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栄冠は君に輝く  作者: konatsu


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48/65

イニング8

八回表。


スコアボードには、変わらない数字が並んでいた。


島大松江 5

星承   4


残された攻撃は、あと二回。


島大松江高校の選手たちがベンチ前へ集まる。


先頭打者は、一番・石川こなつ。


そのときだった。


島大松江の応援席。


応援主将・島崎が、スマートフォンを取り出した。


画面には、星承高校応援団長・鬼塚との連絡画面。


島崎は、短い文字を打った。


《応援決戦》


送信。


星承高校の応援席。


スマートフォンを見た鬼塚が、思わず笑った。


「こいつら……」


隣にいた吹奏楽部員が尋ねる。


「どうしました?」


鬼塚はグラウンドの反対側を見た。


島大松江高校応援席。


そこでは、吹奏楽部長・青木が指揮台へ上がっていた。


「来るぞ」


「何がですか?」


鬼塚は腕を組んだ。


「島大松江からの――挑戦状だ」


島崎が右手を上げる。


青木が指揮棒を構える。


チア。


応援団。


吹奏楽。


合唱隊。


全員が待っていた。


島崎の右手が――振り下ろされた。


次の瞬間。


星承高校の応援席がどよめいた。


「えっ?」


「嘘だろ?」


「同じ曲!?」


流れ始めたのは――。


先ほど星承高校が七回裏に使用した曲。


「フライングゲット」


だった。


鬼塚が吹き出した。


「やりやがった!」


島崎が遠くから鬼塚を見る。


そして笑った。


鬼塚も笑う。


言葉はいらなかった。


――そっちが魔曲なら。


――こっちも、その魔曲で勝負する。


しかし。


驚きは、それだけではなかった。


島大松江高校のチアダンス部が、一斉に前へ出る。


曲が始まった瞬間――。


動いた。


星承応援席が静かになる。


「……え?」


一糸乱れない。


腕。


足。


身体の向き。


表情。


タイミング。


曲に合わせたダンスを、島大松江のチアダンス部が完全に自分たちのものにしていた。


振り付けを徹底的に研究し、何度も何度も練習してきたのだ。


鬼塚が口を開けたまま見つめる。


「おい……」


そして笑った。


「そこまでやるかよ」


観客席から手拍子が起こった。


最初は島大松江側だけ。


それが中央席へ広がる。


三塁側へ。


外野席へ。


そして――。


星承高校の応援席からも。


いつしか球場全体が、同じリズムを刻んでいた。


実況席の神谷も驚いていた。


「これは……すごいですね」


桑原が笑う。


「高校野球の応援というより、ライブ会場ですね」


「球場全体が揺れているように感じます」


「ただし面白いのは、両校の応援団が喧嘩しているわけじゃない」


桑原は二つの応援席を見比べた。


「お互いに、“そっちがそこまでやるなら、こっちもやるぞ”と。応援で真剣勝負をしているんですよ」


グラウンドの選手たちも驚いていた。


こなつが打席へ向かいながら笑う。


「何これ」


さおりも笑った。


「完全にライブじゃん」


八雲がベンチから叫ぶ。


「こなつ! 踊ってないで打て!」


「踊ってない!」


「腰動いてるぞ!」


「うるさい!」


ベンチに笑いが起こる。


だが。


マウンドの蓮佛は笑わなかった。


二年生右腕。


この大音量の中でも、目は打者だけを見ていた。


石破がミットを構える。


こなつも表情を変えた。


――ここからは、野球。


蓮佛が投げる。


初球。


ストレート。


こなつが振る。


高く上がった。


ライト方向。


「ライトフライ!」


森下が落下点へ入る。


捕球。


「アウト!」


島大松江応援席の熱気は落ちない。


二番・竹内さおり。


蓮佛の二球目。


鋭く振り抜いた。


快音。


「打った!」


しかし。


打球はショート正面。


岡本が反応する。


