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Dingon・Dingon~『誰が為に鐘は鳴る』~  作者: 井口亮
第一章 『ヨッドヴァフの魔王』編
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最終章 『誰が為に、鐘は鳴る』 16

 レオ・フォン・フィリッシュは悲嘆に暮れていた。

 力なく倒れた王を背負い、人気の無くなったヨッドヴァフを歩いていた。

 鳴り響く鐘の音がどこまでも優しい。

 サウスグロウリィストリートに流れる水路にかかる橋に王を横たえると、レオは王の顔についた赤い血を拭った。


 「……私に構うな。捨て置け」


 王は震える声で、そう告げた。

 レオは哀しみにうち震える。


 「どこの世に、王を捨て置ける騎士がございましょうかっ……」


 王はどこか遠くを見つめ、静かに息を吐いた。


 「なれば、斬れ。それが、我が望み」


 レオは不覚にも、涙を流した。

 斬らねば、ならぬ。

 誰かが、斬らねばならぬ。

 激しい栄光の差す影を、一身に背負い、ただ、己を顧みることなく、ただ国の為に全能であった王を、斬らねばならぬ。

 生き延びたとしても、栄光の影は王を蝕み、決して王の望まぬ形に国を導く。

 なればこそ、王を斬らねばならぬ。

 レオは剣を引き抜いた。


 「お覚悟を」


 せめて、安らかにと願う。

 高々と振り上げた剣は暁の光に赤銅に輝く。

 震える切っ先を振り下ろそうと力を込めるが、いつまでも柄を握り直す。

 食いしばった歯が震え、零れる吐息が白く染まる。

 王は静かに笑い、レオを見上げていた。


 「鉄は、振るえば殺せるのではなかったのか?ン」


 屈託なく笑う王の笑顔は少年のそれと変わらなかった。

 いつまでも変わらない。

 たとえ、どれほどの年月が流れようと、王城で出会ったあの頃の王と何ら、変わらない。

 国を想い、夢を語った、自分たちが少年であったあの頃の王と、何も変わらない。

 レオは自らの頬を涙が濡らしていることを覚えた。


 「斬れませぬ……」


 消え入りそうな声で、レオは訴えた。


 「斬れ」


 王は笑って応えた。


 「斬れませぬっ!斬れませぬよっ!私にはぁっ!」


 レオは近衛騎士である名誉も、王の腹心である立場もかなぐり捨てて泣き叫んだ。


 「何故斬れましょうかっ!あなたは……我々に明日を下さいました……我々の、生きる標を示された……どれほど……どれほどの痛みを負っても、それでも……我々を愛して下さいました!」


 レオは王にすがり、泣き叫ぶ。


 「誰があなたを斬れましょうか!誰が、愛して下さった方を裏切れましょうか!誰が……誰がっ!どうか……どうかぁぁあっ!」

 「年老いたなぁ。我々も」


 王はレオをかき抱く。

 艱難を前に泣き叫ぶ子を、あやすようにその背中をさすった。

 レオはここに来て、全てを吐露する。親に許された子のように、全てを叫ぶ。


 「王よっ!何故あなただけっ!何故あなただけがこのようなっ!幸せなど一つも無かったっ!身も、心も全て民に明け渡し、娘であるアルテッツァ様にさえ愛を注げなかったあなたが、何故っ!うわぁぁ……ぁぁぁ……ああっ」


 ヨッドヴァフ・ザ・サードはどこか満足げに笑い、レオの頭を撫でた。

 レオは慟哭のままに叫んでいた。


 「我々を生かす為に、あなたはその名まで未来永劫この国に捧げた……あなたは死して誰にも悼まれることすらなく……惜しまれることもなく……うぅぅあ……あぁぁ…アアァ……ッ!」

 「レオ……私は……僕はこれで良いんだよ」


 鐘の音が、鳴る。

 どこまでも暖かく鳴り響く鐘の音が黄金の雲が晴れる空の中、優しい風を運ぶ。

 晴れ上がる空の中から、顔を覗いた陽光が王の疲れた顔に投げかけられる。


 「レオ。ありがとう……あとは自分の為に、生きてくれ」


 かつての何者より強くあった王は弱々しくそう、呟いた。

 斬れる、訳もない。

 王の理解者として、友として。

 どこまでも共に在り続けようとした。

 その胸の内に去来する寂しさがどれほどのものか、わかるからこそ。


 「なあ、レオ……覚えているか……我々はあの尖塔で友であることを誓い合った」

 「はい……白月の夜でございました……王は名も無き奴隷を集め、施しをされておりました……亡くなった奴隷の亡骸を抱え、冷たかろうとずっとあやしておられ……救われぬ者の無い国を作ろうと、そうあなたは仰られました」

 「あの訓練所は広い……広すぎて、歩くのにも疲れる。お前は厳しかった」

 「あなたは剣を嫌う方でございました……振るえば民が死ぬ……それは嫌だと……なればこそ、私が剣を振るわねばならなかった……ですが、あなたは……私や他の民が殺めて苦しむのであれば……自ら全てを殺めようと……」


