二ヶ月が過ぎ、季節はすっかり秋の深まりを見せていた。
校庭の木々は黄色や赤に色づき、放課後の教室に差し込む夕陽は、夏の頃よりもどこかわずかに長く影を引いている。
「真央、このあと時間あるか? 一緒に生徒会室に資料持って行ってほしいんだけど」
誰もいなくなった教室で荷物をまとめていた真央に、葵が声をかけてきた。陸上部の練習着のまま、額にうっすらと汗を浮かべた葵が、ドアの隙間からひょっこりと顔を覗かせている。
「生徒会室? 図書委員の月次報告か。いいぞ、ちょうど終わったところだ」
真央は手早く鞄のファスナーを閉めると、席を立った。
以前なら、放課後に男子と二人きりで校内を歩くことすら「周りにどう見られるか」「男としての自尊心が……」などとウジウジ悩んでいた。だが、今の真央の足取りは驚くほど軽い。
前世の記憶や三十歳の男としての誇りは、消えてなくなったわけではない。仕事でトラブルが起きた時の対応力や、冷めた大人目線での冷静さは、今でも真央の助けになっている。
けれど、「男か女か」という不毛な葛藤は、夏祭りの夜に葵と想いを通じ合わせて以来、綺麗さっぱり消え去っていた。今の自分は、過去の記憶も今の姿もすべてひっくるめた「新開真央」なのだ。
渡り廊下を歩く二人の影が、オレンジ色の床に並んで伸びている。
「なぁ真央」
「ん、なんだ?」
「次の日曜日さ、映画観に行かないか? ほら、真央が前に面白そうだなって言ってたSFのやつ」
葵がチラリと真央の顔を伺うように見てくる。真央は思わずクスリと笑ってしまった。
「なんだよ、言い出しづらそうに。断るわけないだろ。行くに決まってる」
「よかった! いや、最近週末はずっと陸上部の大会予選で潰れてたからさ……久しぶりに二人で出かけられると思って」
嬉しそうに目尻を下げて笑う葵。その無邪気な表情を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなる。
真央は周りに誰もいないことをサッと確認すると、ポケットの中で丸めていた自分の手を、葵の大きな手のひらにそっと滑り込ませた。
「っ……真央?」
「誰も見てないからいいだろ。……いつもお前ばかり手をつないでくるから、たまにはこっちからだ」
少しだけ意地を張った言い方をしてみる。前世の男っぽさが抜けきらない口調だが、葵はそれが真央なりの照れ隠しだと知っている。
「……ずるいな、そういうの」
葵は嬉しさを隠しきれない様子で、真央の細い指を優しく握り返した。葵の体温が、指先からじわじわと全身に広がっていく。
「あ、そうだ。映画のあとはカフェ行こうぜ。真央、甘いもの好きだろ?」
「おい、俺……じゃなくて私を女子扱いして甘党決めつけるなよ。……まあ、行くけどさ。パフェ食いたい」
「あはは! どっちなんだよ!」
廊下に二人の軽やかな笑い声が響く。
前世の真央は、毎日満員電車に揺られ、深夜までパソコンの画面と向かい合い、誰かと深く心を通わせることもなく人生を終えた。あの頃の自分から見れば、こんな眩しい青春や、誰かを愛おしく思う感情なんて、物語の中だけの絵空事だと思っていた。
だけど、一度人生を奪われ、性別すら変わってしまったこの世界で、真央はかけがえのない宝物を見つけたのだ。
「葵」
「ん?」
「……ううん、なんでもない。日曜日、楽しみにしてる」
「おう! 俺も楽しみ!」
繋いだ手に少しだけ力を込めながら、真央は茜色の空を見上げた。
過去の自分に誇れるような、そして新しい自分として歩んでいくための、愛おしい日々がここにある。
(生まれ変わったのがこの体で、出会ったのがお前で……本当によかったよ)
心の中でそっと呟いた言葉は、秋の心地よい風に溶けて、どこまでも高く広がっていった。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
初めての作品ということでとても短くなってしまいました。
この作品は「前世の記憶と現在の身体の間で揺れる葛藤」と「性別を超えた真っ直ぐな恋」をテーマに執筆しました。真央が自分の葛藤を乗り越えて葵の手を握るシーンは、私自身も特に思い入れ深く書いています。
また別に物語で会えることを楽しみにしています




