【 Ep.2-001 異常事態 】
***都内某所 オラクル本社 ゼノフロンティア運営部署
「おい上原ァッ、このパラメータどうなってる?」
「わかりませんよ、俺そこの部分担当外っすよ?それに修正パッチの準備でそれどころじゃないっすよ」
「さっきからプログラム全体の挙動がおかしいぞ。どうなってんだこれ。相模、お前わかんねぇか?」
「こっちはシステム全体が不安定でそれどころじゃないですって!」
「篠村ぁ、内部モニター担当の四条達の様子はどうなってる?!」
「途切れ途切れの通信ですが、内部でも頻繁にラグをはじめとして様々な不具合と思われる事象が報告され、確認もされているそうです」
「なんだってこんな不具合が起きてんだ?!社内アルファテストでは目立った異常はなかったはずだろ?」
「システムサーバーの維持の為の電力供給が不安定なんですよ!さっきから基幹システム"パンドラ"及び補助システム"MAGI"の挙動も安定動作から外れています」
「予備電源システムはどうなってんだよ!」
「そっちも含めて落雷が原因とみられる雷サージによるサージ電流で送電網に損傷が出ていて定格供給できていない状況です。この災害状況リアルマップで確認して下さい」
「こっちは電気屋じゃねぇんだぞ、なんだってこんな事になってんだ?!」
「口動かしてないで手ぇ動かして下さいよチーフ」
ゼノフロンティアの開発・運営のフロアはただでさえオープンベータテスト初日で多忙な中、国全体を覆う程の超巨大台風による影響で出たインフラトラブルにより混乱の最中にあった。
ピカッ――――ッッッゴォォォオオオオオン!!!!
シュウゥゥゥン……
猛烈な雨音の中、一瞬視界がホワイトアウトする程の雷光が走り、それから数秒後に耳を劈く轟音が鳴り響き、続いてフロア全体を暗闇が襲った。
幾つかの機器の電源は辛うじて無事だった為、完全な暗闇にまでは至らなかったが、電源が強制的にシャットダウンしたPC前の数人は、暗くて表情が判りづらいが能面の如き表情で凍り付いていた。
「あぁ……俺のコードが……1時間分丸々ぶっ飛んだ……」
時間にして1分弱でビル全体に自家発電装置による電力供給が再開され灯りが付き、冷静さを取り戻した数人によりすぐさま被害確認と可能な限りの復旧作業に取り掛かる。
「バックアップ取ってる奴はそこからでいいからやり直してく―」
ヴィーーー!ヴィーーー!ヴィーーー!ヴィーーー!
落ち着きを取り戻しつつあるフロアへ異質な音が響き渡った。けたたましく鳴る警告音。幾つかのモニター専用機器の画面には、異常事態が発生している警告文が絶え間なく流れ、事態が只事では無い事を如実に表している。
「何が起きた?!」
「大変ですチーフ、基幹システム"パンドラ"が自閉モードに入り、こちらからの入力を一切受け付けません!」
「MAGIからの経路でもダメなのか?」
「今そちらも試してはいるんですが……ダメです!MAGIも入力に応答しまs――な、なんだこれ……?」
「どうした?おい?」
一人のプログラマーが見つめるモニター。
『Jen Dio estas elmontrita aŭkcio(ここに神は顕現せり)』
そこには一見理解不能な文字列が次々と表示され、画面を埋め尽くしていく。復旧した隣のモニターも同様の文字列が画面を埋めていき、その現象は次々に他のモニターにも伝播していく。これまで直面した事のない理解しがたい事態に現場には緊張が走る。
「なんなんだこれは……。英語……ではない。何語だ?」
「イタリア語でもないし、フランス語でもなし……ポルトガル語やドイツ語でもありませんね……」
普段目にしない言語と状況に理解が追い付かないスタッフ達。収拾のつかなくなり始めた現場へ更なる混乱がもたらされた。
「チーフ!!!!大変です、四条達内部モニター班が消えました!!!」
「……は?消えたって、お前何言ってんだ?」
「俺も自分で何言ってるか理解しきれてませんけど、とにかく来て下さい!!!」
「あ、あぁ分かった。お前達は何とか入力できないか試しといてくれ」
一人のスタッフによってもたらされた情報。それはプレイングゲームマスターとしてゲーム内部からゼノフロンティアのワールドをモニターしている四条 累をはじめとする五人が消えたというのだ。
事態を知らせに来たスタッフに連れられ、チーフと野次馬に近い形で同行している数名のスタッフが内部モニター用の専用接続モジュールが追加されたゲームマスター用オラクルが接続されている特別モニタールームへ入室する。
ガチャンっとドアノブを捻って入室すると、そこには専用の機器が装着された5台の特別仕様のベッドの上に、ゲームマスター用のオラクルが無造作に転がっている殺風景な光景があった。
「誰も……いない?」
「見ての通りです。シフトに就いていた五人共消えているんです」
「トイレや休憩の可能性は?」
「それは考えられません……。この部屋用のモニタリングカメラがあそこにあるのは見えていますよね?」
