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終章 『鐘』

 やかましい一日だったと、スタイアは思う。

 まあ、こんな夜も悪くは無いかと思い直すと、静かに自分の杯を傾ける。

 夜も更け、タマは海洋亭の私室に帰した。

 暗く、灯りを落とした店内に残るのは酌をするラナだけだった。

 喉の奥に流し込んだエールが頭の奥を心地よく押しつけてくれる。


 「……ご苦労様です」


 普段、自ら喋ることなどの無いラナが小さく頭を下げていた。

 スタイアは甘えたくなるが、苦笑して返してみせた。


 「ラナさんも……お疲れ様でした」


 ラナは決して、そう、決して人に見せることの無い微笑を浮かべる。

 そっとスタイアに顔を寄せると、スタイアはその頬を優しく撫でる。

 唇を重ねようと吐息を近づけるが、二人はふと、我に返る。

 暗く、暗く沈む店の闇に紛れ、その気配はじっと二人を見ていた。


 「やれやれ、不粋なお客さんもあったものですね」


 スタイアは闇の中を見つめると、苦笑してみせる。

 闇の中から静かにパーヴァがその小さな羽をはためかせて覗いていたのだ。


 「失敬した。幾分、この身だ。ラザラナットが言うように人とは面白いものだな?」


 パーヴァは喉の奥を鳴らして笑うと、ラナをからかった。

 スタイアは苦笑するとラナを促す。

 ラナは憮然と、だが、逃げるように厨房の奥へ戻るとミルクを温め始める。

 パーヴァは満足したようにいやらしい笑みを浮かべるとスタイアと向き合う。


 「しかし、夜分遅くに珍しいですね」

 「殺されると思ったか?」

 「少しは……なんせ、魔物のお姫様に手を出そうとしてましたから」


 パーヴァはその冗談に笑った。


 「心まで奪っておいてよくいったものだ」

 「あら、そうなんです?自覚は無かったんですが……困ったなぁ。他の子と遊べなくなっちゃうなぁ」


 冗談に飽きたパーヴァは鼻を鳴らす。


 「鐘は鳴り、王は斃れた。魔王ヨッドヴァフ・ザ・サードは狂気に触れ、魔物と通じこの国を生贄に差しだそうとした。古の盟約を知らせることもなく、果てた王は無惨よな。この国の怨嗟の全てを背負って死したのだから」

 「僕であっても、そうしたでしょう」


 スタイアが淀みなく、静かに答える。

 パーヴァはスタイアの裏に悲壮なまでの覚悟があったことを知ると鼻を鳴らす。


 「詭弁だな。とどのつまりは民に強いる強さがなかった訳ではないか」

 「だからこそ、誰よりも強くあらねばならなかった」


 パーヴァはこれ以上は無意味だと悟ると、真剣な面持ちで尋ねる。


 「貴様、鐘をどこにやった?」

 「鐘?」

 「……ラグラ・ディンゴ。退魔の鐘。聖剣グロウクラッセと共にヨッドヴァフに伝わった伝説の鐘。魔を払い、人の地平を切り開いたニザリオンへの警鐘の鐘。永きに渡り失したあの鐘を私は聞いた」


 スタイアはしばし、思案する。

 そして苦笑した。


 「そんなもの、どこにもありはしませんよ」

 「嘘をつくな。私は知っている。この国の興り、ヨッドヴァフが遠くウィルヘミナの系譜にその鐘を隠匿するように仕向けた。ラザラナット・ニザはその鐘を預かり、来るべき日に備えていた。なれば、その下に仕えていたお前がその在処を知っていてもおかしくはあるまい」

 「……心配しすぎなんですよ。パーヴァ」


 スタイアは静かに手を伸ばし、パーヴァの頭を撫でた。

 まるで子供のように頭を撫でられ、パーヴァは背筋がぞくりとする程の殺気を帯びる。


 「聖剣グロウクラッセが栄光の象徴として国教を支える聖フレジア教会に預けられたのであれば、退魔の鐘は誰に預けるべきだったのか。そもそも、退魔の鐘って名前、誰がつけたんでしょうね」


