第一章 #1『神の影、叩き屋の矜持』
「っらァ!」
ガキィン!
蒸気を噴き上げた巨大ハンマーが、モグラの頭部を叩き潰す。
衝撃と共に黒い体液が砂に飛び散り、砕けた鱗が転がった。
鉄錆と油が混ざったような、生臭い血の匂いが鼻をつく。
「……っし!」
肩に担いだハンマーを軽く回し、息を吐く。
地平線まで続く瓦礫の山。
切り裂かれた道路。
鉄骨を剥き出しにした廃ビル群。
乾いた風が、崩れた都市を吹き抜けていく。
ここで人が暮らしてたのは、ひいじいさんの頃だ。
百五十年前、地の底から出てきた奴らに、地上は三年で食い潰された。
教科書にはそう書いてある。
人類は最初そいつらを地龍と名付け、畏れが薄れてからは、モグラと呼んだ。
地面を掘る害獣みたいに呼ぶ方が、怖さをやり過ごせたからだ。
世界は、空へ逃げた。
遥か上空を見上げる。
真っ青な空の彼方、巨大な影が静かに浮かんでいた。
空中戦艦都市国家、ルミゼルディア。
全長三キロを超える船の中には、森も畑も市場も工場もある。
最初にあの船に乗れたのは王族と金持ち。
地上に残らざるを得なかった連中も大勢いたが、今ではごくわずかな駐屯地が残るだけだ。
叩き屋ギルド所属、クラト・ガルダ。十八歳。
黒を基調とした戦闘服。砂塵除けのスカーフ。
腰には変形機構を備えたギア、トーゴを下げている。
ルミゼルディアで生まれ育ち、地上へ降りてモグラを狩る。
それが日常だ。
「……よし」
日焼けした首を鳴らしながら、クラトは崖上から瓦礫街を見下ろす。
視界の端で、再び影が動いた。
「……まだいるか」
瓦礫の下から、三体のモグラが這い出る。
小型。鱗も薄い。
通常種だ。
哺乳類の骨格に爬虫類の鱗、昆虫の脚で地を穿つ。
鋼鉄を砕く爪を持ち、皮膚は銃弾を弾く。
油断すれば人間の身体など簡単に引き裂かれる。
クラトは腰のギアを引き抜いた。
棒状の機構が蒸気を噴き、金属音と共に変形する。
数秒後、その手には巨大なハンマーが握られていた。
一体目が飛びかかる。
踏み込み、振り下ろす。
頭蓋が砕け、沈黙。
二体目。
背後から迫る顎へ、柄の側面を叩き込む。
三体目が距離を取った。
顎の奥に青白い光が灯る。
「……ブレスか!」
地面を蹴る。
瓦礫を踏み台に跳躍し、空中でハンマーを振りかぶる。
「舐めんなッ!」
ガギンッ。
鱗が砕け、最後の一体も崩れ落ちた。
「……ったく、弱えな」
素材を回収しながら息を整える。
薄い鱗は防具屋が買い取る。
爪は包丁や工業刃になる。
筋繊維はギアの反動吸収材だ。
一番高いのは心臓の動力核で、あれは都市を浮かせる炉の芯になる。
空の暮らしは、こうして地上から持ち帰るもので回ってる。
空にいるあいつらが、明日も笑って飯を食えるように。
そのために泥をすするのが、俺たち叩き屋の役目だ。
今日も拍子抜けするほど平和だ。
「クラトー!!」
甲高い声が廃都へ響く。
「置いてくなって言ったじゃんかぁ!!」
風を切って駆け寄ってきたのは、小柄な少女だった。
藍色の髪。頭に掛けた大きなゴーグル。
首元には防塵マフラー。
腰の工具ベルトを揺らしながら、リオ・カナリスがクラトの胸をポカポカと叩いた。
「お前、なんで来たんだよ」
「なんでって何!?」
頬を膨らませ、リオは睨み上げる。
「また単独行動して! ほんと命知らず!」
「叩き屋だからな」
「威張ることじゃないっての!」
工具が擦れて、金属音が鳴る。
クラトは呆れたように肩をすくめた。
「俺一人でも問題ねぇよ」
「前に右腕折った人が何言ってんの」
「……ぐ」
「あの時、トーゴの出力制御サボったのバレてるからね?」
「覚えてろよお前……」
「忘れるか!」
リオはクラトのギアを睨みながら溜息を吐いた。
彼女はギア整備士だ。
クラトの装備はすべて彼女製。
調整も修理も彼女しかできない。
幼い頃から一緒に育った腐れ縁でもある。
そんなリオが、不意に空を見上げた。
「……ねぇクラト」
「あ?」
「あれ、何?」
指差す先を見る。
青空の中、白銀の帆を広げた巨大な飛行船が浮かんでいた。
ルミゼルディアの紋章。
「王族船……?」
クラトは眉をひそめる。
こんな危険空域を飛ぶなど珍しい。
リオがモノクル型スコープを差し出した。
「ほら、見てみて」
受け取り、左目へ当てる。
船腹の窓がゆっくり開いていた。
その奥、真紅のドレスを纏った金髪の女性が、双眼鏡越しに地上を見下ろしている。
あまりにも、この地には似つかわしくない存在だ。
「……なんで王族が地上なんか見てんだ」
「視察とか?」
「さぁな。俺たちには関係ないだろ」
そう呟いた瞬間、女性がこちらへ双眼鏡を向けた。
視線が交差する。
