↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
栄冠は君に輝く  作者: konatsu


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
50/65

9回表 誰がために

九回表。


スコアボードには、変わらぬ数字が刻まれている。


島大松江 5

星承   4


あと一回。


島大松江にとっては、追加点を奪う最後の攻撃。


そして、この裏を守り切れば――甲子園。


球場全体が、その意味を理解していた。


島大松江応援席。


島崎が静かに立ち上がった。


応援団長・長谷川。


吹奏楽部長・青木。


チアリーダーの江上。


合唱隊。


それぞれに視線を送る。


島崎が右手を上げた。


「――行くぞ」


青木の指揮棒が振り下ろされる。


その瞬間。


島大松江の魔曲――


『誰がために』


の演奏が始まった。


だが。


次の瞬間、球場がざわめいた。


島大松江の応援団が――。


一斉に。


グラウンドへ背を向けた。


「え?」


「なんだ?」


「試合を見ないのか?」


違った。


彼らが向いた先。


それは――観客席だった。


吹奏楽部員が、一人、また一人と立ち上がる。


やがて全員が立奏となった。


金管楽器が高々と掲げられ、身体全体で音を鳴らす。


合唱隊も、グラウンドを見ていない。


両腕を大きく広げ、観客席へ向かって声を放つ。


応援団も。


チアも。


そして団長の長谷川までもが、スタンドへ向けて拳を突き上げた。


「もっと!」


「声をください!」


「島大松江を――甲子園へ!」


それまで座っていた観客が、一人、また一人と立ち上がった。


手拍子が生まれる。


声が重なる。


島大松江の応援席だけだった音が、隣のブロックへ。


その隣へ。


内野へ。


外野へ。


まるで波のように広がっていく。


実況席の神谷誠一が身を乗り出した。


「島大松江応援団が――観客に向けて応援を鼓舞しています!」


声がさらに大きくなる。


「応援団がグラウンドに背を向けています! これはいったい何という応援でしょうか! 球場が予想外の行動に騒然となっています!」


桑原修司も目を見開いていた。


「私も多くの試合、多くの応援団を見てきましたが……こんな応援は初めてかもしれません」


そして、球場を包み始めた声に耳を傾ける。


「それにしても、すごい声援ですね」


一呼吸。


「これは驚きです。そして星承高校にとっては――脅威でしょう」


島大松江ベンチ。


鈴木監督が立ち上がった。


「あの応援を見ろ」


選手たちがスタンドを見る。


「彼らも、勝利のために必死なんだ」


鈴木の声が強くなる。


「きれいごとは言わない」


全員が監督を見る。


「勝て」


一瞬の沈黙。


「打て」


そして鈴木は、球場全体へ広がり始めた応援を指さした。


「いいか」


「あの応援団を引き連れて――」


声を張る。


「みんなで必ず行くんだ。甲子園へ」


さおりが頷く。


こなつが拳を握る。


大和がバットを握り直す。


八雲もベンチの奥から、黙って仲間を見ていた。


全員が頷いた。


一方。


星承ベンチ。


石川監督は、島大松江の応援席を眺めていた。


やがて、小さく笑った。


「やるなあ……島大松江高校」


選手たちが監督を見る。


「私たちは、いったい誰と試合をしているんだ」


そして表情を引き締める。


「だがな」


「諦めるな」


石川監督は選手たちを見渡した。


「この攻撃を凌ぐ」


「そして最終回――」


拳を握る。


「我々が逆転する」


そのあと。


石川監督は、一人の選手の肩を叩いた。


「投球練習を始めてくれ」


その選手が顔を上げる。


「この流れを食い止め、逆転するには――お前の力が必要だ」


少しの沈黙。


「……分かりました」


立ち上がった背中。


背番号14。


川口智也。


川口がブルペンへ向かう。


実況席がすぐに気づいた。


「あっ!」


神谷が叫んだ。


「川口君です! 星承高校、背番号14・川口君が投球練習を始めました!」


球場に新たなどよめきが起こる。


「川口君はケガのため、一年間公式戦のマウンドから離れていました!」


「かつて星承のエースナンバーを背負った左腕です!」


「その川口君が今――この夏初めて、ブルペンで投球練習を始めました!」


星承ベンチ。


小林が立ち上がった。


「川口……」


水木も。


石破も。