 パーヴァは眉を潜め、スタイアに撫でられるままにしておく。


 「要するに、物なんですよ」

 「物?」

 「物の要。戦場において、斬ることを目的とした剣グロウクラッセ。これは、理解できる。暴力に対する暴力。ただ、その目的を栄光にすり替える必要が平和な時代に必要であった。それであれば、鐘という物が果たす役割は何であったのだろうか」


 パーヴァは訝しげに、スタイアを見上げる。

 スタイアは面倒くさそうに立ち上がると、店の入り口に立つ。

 古びたウェスタンドアに繋がれた紐が天井に吊したドアベルに伸びている。

 スタイアは背伸びをするとそのドアベルを外し、パーヴァの前に置いた。

 小さな、鐘だ。


 「もし、恐ろしいなら持っていってくださっても構わないですよ?」

 「……これが、ラグラディンゴ?」

 「鐘は、伝えるものです。人の声が届かなくても、確かに、伝える。時、意思、哀しみ、そして、喜び。古くのヨッドヴァフには根深く残っていた魔物への恐れがありました。だから……退魔の鐘なんて呼ばれたんでしょうね」


 スタイアは溜息をつきながら小さく鐘を慣らす。

 ちりん、と澄んだ音が響いた。


 「鉄鎖解放戦役が終わった後、この鐘は自由を告げる鐘になるべきだと思いました」


 パーヴァは黙ってスタイアの言葉を聞いていた。


 「形が無いだけに厄介ですよ。自由というのは。ですが、確かに存在する。なら、それを知らせてあげる鐘にすれば、救われるんじゃないでしょうかと僕は思っただけです」

 「……なんと、まぁ」

 「傑作でしょう?」


 スタイアは手の中で鐘を弄ぶと、いたずらがばれた子供のような顔をした。

 それが可笑しくてパーヴァも笑う。

 程なくして並々と注がれたミルクの入ったカップを持ってラナが現れた。


 「……時代は変わるだろうな」


 パーヴァは衣服を脱ぎ捨てると、ラナが置いたカップに入る。


「ええ、変わります」

 「疲弊したこの国を狙い、多くの思惑が動き始める」

 「でしょうね」


 肯定するスタイアにパーヴァは嬉しそうに笑う。

 白濁した乳を腕に滑らせ、パーヴァは羽についた乳を払う。


 「正しく隣人となった魔物は、人に躊躇うことをしない」

 「だからこそ、退魔の鐘を退けようと思ったんでしょうさ」

 「……知っていたか」


 パーヴァが苦笑し、スタイアは片目を瞑って返した。

 ほんの僅かの間、パーヴァは黙って湯浴みを楽しむ。


 「真にヨッドヴァフが戦うべきは、それだけじゃないでしょうに」


 スタイアは目を細めて告げた。


 「……この国の権益を狙い、他国の間諜が入り込む。幼き王を頂きに置き、古くからの権者もその力を拡大するために暗躍をはじめるでしょうね」

 「私はそうして滅んだ国をいくつも知っている」


 パーヴァはどこまでも残酷な笑みを浮かべた。


 「来るだろうよ。激しく差し込む栄光の光を求めて日の当たることのない暴力が支配する暗黒の時代が。スタイアよ、お前は何を斬る」


 スタイアはパーヴァから目を逸らし、どこまでも遠くを見つめて溜息をついた。

 曲がった背中は弱々しく、垂れ下がった肩は力無い。


 「流転千景、雨夕晴朝、また風も命脈を惜しみ、構えといいます」


 吐き出した言葉にも、重みは無い。


 「金貨五枚で斬りますよ」


 苦笑して見せる。


 「全ての、不条理」 


その背後に立つラナが、静かに、だが、どこか疲れた溜息を落としていた。

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