「ライナー!」


パシッ。


捕球。


「アウト!」


ツーアウト。


桑原が唸った。


「この雰囲気の中でも蓮佛君、崩れませんね」


「一年、二年の問題ではないですね」


「ええ。大した投手です」


二死走者なし。


そして――。


場内アナウンス。


『3番、ピッチャー、玉木君』


その瞬間だった。


島崎が右手を上げた。


青木が気づく。


チアダンス部も動きを止める。


あれほど球場を包んでいた「フライングゲット」が――。


止まった。


一瞬の静寂。


玉木がネクストバッターズサークルから立ち上がる。


島崎が拳を握った。


「ここからは――」


青木を見る。


「こいつの曲だ」


指揮棒が上がる。


そして。


始まった。


「残響散歌」


玉木の応援テーマ。


玉木がゆっくりと打席へ向かう。


ベンチから声が飛ぶ。


「玉木!」


「頼むぞ!」


「粘れ!」


太一がフェンス際まで出てきた。


「玉木先輩!」


八雲も叫ぶ。


「打てなくていい! 何でもいいから塁に出ろ!」


さおりが笑う。


「八雲、それ応援?」


「うるさい!」


ひまわりは胸の前で両手を握っていた。


こなつも祈るように玉木を見ている。


大和。


慎之介。


糸原。


塙。


芦田。


ベンチの仲間たちが、一人の二年生を見つめていた。


その光景を――。


三塁側スタンドの通路から見ている男がいた。


息を切らしている。


ネクタイは曲がっていた。


「あなた、早く!」


後ろから妻が追いつく。


「待て……」


「試合終わっちゃうわよ!」


「分かってる!」


玉木正雄。


玉木の父だった。


間に合った。


どうにか。


七回裏は車の中で中継を聞いていた。


そして八回表。


ようやく球場へ到着した。


正雄はグラウンドを見る。


打席に立っている。


背番号20。


自分の息子。


「……」


妻が隣に立った。


「あの子よ」


「分かってる」


「ずっと見てなかったくせに」


正雄は何も言えなかった。


グラウンドだけではない。


ベンチを見る。


仲間たちが息子を応援している。


祈っている。


声を出している。


自分の息子のために。


「……あいつ」


正雄が呟く。


妻が見る。


「あんなに……仲間がいたんだな」


妻は何も答えなかった。


ただ、夫の隣に立った。


玉木が構える。


蓮佛の初球。


外角ストレート。


「ボール!」


二球目。


スライダー。


玉木が振りかけて止める。


「ボール!」


星承バッテリーも簡単にはストライクを取りに来ない。


三球目。


ストレート。


「ストライク!」


四球目。


スライダー。


玉木がファウル。


ツーボール、ツーストライク。


五球目。


低め。


玉木がバットを止める。


「ボール!」


フルカウント。


スタンドの正雄が立ち上がった。


「龍司!」


妻が驚く。


夫が、息子を名前で呼んだ。


「頑張れ!」


声が震えていた。


「頑張れ……!」


妻も立った。


「頑張って!」


正雄の目から、涙が流れた。


人前で泣くことなど、ほとんどなかった。


社員の前でも。


家族の前でも。


息子の前でも。


だが今は――。


止めようとは思わなかった。


「頑張れ!」


六球目。


蓮佛が投げる。


外角。


玉木は動かない。


石破が捕る。


一瞬。


球場が止まる。


球審の両手が動いた。


「ボール、フォア!」


「よし!」


玉木が一塁へ向かう。


ベンチが沸く。


太一が拳を握る。


「ナイスです!」


八雲も叫ぶ。


「よく見た!」


玉木は一塁へ到達した。


そして。


何気なく応援席へ目を向けた。


その視線が――止まった。


「……え?」


人、人、人。


その中に。


見慣れた顔。


父。


その隣に、母。


二人とも立っていた。


父が。


泣いていた。


そして。


自分に向かって、両手を叩いていた。


玉木は動けなかった。


――父さん?