彼女の唇が何かを紡ぐ。
声は届かない。
風が帆を揺らし、影が窓を覆った。
次の瞬間には、彼女の姿は見えなくなっていた。
「……何だ?」
スコープを外そうとする。
『――ザッ……ピーィィィ……!』
突然、腰の通信機から鼓膜を刺す、耳障りなノイズが鳴り響いた。
同時に、スコープの視界に走る不規則な線。
「あ? 磁気嵐か……?」
スコープを外す。
妙に胸騒ぎが残った。
不意に風が止んだ。
「……ん?」
空気が重い。
熱気が肌にまとわりつく。
遠くで瓦礫が小さく跳ねた。
クラトの表情が変わる。
「……静かすぎる」
地面へ耳を当てる。
聞こえない。何も。
なのに嫌な汗だけが背中を流れた。
空が、揺れて見える。
次の瞬間、地面が脈動した。
轟音。
瓦礫が吹き飛び、砂塵が空へ巻き上がる。
肺を焼くような異常な熱風。崩壊。
リオが悲鳴を上げる。
やがて砂煙が晴れた先。
そこにそれはいた。
——距離、約七十メートル。
「……っ」
クラトの呼吸が止まる。
漆黒の巨体。
黒曜石のような鱗。
赤黒い紋様が脈動するたび、周囲の空気が熱を帯びて歪む。
周囲の音がすべて消え失せ、自分の早鐘のような心音だけが鼓膜を激しく打つ。
七十メートル。瓦礫の丘を二つ挟んだ先だ。
整地なら全力で七秒。
足元は折れた鉄骨と斜めに崩れたビルだ。
まっすぐ走れても十秒はかかる。
勝てない、と頭が先に理解する。
「……嘘だろ」
喉が乾き、全身の毛穴が開く。
「神格種……!」
最上位個体。
記録に残るのは四度だけ。討伐例はゼロ。
都市すら滅ぼす災害級のモグラ。
十三年前、地上の要塞を一夜で潰したのもこいつらだ。
神格種は二人など意にも介さず、ゆっくりと飛行船の方角へ首を向けた。
顎の奥で、青白い光が脈動する。
光は一拍ごとに強くなる。
残り五拍目で臨界だ。五秒しかない。
「……っ!」
あの距離なら、高度三百の王族船までブレスは届き、船ごと蒸発だ。
「クラト……!」
リオが震える声で腕を掴む。
「やめよう……無理だよ……!」
指先が震えていた。整備士である彼女には分かる。
今の装備では絶対に勝てない。
クラト自身も理解していた。
怖い。死ぬ。
本能が警鐘を鳴らしている。
――それでも。
脳裏をよぎったのは何もできなかった、あの日の光景。
救えたはずの誰かが死んでいくのを、もう二度と見たくない。
「無理とか……言ってられっかよ!!」
リオの手を振りほどく。
蒸気を噴き、トーゴハンマーが唸りを上げた。
瓦礫を蹴る。
「リオ! 後は任せた!」
「待って!!」
加速。
崩れた足場を二歩で抜け、ハンマーを逆手に握り直す。
そのまま地面へ叩きつけた。
ドンッ!!
衝撃でコンクリが砕け、反動が体を押し上げる。
噴き出した蒸気が推進力になる。
一撃で二十メートル近く跳ぶ。
蒸気の排気音が、いつもより甲高く鳴り響いた。
着地するより早く、二撃目。
ドンッ!!
さらに二十メートル。
視界の端で距離が潰れていく。
七十、五十、三十。
息を吐く間もない。
持ち手が異常な熱を帯び、手のひらを焼く。止まれない。
三撃目を振り下ろす瞬間、足元の瓦礫ごと吹き飛ばし、体を斜め上に放り出す。
「おおおッ!!」
空中で体勢を返し、そのままの勢いでハンマーを振り抜く。
七十メートルを三打で詰めた全力が、神格種の顎へ叩き込まれた。
ガギンッ。
耳を裂く衝撃音。
「な……」
砕けない。
鱗は傷一つつかなかった。
次の瞬間、衝撃が両腕を突き抜ける。
「がぁっ!?」
骨が軋む。血管が裂けるような痛み。
ハンマーの機構部が耐え切れず破断した。
蒸気を吹きながら、ギアが砕け散る。
神格種の顎奥で、青白い光が膨れ上がった。
「クラト!!」
膝から崩れ落ちる。
両腕が動かない。
視界が揺れる。
リオが駆け寄り、必死に簡易ギプスを巻き始めた。
「動かないで……! お願いだから……!」
油汚れと小さな擦り傷にまみれた、整備士の小さな手。
激しく震えてはいるが、処置は正確だ。
クラトの完全に折れ曲がった腕を固定しながら、リオは強く唇を噛む。
限界出力を超えていたのに、なぜ安全装置が作動しなかったのか。
そもそも、あんな異常な硬度の鱗を持つ化け物がいるなんて。
私の調整不足だ。
次は絶対に間違えない。
次は絶対に、壊させない。
「……リオ……悪ぃ……」
「喋んなバカ!!」
神格種が、ゆっくりと地中へ沈み始める。
まるでこちらを嘲笑うように視線を残して。
静寂。
空を見上げても、紅い飛行船はもう見えない。
残ったのは折れた腕と壊れたギア。
そして、圧倒的敗北の感触だけ。
意識が、沈む。
遠くで、リオの声が聞こえた気がした。




