第1話 安心で豊かな暮らしを提供します。
私はレイア。たぶん普通の高校生…。
家からバスと電車を乗り継いで一時間。世界屈指の一流IT会社「ニューホライズン社」の巨大な本社ビルが見える辺りに、私の通う高校はある。窓の外に流れていく灰色のビル群を眺めながら、今日も同じ景色に少しだけ息が詰まる。
この頃、思考最適化と謳う「ノーシンクシステム」が話題を呼んでいた。
思考と感情を制御し、争いをなくし「安心で豊かな暮らしを提供します」という言葉が何度もニュースで繰り返されていた。
そして、入学して数週間。私はまだクラスの誰とも深く馴染めていない。それでいい、と思っている自分がいる。深く関わらなければ、深く傷つくこともない。
放課後、図書室に忘れ物を取りに戻った帰り道だった。渡り廊下の角を曲がった瞬間、誰かとぶつかりそうになる。
「あ、ごめん――」
顔を上げた瞬間、時間が止まった気がした。
背が伸びて、声も少し低くなっていたけれど、その目の強さは変わっていなかった。小学生の頃、いつも私を庇ってくれた、あの目だ。
「……レン?」
相手も一瞬固まって、それから驚いたように目を見開いた。
「レイア? え、うそ、レイアなのか?」
「久しぶり……全然気づかなかった」
「俺もだよ。背、伸びたな」
懐かしさと気まずさが混ざったような、変な沈黙が数秒流れる。それでも、口元が勝手に緩んでしまう。あの頃と同じ、安心する感じがした。
「同じ高校だったんだ。今までどこにいたの?」
「引っ越し続きでさ。今年こっちに戻ってきたんだ」
もっと話したかった。けれど、その空気は長くは続かなかった。
渡り廊下の先から、数人の男子生徒が近づいてくる。制服の着崩し方と、纏う空気の悪さで、上級生だとすぐにわかった。先頭の一人がレンを見つけると、わざとらしくにやりと笑う。
「おー、いたいた。お前、今日の返事は?」
レンの表情がわずかに強張る。
「……まだ考え中です」
「考え中って、何回言わせんの? こっちは優しく言ってやってんのに」
一人がレンの肩を小突く。強くはないけれど、明らかに威圧するための動きだった。周りの生徒たちが、見て見ぬふりで足早に通り過ぎていく。誰も止めない。
昔と同じだ。
小学校の廊下の隅で、私が同じように囲まれていたときのことを思い出す。誰も助けてくれなくて、うつむくことしかできなかった。そこに割って入ってくれたのが、レンだった。
「やめなよ」――あのときの声が、耳の奥でよみがえる。
気づけば、私は口を開いていた。
「――やめてください」
自分でも驚くくらい、はっきりとした声が出た。上級生たちの視線が一斉にこちらを向く。
「あ? 何、お前」
「関係ない人は黙ってろよ」
「関係、あります」
心臓は痛いくらい鳴っていたけれど、足は止まらなかった。レンと上級生の間に、自然と体が入る。
「レンは私の……大事な友達です。用があるなら、私も一緒に聞きます」
一瞬の静寂。先頭の男子が値踏みするようにこちらを見て、それから舌打ちした。
「……チッ、今日はいいわ。またな」
そう言い残して、上級生たちは去っていった。緊張の糸が切れて、その場にへたり込みそうになる。
「……大丈夫か、レイア」
「うん。それはこっちのセリフだよ」
振り返ると、レンが少し困ったような、それでいて嬉しそうな顔で笑っていた。
「まさか、助けられる側になるとはな」
「昔の借り、少しは返せた?」
「十分すぎるくらい」
夕焼けに染まる渡り廊下で、私たちはしばらく黙って立っていた。あの頃と同じ人。でも、あの頃とは違う時間を、私たちはもう生きている。
――このときの私はまだ知らない。この再会が、これから始まるすべての歯車のひとつだということを。