父が大きく頷いた。


玉木も。


ほんの少しだけ――頷いた。


それだけだった。


だが。


二人には十分だった。


「あなた……」


妻が正雄を見る。


正雄は涙を拭わない。


「野球って……」


声を詰まらせた。


「こんなに……すごかったのか」


ツーアウト、一塁。


『4番、ライト、竹下君』


大和が打席へ。


初球。


ファウル。


二球目。


低めの変化球を見送る。


三球目。


蓮佛のストレート。


大和がセンター返し。


カキーン!


「打った!」


センター前へ抜けた。


玉木が二塁を蹴る。


三塁までは行かない。


二死一、二塁。


島大松江、追加点のチャンス。


五番。


途中出場の塙。


魚屋の息子がバットを握る。


「塙!」


ベンチから声が飛ぶ。


蓮佛。


石破。


ここは崩れなかった。


最後は鋭い変化球。


塙のバットが空を切った。


「ストライク! バッターアウト!」


スリーアウト。


島大松江、追加点ならず。


玉木が三塁近くからベンチへ戻ってくる。


一度だけ。


もう一度、スタンドを見た。


父と母がいた。


今度は玉木が――。


笑った。



ベンチの奥。


大野がスポーツドリンクを口にしていた。


救護室で身体を冷やし、水分を補給して戻ってきていた。


診断は軽い熱中症。


幸い意識ははっきりしており、頭痛や吐き気もない。


ただし、今日はもうプレーできない。


「大野」


八雲が隣へ座る。


「大丈夫か?」


「ああ」


「本当か?」


「さっきよりずっと楽」


八雲が大野の顔を覗き込む。


「俺が誰か分かる?」


大野が無表情で答えた。


「面倒くさいエース」


「よし、完全復活」


「それでいいのかよ」


二人が笑った。


大野はマウンドを見る。


「玉木……すごいな」


「だな」


「俺が残したランナー、太一がホームラン打たれて……」


一瞬、大野の顔が曇る。


八雲が遮った。


「違う」


「え?」


「あれは小林がすごかった」


大野を見る。


「さおりがそう言ってた」


「……主将が?」


「ああ」


八雲は笑った。


「だから、お前も余計な責任背負うな」


そして。


「八雲先輩」とひまわり。


「なんだ」


「さおり先輩の言うこと、本当に素直に聞くんですね」


またベンチに笑いが起きた。




その様子をスタンドから見ている男がいた。


松田健吾。


目は見えない。


しかし。


球場の音を聞いていた。


「すごいな」


隣にいるバーンズが翻訳機越しに聞く。


「何がですか?」


松田は耳を澄ませる。


「球場だよ」


「球場?」


「音が一つになり始めてる」


バーンズがグラウンドとスタンドを見渡した。


島大松江。


星承。


二つの応援席。


まだ戦っている。


互いに負けまいと。


それでも――。


さきほど「フライングゲット」が流れたとき。


確かに球場の境界線が、一瞬だけ消えた。


バーンズが言った。


「敵同士なのに、同じ音楽で盛り上がる。面白いですね」


松田が笑った。


「敵じゃない」


「?」


「対戦相手だ」


バーンズが松田を見る。


「同じですか?」


「全然違う」


松田は笑った。


「敵は倒すものだ」


そしてグラウンドの音を聞く。


「対戦相手は――最高の自分を引き出してくれる」


バーンズは少し考えた。


やがて笑った。


「Japanese baseball……deepですね」


「そこ英語じゃないのか」


二人が笑った。


松田は、もう一度耳を澄ませた。


吹奏楽。


歓声。


手拍子。


二つの学校。


二つの応援席。


――もしかしたら。


松田は思った。


いつか、この二つの音が。


本当に一つになる瞬間が来るのかもしれない。



八回裏。


星承高校の攻撃。


先頭は9番・瀧本。


玉木がマウンドへ上がる。


スタンド。


正雄は座らなかった。


