第80話:黒枯れのヒュドラ
昼過ぎの樹海。
空に広がる一面の分厚い雲は太陽の光を弱め、森の中に影を落としている。
森の南の境界地点では、数千もの黒枯れの魔物達との決戦が続いていた。
魔導産業連邦ガルドの技術将校、ヴァルターによる背後からの奇襲を退けたレン。
正面の戦場ではレンの魔法で作り出した樹木兵が、魔物達と激しい戦闘を続けていた。
「ふう、忙しい時に限ってアポなしでお客さんが来るんだよね、まったく。今度こそ諦めてくれるといいんだけど」
「レン様を敵に回すということは神を敵に回すということと同じです。人間達がいかに愚かな生き物であるといえど、流石に懲りたのではないでしょうか」
「でもバルトロは強欲な商人としても有名ニャ。油断はできないのニャ!」
高台のレンとリィネ、高木の上で戦場の監視と報告を続けているシャノア。
それぞれに設置されたスピーカーからはお互いの声が聞こえていた。
「樹木兵の皆さんも頑張ってくれてるし、このまま終わるといいんだけどな……」
眼下では次から次へと奥の森から現れてくる無数の黒枯れの魔物達に対し、百体の樹木兵がその大きな枝をブンブンと振り回して激しい戦いを繰り広げている。
時折やられる樹木兵はレンの魔法によって迅速に補充され、戦線を押し上げ始めていた。
その時、レンのそばにあるスピーカーから新たな報告が聞こえてくる。
「レン様!奥から大きいのが出てきたニャ!あ……頭がたくさんある大蛇なのニャ!」
ズズズズズズ……
レンたちの待つ戦場に向かって蛇行してくるのは体長十五メートルはある、黒枯れのヒュドラであった。
小さな山のような大きなその大蛇は、体は蛇であるものの、九つもの頭がウネウネとそれぞれに動きまわる。
その体や頭からは黒枯れの泥がボタボタと落ち、強烈な瘴気を放っていた。
ギイイイシャアアアアアアァァッ!!
戦場にその咆哮がこだまする。
ヒュドラは巨体を揺らし、他の黒枯れの魔物達を蹴散らしながら樹木兵の待つ虎口内へと蛇行突進してくる。
ズドオオオオン!
ヒュドラが樹木兵に勢いよく衝突した。
その次に頭の一つが立ち上がり、樹木兵へと斜め上から一気に振り下ろされる。
バァン!……ズウンッ!
強靭な樹木兵がその衝撃に耐えきれず、地面の上に転がされた。
シュウウゥゥ……
ヒュドラの一撃を喰らった樹木兵は、ヒュドラの首が当たった場所から白い煙が立ち上がる。
そこからあっという間に木全体が黒くなり、動きを止めた。
バァン!……バァン!……
ヒュドラは九つの首を自在にあやつり、一体また一体と凄まじい勢いで樹木兵を倒していく。
その光景に驚愕するレン。
「な、なんだあいつは!?こうなったら数で勝負だ!―――樹木兵召喚!」
レンは開拓者の万能剪定鋏を振り下ろし、次々と樹木兵を補充していく。
樹木兵たちが黒枯れのヒュドラを囲むものの、いとも簡単に蹴散らされる。
ギイイイシャアアアアアアァァッ!!
ヒュドラは大きな雄叫びを上げると、九つの首を全て持ち上げ、顎を大きく開いて大きく息を吸い込んだ。
次の瞬間。
ブワアアアアアアアアアアアアアアアアア……
目の前に群がる樹木兵たちに向け、九つの頭から一斉に猛毒の息を吐きかけた。
戦場一帯にいる百体の樹木兵は、ヒュドラに近いところから黒く枯れ始め、扇状にどんどんと黒枯れが広がっていき、黒い泥となって消滅していく。
また、付近にいた黒枯れの魔物達もまたその猛毒には耐えきれず、倒れていく。
樹木兵はそのほとんどが黒枯れに汚染され壊滅、戦場にはヒュドラとレンたちだけが残されていた。
「九つの頭……猛毒の息……ヒュドラじゃないか!ギリシャ神話に出てくるやつだぞ!僕の樹木兵がこんな簡単にやられるなんて!」
ズズズズズズ……
レンとリィネのいる高台に向かってゆっくりと蛇行してくるヒュドラ。
「作戦変更します!遠距離攻撃で迎え撃ちます!―――暴れる蔓!」
レンはヒュドラの足元の方に向かって剣を振り下ろす。
ヒュドラの地面からは巨大な蔓が出現し、その胴体にグルグルと巻き付くと空中に持ち上げた。
しかし。
シュウウゥゥ……ズン!
蔓が途端に黒く枯れ、一メートルも持ち上がらないうちに拘束が解け、ヒュドラは再び地上に降り立った。
黒枯れのヒュドラが身にまとう泥には、元々持っている毒に加え、黒枯れの毒性が合わさったことで、触れたものを瞬時に浸食するほどの強力な猛毒へと変化していたのだ。
「ぐうっ!」
レンの右手に黒枯れによる反動が伝わる。
焼いた鉄を当てたようなビリビリとした強い痛みが右手の甲に走り、顔を歪め、思わず左手で右手を押さえた。
「レン様!」
心配するリィネ。
「大丈夫。これくらいなら……」
レンの額からは大粒の汗が流れ落ちている。
再びゆっくりとレンに向って蛇行し始めるヒュドラ。
「紅蓮の枯葉ッ!」
ヒュンッ!……ドドドドドドドドンッ!!
