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Dingon・Dingon~『誰が為に鐘は鳴る』~  作者: 井口亮
第一章 『ヨッドヴァフの魔王』編
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第5章 『褐色の幽霊』 19

 ゆらゆらと揺れる感覚を覚え、ラナは覚醒する。

 照りつける日差しが眩しく、目を細めた。

 砂に埋もれた体が、どこか宙に浮いたような感覚を持っていた。

 足の裏に地面の無い不安定さと、ざらついた砂の感触が僅かに肌を撫でる。

 赤い瞳を何度か瞬かせると、熱くほてった吐息を吐いた。

 ラナは砂の海に浮かんでいた。

 そう、その場所を呼称するなら海と呼んだ方が妥当だろう。

 どこまでも細かい砂の粒子がねばりつく風に舞い、さざ波を作っている。

 切り立った波から跳ねた砂が陽光を照り返し、煌めく。

 遠く、巨大な竜が砂の中から飛び上がり、再び砂の海へ沈む。

 逃げ遅れたサンドワームが黄土の砂の中で青白い血を広げ、その血にヒレサソリが群がる。

 首を巡らしてその様を見届けたラナは目をしばたかせた。

 透きとおり、黄金に濁る砂が静かにラナの体を揺らしている。 

 アルンカシャスの海。

 マルメラの丘の砂嵐を越えた先に広がる未踏の地。

 神話の時代から存在する砂漠に強い風が吹き荒れ、削れた砂の粒子が舞い、海となった場所。

 マルメラの丘の砂嵐の中にのみ存在し、人の身で到達することができない場所だ。

 ラナは砂面の下を覗く。

 ぼろぼろになった長靴の先に砂魚が群れを作って泳ぐ。

 そして、その先に存在する荘厳な神殿を見た。

 朽ちることなく屹立した石柱を並べ、いくつもの尖塔を伸ばした神殿は歴史と砂の中に忘れられ、時を止めたように鎮座していた。

 ラナは背を丸め、膝を抱えると長靴の紐を解き、脱いだ。

 脱がれた長靴は静かに砂面に浮かび、漂う。

 ラナはその足で静かに砂を蹴ると泳ぎ出した。

 掻き出した砂が巻き上がり煌めき、波紋を作る。

 砂に顔を埋めたラナを避けるように砂が割れた。

 砂の海を作るのは水のように弾ける風であり、息ができなくなることはなかった。

 ラナは遙か眼下に広がる神殿跡に向けて砂を掻いた。

 白くしなやかな足が砂を蹴る度、蹴られた砂が煌めき輝くと光の軌跡をゆるやかに描く。

 砂竜が訝しげにラナを睨み付け、周囲をぐるぐると周遊するがラナが微笑みかけると納得したように砂竜は羽ばたき砂を蹴って泳ぎ去る。

 羽ばたかれた砂が渦巻き、輝く渦を作るとそれが道となった。

 ラナは道の上にたどたどしく足を降ろすと、確かな感触で足の裏に自分の体重を感じ、ゆっくりと神殿へ道を下った。

 神殿の入り口へと続く長い階段の前で、褐色のローブを着た男が待っていた。


 「やあ、ラナさん。久しぶりだね。人の身で迎えた方が良いと思ってね」


 男はローブを跳ね上げると、人の顔を見せた。

 イシュメイルだ。


 「白鯨イシュメイル」

 「白鯨は僕の本当の姿だ。今はフィダーイーのニザ。ニザ・イシュメイルだ。君がニザリオンベルに戻ってくる日があるとは、思わなかった」

「はい。ですが、私がしなければならないことでした」

 「スタイア。そう、スタイア・イグイット。あれはよくない。フィダーイーでありながら天秤をいたずらに傾ける。分銅を選り分ける銀匙が天秤を押してはならない」

 「それは警鐘だからです」


 ラナは静かに告げた。


 「命を奪うことによる警鐘。それはフィダーイーの意思ではなく、また、大きな流れの奏でる音とも違う。だからこそ、僕は君達の傍らに居た」


 イシュメイルは苦笑する。

 ラナは静かに頭を下げる。銀の髪が砂の中ではらりと揺れた。


 「ニザ・イシュメイル。ニザ・ラザラナット・フィダーイーの名で嘆願する。ニザリオンベルへ」

 「汝にその資格無し」   


イシュメイルは即答した。


 「汝のニザは晴天の星に昇り、人の道を歩むことを決めた。その拠り所となるは青き血ではなく、赤き血のイーとしてフィダを失った。これより先ニザリオンの円座に至るは青きフィダ・ニザリスの祝福なくば列することは叶わぬ」