 それは全て王の友であったレオ・フォン・フィリッシュしか知り得ぬ胸の内であった。


 「……冒険者、か」

 「あなたは、民に明日を見る希望を与えましたっ!」


 この王がどれほどに民を愛し、どれほどに尽力し、どれほどの能わずを叶えてきたか。

 鉄は振るわれれば、命を断つ。

 だが、その鉄を振るうのは人なのだ。

 人が、人を殺すのだ。


 「私にはぁ……斬れませぬぅぅ……」

 「レオ。私は王たらねばならぬ」


 ヨッドヴァフ・ザ・サードは己の尊厳を込めて、そう告げた。

 震える足で立ち上がり、黎明の闇に佇むそれを確かに見つめる。


 鐘の音が、鳴る。


 振り返ったレオはほの暗き、宵闇に立つ者を見つめた。

 どれほどの血にまみれ、どれほどの悲哀を背負ってきたのだろうか。

 幽鬼のように揺らめくそれはただ、静かに、静かに、朝焼けの中に立つ王を見つめていた。

 多くの死をその身に纏った褐色のローブがはためき、乾いた血の臭いがした。

 だが、どうしてだろう。

 その血の臭いの上に流れることの無い涙の悲哀が横たわっている。

 ヨッドヴァフの夜を脅かすそれはどこまでも死の気配を引きずり彼等の前に立っていた。


 「……長く、長く、お勤めご苦労様でございました」


 褐色の幽霊。

ヨッドヴァフの夜を震え上がらせるその幽霊はどこまでも人間臭く、頭を垂れた。

 王は静かに立ち上がり、サーコートを翻す。


 「アスレイ」


 王はどこか懐かしむように、そして、愉快そうに笑っていた。


 「今は、スタイアと申しております」


 スタイアはそう告げて、苦笑してみせる。

 その頭には陽光を照り返し、輝くグロウリィウィングヘルムが載っていた。

 笑みを交わす二人はどこか、懐かしそうに互いを見つめていた。

 どれほどの時間が流れたろう。

 それはとても長い時間のように思えて、急ぐように短い。 

 褐色の幽霊はどこか覇気の無い顔で溜息をついた。


 「お始末を」


ゆるやかに引き抜かれた肉厚の長剣は宵闇と、暁の間で鈍く輝く。

 立ち上がった王は合わせるように自らの剣を引き抜いた。

 その前に、レオが割って入る。


 「下がれ」


 王は友を押しとどめた。

 王は真っ向から褐色の幽霊に対峙すると同じように息を落とした。

 スタイアは静かに剣を正眼に構えると、じっと王を見つめた。


 「……辛かったでしょうに」

 「はは」


 乾いた笑みを王は浮かべた。

 だが、スタイアは静かに視線を落とすとやりきれない溜息をついた。


 「古の盟約は解かれました。あなたが魔王となり、民に試練を課した。だが、ヨッドヴァフはこれからも多くの災難に見舞われる。だけど、それでも戦っていけることを、示した」

 「恨まれる、所業だ」

 「ええ、ですが……」


 スタイアは口を開き、どこか可笑しそうに笑う。


「……やらねばならないというのは、存外きついですね」


 王はくつくつと乾いた笑みを浮かべる。

 二人は延々と笑い合った。

 そこには互いに、全てを背負うと決めた者同士が分かちあえる痛みがあった。


 「苦労を、かける」

 「あい」


 スタイアは頷くと、剣を構えた。

 レオはかつて、これと同じ光景を見たことがある。

 深々と降り注ぐ雨の中、雷光を背負い、多くの悲哀を背負い二人は対峙していた。

 降り注ぐ雨に負けぬ猛々しい炎が登り、その中で二人は剣を持って対峙していた。

 激しい雨の音が、二人の言葉を遮っていた。

 レオは駆け寄りたくても、駆け寄れなかった。

 多くを背負った者の隣に立てば、自らもまた、背負われる。

 なればこそ、苦断を経て、控えねばならなかった。

 だが、最後の言葉だけは、少年と、王が交わした最後の約束だけは覚えていた。


 「では」

 「うむ」


 鐘が、鳴る。

 どこまでも綺麗に思えた。

 翻った剣鬼の振るう剣が、銀の軌跡を残す。

 跳ね上がった王の首が、くるくると回る。

 笑顔のまま陽光の中で微笑んでいた。

 噴き上がる血の飛沫の一粒までもが、輝いていた。

 黄金に輝く赤い血が眩しく、レオは息を飲んだ。

 栄光の激しい影に焼かれ、それでも最後まで王であった友が崩れる。

 重々しく、弾む身体が、最早。

 手を伸ばす。

 だが、永遠に届かぬ場所に赴いた王に、レオは泣いた。


 「うあぁぁぁ……ぁぁぁぁ……」


 慟哭が空を震わせる。

 地に落ちてもなお微笑む首に、頬を寄せて泣いた。

 今まで触れることも叶わなかった王の頬に、額に鼻を擦りつけ、泣き叫ぶ。


 鐘が、鳴り響く。


 どこまでも優しく、悲しい音色が慟哭を包む。

 その慟哭を眺め、スタイアは静かに剣を振り払い、納める。

 褐色の幽霊は静かに一礼し、手を合わせ涙を零す。


 「ありあと……ごぜました……ありあと……様でしたッ!」


 震える声がどこまでも人で在り続ける褐色の幽霊の持つ、優しさであると知る。

 レオは救いを求めるようにスタイアを見上げた。

 だが、スタイアは歪んだ泣き顔で首を左右に振る。

 レオは項垂れ、絶叫する。


 「あぁぁぁぁぁああっ!ぐぅ…あぁぁぁぁっ!ああっ!ああぁぁああああああ!」


 恨み、憎しみ、見上げた褐色の幽霊は笑っていた。

 恨まれ、憎悪を向けられても、それを包み込むように、泣きながら微笑んでいた。

 レオは理解する。

 王は幸せだったのだと。

 最後の、最後に。

 全てを分かてる他者に斬られ、幸せであったと。

 鐘が、鳴り響く。

 いつまでも、遠く、遠雷のように。

 それは悲しく、どこか優しい音色でもって。


 ――鐘の鳴る夜、褐色の幽霊は、人を殺す。


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