黙って、その背中を見つめる。


桑原が静かに呟いた。


「……すごい決勝戦ですね」


神谷が解説席を見る。


桑原は少し笑った。


「解説者としては失格かもしれませんが」


球場全体を見渡す。


「一人の高校野球ファンとしては――ずっとこの試合が決着せず、見ていたいような気持ちになっています」


そして真っ直ぐグラウンドを見つめた。


「島大松江高校も、星承高校も、本当に素晴らしい」


「さあ九回」


「両校の戦いを、この目に焼き付けたいと思います」


試合が再開された。


六番・塙。


マウンドには蓮佛健吾。


初球。


スライダー。


空振り。


二球目。


速球をファウル。


そして三球目。


再び鋭く落ちるスライダー。


塙のバットが空を切った。


「ストライク! バッターアウト!」


ワンアウト。


七番・芦田。


蓮佛はまったく動じていない。


低めへ変化球。


芦田が打った。


セカンド正面。


青山が処理する。


一塁へ。


「アウト!」


ツーアウト。


島大松江。


九回表。


あっという間に、あと一人。


そして八番。


太一が立ち上がる。


その瞬間だった。


神谷の声が跳ね上がる。


「ここで星承高校が動きます!」


場内アナウンス。


「星承高校、ピッチャー蓮佛君に代わりまして――川口君」


大歓声。


「なんと!」


神谷が叫ぶ。


「星承高校、ここで好投を続けていた蓮佛君に代えて、この夏初登板となる川口君を投入してきました!」


桑原も頷いた。


「太一君は強打者です。そして一発があります」


ブルペンから川口が歩いてくる。


「そして何より、石川監督はこの流れを変えるため――ここで勝負に出ましたね」


島大松江ベンチ。


鈴木監督の顔が険しくなった。


太一は、ゆっくりと打席へ向かう。


(ここは何とか塁に出る)


(少しでも流れを変えなきゃ)


マウンドには、元エース。


太一がバットを握る。


(元エースなら――)


口元がわずかに笑った。


(こっちも全力で打ち返す)


川口がマウンドに立った。


石破からボールを受け取る。


球場が静まる。


神谷。


「さあ――注目の第一球です」


星承ベンチ。


小林が呟いた。


「頼んだぞ、川口」


川口は一瞬――。


笑ったように見えた。


振りかぶる。


投げた。


ど真ん中。


ストレート。


太一は見送った。


ミットが弾ける。


バンッ!


「ストライク!」


次の瞬間。


スコアボードに球速が表示された。


155 km/h


球場がどよめいた。


「155キロ!」


神谷の声が響く。


太一が目を細める。


「……すげえな」


そしてバットを握り直した。


「でも――絶対に打ち返す」


二球目。


川口が投げる。


太一は思い切り振った。


だが――。


「!」


バットが空を切る。


太一の目から、一瞬ボールが消えた。


表示された球速。


143 km/h


フォーク。


太一が小さく笑う。


「……なるほど」


だが。


「タイミングは合った」


ツーストライク。


石破が返球する。


川口が受け取る。


石破がサインを出した。


川口が頷いた。


三球目。


再び、真っ向勝負。


ストレート。


太一のバットが出る。


だが――。


届かない。


バンッ!


「ストライク!」


「バッターアウト!」


球速表示。


156 km/h


一瞬の静寂。


そして――。


球場が揺れた。


太一はしばらく打席に立ったまま、マウンドを見ていた。


やがて、小さく息を吐く。


「……すげえよ」


川口は何も答えなかった。


ただ、石破から返されたボールを握り締めた。


九回表。


島大松江高校。


三者凡退。


最後の攻撃を、完璧に封じ込まれた。


桑原が静かに言う。


「……この試合」


そして、わずかに笑った。


「どうやら簡単には終わらないようですね」


五対四。


残るは――九回裏。


島大松江ベンチ。


鈴木監督が玉木を見る。


言葉はない。


さおりがミットを持って立ち上がる。


こなつが玉木の背中を叩いた。


大和が拳を差し出す。


八雲も、ただ一言。


「行ってこい」


仲間たちの視線を背中に受けながら。


玉木はゆっくりと歩き出した。


一歩。


また一歩。


九回裏のマウンドへ。


あと三つ。


甲子園まで――。


あと三つ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。