 ラナは膝を折り、傅くと囁いた。


「古き盟約に従い、鐘を護る者としてフィダーイーに警鐘を鳴らす。予言者ヴァフの盟約により我はニザリオンの円座に高らかに鳴り響く」


 イシュメイルは僅かに驚き、感嘆の息を漏らす。


 「ほぅ?我らの言葉でラグラディンゴ、彼等の言葉で退魔の鐘。既に無くなったものだと思っていたのに」


 ラナは小さな鐘を手に掲げた。

 ちりん、と澄んだ音を立てた。

 砂の中で響いた音が波紋を作り、砂を押し上げる。

 風が静かに割れ、青い空を天上に広げる。

 青い空を背に、新しく吹いた風がラナの衣の裾を巻く。

 銀色の髪からはらりと砂が舞い、陽光に煌めくと砂の海に沈む神殿はその全貌を露わにした。


 「……予言者ヴァフの記した古き盟約に従い、警鐘を受けよう。古きニザを我はニザリオンの円座へ招こう」


 イシュメイルはラナを従え、神殿の奥へと歩みを進めた。

 従うラナはニザリオンの円座のある祭壇へ行く途中、懐かしい壁画を見る。

 幾星霜の年月を経て消えた記憶を残そうとした残滓だ。

 赤と青で描かれた人が槍を持ち、構える頭上に燦然と輝く太陽。

 月の下で互いに身を寄せ合う赤と青の人。

 そして、業火に焼かれ逃げまどう人々の前に立つ紫紺の戦士。

 ラナが生まれる遠い昔の記憶だ。

 紫紺の戦士から生まれた赤き人の背後に立つ青い人。

 沢山の赤い人の下、寄り添い天秤を見守る青い人。

 青い人と赤い人が争い、青き竜が赤き瞳で炎を吐く。

 天輪に座る青い人が獣を従え、地に座る赤き人に手を伸ばす。

 ラナは懐かしげにそれらの壁画を眺めると、イシュメイルの後に続いた。

 亀裂から陽光の差す廊下を抜け、祭壇へと至る。

 祭壇には円座が横たわり、天井の尖塔から差し込む光が柱となって包み照らしていた。

 イシュメイルとラナは円座に昇り、天井を見上げると唱えた。


 「ニザ・フィッダ・ラグラディンゴ」

 「ディンゴ・ディンゴ・ナーナーハ・ラザラナット・ニザ」


 壁が歪んで、回る。

 回った壁に砂が走り、砂が淡く輝き星空を作る。

 ごう、と風が吹き、炎を作ると炎に呑み込まれた二人は次に海を見る。

 深海の底に広がる星空を越え、燃える岩盤を割って祭壇は炎の海に降り立つ。

 そして、イシュメイルの姿は炎に焼かれて溶けた。

 うねる溶岩の熱気がラナの頬を焼く。

 空が割れ、そこから金色の蜘蛛が顔を覗かせる。


 「……ニザ・ラザラナット。イー……人の子となった古きニザ」


 山が動き、目と口を開き、空が震えた。


 「ララバ・ラッラ・ラツゥラ……予言者の鐘を持つ人の子よ」


 溶岩がうねり、白き鯨が黄砂の涙を流し、空を飛ぶ。


 「青き血を捨て、赤き血を選びし紫紺の姫よ」


 三体の魔物がそれぞれにラナに語りかけた。


 「我は陽の目により見た。汝は人の中にありて、その崇高な魂を汚した」

 「我は大地の耳により聞く。汝は我らの盟約の天秤を傾けようとした」

 「我は汝に寄り添い見つめてきた。赤き血に従うならば、天秤の匙を受け入れよ」


 噴き上がるマグマが散らす火の粉が空に舞い上がり、金色の蜘蛛の瞳が稲光を産む。

 岩山が震え、唸るような轟風がラナを叩いた。

 ラナは細くたおやかな指で衣を掴むと風に目を細めてか細く吠えた。


 「青き民よ。我は紫紺の血の定めに従い赤き血の人として生きるを選んだ。だが、耳を傾けよ。我はその宿命により、幾星霜の夜が失したラグラディンゴを鳴らす。驕るな。赤き血は脆く弱い。だが、繋ぐ。何度も朽ち、連綿と続く血の縛鎖に連環されようとも」


 金色の蜘蛛が空を裂く稲光を落とし、身を乗り出す。

 空が迫り、ラナの目前に巨大な顎を広げ吠えた。


 「弱き赤き血の民が何を繋ぐ」

 「強さ」


 山がせり上がりラナの背後で深淵の闇を覗かせる口を開く。


 「繋がれた強さはやがて絶える。時と忘却の輪に捕らわれた血の縛鎖は広き円環に押しやる」

 「だからこそ、輝く」


 白鯨がラナの上空でうねり、尋ねた。


 「ニザ・ラザラナット。私は常に寄り添ってきた。ニザ・アルルガンとニザ・グンググルルフが祝福せずとも、私は哀しき紫紺の姫に祝福を送った。だからこそ、知る。そして、だからこそ尋ねる。人は何を繋ぐ、何をもって輝く。生と死が人を分かち、悠久を耐えぬ赤き血が何を成す」


 ラナは人として答える。


 「愛」


 稲光が風に巻き上げられ、大地を緑が覆う。

 荒れ狂う海が溶岩を冷まし、穏やかな水平を作る。

 その中心に立つラナは静かに、再び告げた。


 「人は悠久を耐えない。だからこそ、愛に輝き死せる。ニザよ。人は望む。予言者ヴァフの子孫の盟約を解け。私は人と共に寄り添い鉄と血で新たな地平を切り開く。幾多の血が流れようと構わない。それが人に望むべき痛みだ」


 金色の蜘蛛が吠え、空を閉じ、消えた。

 山が静かに震え、山彦を静かに響かせて、消えた。

 そして、ただ、空を漂う白鯨のみが寂しそうに嘶いた。


 「……そこまでして、あの人間を救いたいか」


 ラナはどこか寂しそうに頷いた。


 「……多くの紫紺の血が流れるぞ」

 「……はい」

 「傲慢だ。そして、愚かだ。お前の選択で多くの血が流れ、そして、大地は悲嘆に染まるであろう。かつて、赤き同胞の血をグンググルルフに吸わせたスタイア・イグイットはそうまでして、生かす価値のあるべき者か」


 ラナは首を振り、愛おしげに否定した。


「私も、また、人間です」



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