レンがヒュドラの足元を爆発させるが、分厚い黒枯れに覆われたヒュドラにはまったく効かず、そのまま進んでくる。
「はあっ!」
ビュウゥンッ!……バスッ!
リィネの弓から突風を伴った矢が放たれ、ヒュドラの首に突き刺さる。
シュウウゥゥ……
しかし、その矢もあっという間に黒く枯れてしまう。
「こうなったら力ずくでその足を止める。―――境界の茨!」
ヒュドラの眼前に大きな茨の壁がせり上がる。
グルルルルルルルルル……
ヒュドラは唸りをあげると、いくつかの首を高く持ち上げ、バンバンと壁に打ちつける。
叩かれた茨の壁は破壊され、その部分から黒く枯れていく。
「くそっ!これならどうだっ!」
レンは茨の壁を何重にも重ね、五メートル以上もの厚みのある防壁を作り出した。
ギイイイシャアアアアアアァァッ!!
ヒュドラは大きな雄叫びを上げると、九つの首を全て持ち上げ、猛毒の息を吐きだす。
分厚い茨の壁はヒュドラに近い所から黒く枯れ始め、あっという間に全体が黒くなり、黒い泥となって消滅した。
「だめだ!このままでは倒せない!近接戦闘に作戦を変更します!ガストさんは前衛で僕と一緒に!シャノアはコイツのひきつけとかく乱をお願い!」
「はいニャ!」「王の仰せのままに」
配置変更の指示で動き出すガストとシャノア。
「私はいかがいたしましょうか……」
「リィネさん、君は援護射撃をお願い。相手がヒュドラならこれが役に立つはずだ。僕が合図したらこれを使って」
そう言ってレンは矢の束をリィネに渡す。
「じゃあ、行ってくる」
「ご武運をお祈りします……」
リィネに見送られ、眼下の虎口へと巨大な蔓を足場にして降りていくレン。
「できれば安全に戦いたかったな……でも、大きな成果を出すにはリスクを許容するのもやむをえない……か」
呟きながら蔓の上を歩く。
「もし、無理な戦いでみんなが……いや……僕がそうさせない……上司である僕がみんなを守ってみせる」
レンは地上に降り立ち、ヒュドラの元へと走る。
ヒュドラの周りをグルグルと走り回るシャノア。
ヒュドラは首を持ち上げて次々とシャノアに向かって振り下ろすが、ピョンピョンと軽やかにかわすシャノア。
「ニャハハハハ!図体がでかいだけでスピードは大したことないのニャ!」
ガストは、シャノアがかわした隙をみて攻撃しようと考えていたが、近づけば次の頭に攻撃されるため、隙を見つけられずにいた。
「むうう……どうしたらよいものか……」
巨大な包丁でもある大剣を構えて佇むガスト。
「ガストさん、お待たせしました。僕が一番端の頭に攻撃してひきつけますので、その隙に首を切り落としてください」
「かしこまりました」
レンは剣をヒュドラの頭の一つに向ける。
「種子弾・紅蓮の枯葉!」
ズドドドドドドドドドド!……ババババアアンッ!!
剣先から放たれた弾はレンとガストに最も近い頭に着弾するが、黒枯れの泥に覆われたヒュドラにはほとんど効いていないようであった。
ギイイイシャアアアアアアァァッ!!
「うっ……」
間近で聞かされた大音量の咆哮に思わずうろたえるレン。
その瞬間、レンに向かってヒュドラの頭が振り下ろされた。
ドオン!
間一髪で右に跳んで避けたレンだが、左の腕をヒュドラの頭がかすった。
その瞬間、ガストの大剣がヒュドラの首をめがけて振り下ろされる。
ズバァ!
ヒュドラの首は切り落とされ、その断面からは赤黒い血のような液体がドロリと垂れる。
まずは一つと喜んだのもつかの間、レンの左腕に激痛が走った。
ジュウウウゥゥゥ……
「うあああ!」
レンは突然の痛みに叫び、左腕を見る。
そこには服が溶け、黒枯れの泥がジュウとレンの左腕を焼いていた。
痛みによる冷や汗が止まらないレン。
すぐさま右手を左腕にかざし、黒枯れを浄化する。
しかし、黒枯れの反動によって右手にもまた激痛が走る。
「ぐああああああああ!」
その場でしゃがみ込み、痛みに耐えるレン。
魔力を流し続け、黒枯れが次第に薄くなり、腕には火傷の跡だけが残る。
「ふう……はあ……よし、もう大丈夫……」
「れ、レン殿!あれを!」
ガストの声に顔を上げるレン。
そこには信じがたい光景が広がっていた。
先ほど切り落とした首の断面がボコボコとその内側から隆起し始めていた。
そして、そのまま断面から一気に肉が飛び出したかと思うと元の首へと再生したのだ。
「な!……やっぱりか……」
黒枯れに汚染されたヒュドラ。
九つの頭を持つその大蛇は、猛毒という武器だけでなく、首を切り落としても再生するのであった。
倒しようがない敵との戦いに絶望的な雰囲気が流れる。
しかし、レンの目はまだあきらめていなかった。
「神話と同じか……ならば……」
レンは立ち上がり、再び剣を構えるのであった。