妻が言う。


「座ったら?」


「いや」


「疲れるわよ」


「いい」


正雄はグラウンドを見た。


「息子が立ってるんだ」


妻が笑った。


「じゃあ、私も立つ」


二人並んだ。


打席。


瀧本。


さおりがサインを出す。


カットボール。


玉木が投げる。


瀧本が振る。


詰まった。


セカンドゴロ。


慎之介が処理。


一塁。


「アウト!」


ワンアウト。


一番・岡本。


星承応援席がさらに声を上げる。


岡本も狙っていた。


玉木のカットボール。


二球目。


来た。


振り抜く。


だが。


芯をわずかに外された。


打球はセンター前へ上がる。


「落ちるか!」


こなつが前進。


走る。


走る。


最後は余裕を持って――。


捕球。


「アウト!」


ツーアウト。


玉木が帽子のつばを触った。


そして。


二番 蓮佛君。


左打席へ入る。


さおりがマスク越しに蓮佛を見る。


一球。


二球。


これまでの打席。


七回の玉木。


瀧本。


岡本。


蓮佛の目。


さおりは気づいた。


――狙ってる。


カットボール。


星承は、もう玉木の勝負球を絞っている。


さおりが笑った。


――だったら。


サインを出す。


玉木が一瞬驚く。


首は振らない。


頷いた。


初球。


ストレート。


143キロ。


外角。


蓮佛のバットが遅れる。


「ストライク!」


蓮佛の目が変わる。


二球目。


さおり。


また同じサイン。


玉木が投げる。


ストレート。


高め。


蓮佛が振る。


空振り。


「ストライク!」


ツーストライク。


桑原が身を乗り出した。


「これは……」


神谷が聞く。


「どうしました?」


「竹内さん、完全に読んでますね」


「何をですか?」


「蓮佛君がカットボールを待っている」


蓮佛が打席で構え直す。


――次だ。


追い込んだ。


決め球。


絶対にカットボール。


蓮佛はそう考えた。


さおりがサインを出す。


玉木が頷く。


三球目。


ストレート。


真っすぐ。


蓮佛のバットが出る。


だが――。


遅い。


「ストライク!」


球審の右手が上がった。


「バッターアウト!」


三球三振。


蓮佛が打席で立ち尽くす。


さおりが立ち上がった。


玉木へボールを返す。


そして笑った。


玉木も笑う。


神谷の声が響いた。


「三者凡退! 玉木君、七回に続いて八回も星承打線を三人で退けました!」


桑原が唸る。


「投手も見事ですが、竹内さんの配球も見事でした。相手が切り札を待っていると読んで、その切り札を一球も使わなかった」


「カットボールを警戒させることで、ストレートが生きた」


「そういうことです」


スコアボード。


島大松江 5

星承   4


変わらない。


残すは――。


九回。


玉木がベンチへ戻る。


途中。


スタンドを見る。


父がいる。


母がいる。


父が右手を上げた。


玉木も。


小さく右手を上げた。


その姿を見ながら。


松田は音を聞いていた。


バーンズは球場全体を見ていた。


大野はベンチから仲間を見ていた。


島崎は応援席でスマートフォンを握っていた。


そして。


反対側。


星承高校応援団長・鬼塚も。


同じようにスマートフォンを握っていた。


八回。


二つの学校は、一点も取れなかった。


それでも。


何かが――。


確実に変わっていた。


グラウンドではなく。


スコアボードでもなく。


スタンドの中で。


まだ誰も知らない。


この二つの応援席が。


やがて――。


同じ瞬間に。


一つになることを。


試合は、九回へ。


あと一イニング。


栄冠を懸けた最後の攻防が――。


始まろうとしていた。

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