スタッフが指さした天井には3台のカメラが部屋の入口、特別製のベッドをそれぞれ別角度で映す様に設置されいた。
「あぁ、見えるな」
「あのカメラの映像、僕達スタッフモニター班でずっと見ていたんですよ。誰もトイレに行くどころか部屋からも出ていません……」
「じゃあなんだって全員いないんだ?」
「さっき一度停電で暗くなったじゃないですか?その直後に全員消えていたんです……。それに部屋の出入りをすれば、さっき開けた時みたいにガチャンって音が絶対するはずなんです。ここの扉他より硬くてどうやっても音はなるんですよ……」
チーフと呼ばれた男は部屋の入口の扉へ行き、何度かドアノブに手を掛けて扉の開閉を試みるが何度試してもガチャンという音は鳴ってしまう。
「……。ともかく……だ。お前は録画映像を再チェック、勝手についてきたお前達は社内の他フロアを手分けしてどこかに居ないか探してきてくれ。俺は一度開発室に戻ってディレクターとプロデューサーへ報告をあげる」
「はい」
「わかりました」
「っす!」
「……一体どうなってやがる……。とにかくディレクターとプロデューサーに報告あげねぇとな……はぁ……。こりゃ暫く家に帰れそうにねぇな……」
それぞれの担当へ散っていったスタッフを見送り、自分も開発フロアへと足を向けながらチーフは呟いた。
*****
「っわあああああああああああああああぁぁぁぁぁああああああっ!!!!!!!!!もう帰るもう帰るもう帰るもう帰るぅぅぅうううううううううううううっ!!!!!」
「なにあのでかさああああああああああああああ?!?!聞いてない聞いてない聞ーいーてーなーいーーー!!!」
陽の光も疎らにしか差し込まない森の中、足場の悪さなど意に介さぬ速度で悲鳴を上げながらセラ達三人は爆走していた。
「なー、いい加減走るのやめてアイツ倒そうぜ」
必死の形相で走るセラとリツに向け、いつも通りやや締まりのない顔でケントが言う。
「おまっ、あんなの無理っっっ!!!!むぅーーーりぃーーーーー!!!!」
「なんで、平気、なのさ!!!あんなの、見て、さ!!??」
信じられない馬鹿を見るような表情でセラはケントに言い、後衛職である故身体ステータスに若干のマイナス補正を受けているリツは息も絶え絶えに答える。
「いやほら、リツもそろそろ限界だし?後ろのあれ諦める気配が一向にしねぇもん。」
そう言ってケントが親指を立てて後ろを指差す。その指が指し示した方向には巨大な蜘蛛がその細く長い脚をワシャワシャと動かしながら、これもまた猛烈な速度で迫ってきている。
ただでさえ通常サイズの虫ですら苦手な人は多い。それが人間の大きさよりも巨大な姿をしているのだ。その恐怖たるや筆舌に尽くしがたく、そんなものに襲われれば尻尾を巻いて逃げるのも無理もない。そんな無駄にリアルに作り込まれた巨大な蜘蛛のモンスターこそ名前通りの"ジャイアントスパイダー"だ。
「マジであれやるの?やらなきゃダメ?!」
「あ……まずい、もう……走れそうにない……」
「もういい加減腹括れよ……。攻撃は俺が受け止めるからさ。ほら、行くぞ!!」
「ぁああああああああ、もうッ!!!」
急速に速度の落ちたリツを守る形でケントが反転して盾を構える。セラも不貞腐れながらも背中に懸架していた森羅晩鐘を取り外し、ジャイアントスパイダーへ向きなおし武器を構える。
追ってきた勢いを殺さないまま、ジャイアントスパイダーは前肢を大きく上げて振り下ろしてくる。ブンッと轟音を鳴らしながら振り下ろされたそれを、ケントは盾の角度を絶妙に調整して傾けて最小限の力でいなす。
ガィン!ガァン!ガギン!!
連続して襲いくる前脚からの攻撃を受け流してジャイアントスパイダーのラッシュを上手く防御するケント。そんなケントの防御に苛ついたのか、ジャイアントスパイダーは両前肢を上へと大きく振り上げ渾身の一撃を狙う。流石にケントでも両方向からの同時攻撃ともなれば、片方は受け流す事はできても、もう一方からの攻撃には対応しきれない。
バスンッ!!!ブシャァッ!!
ピギュアァァァァァアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!!
堅い外骨格と外骨格の隙間の柔らかい関節を断ち切った乾いた音が鳴り、続いて体液であろう液体が勢いよく吹き出す音がなる。横から大きく回りこみ、斜め後方からのセラの不意打ちに近い攻撃がジャイアントスパイダーの左側面の脚を三本斬り飛ばし、バランスを崩したジャイアントスパイダーは悲鳴を上げながら大きく左側へ倒れる。斬り抜けながらケントの方へと合流したセラはすぐさま反転して突進の構えを取り敵の動きを警戒する。
「集えよ光、一つになりて敵を穿て!<光線>!!」
キシャァァァアアアアッッッ!!!
倒れたジャイアントスパイダーに向け、リツが詠唱して放った魔法は光魔法の<光線>。一本に集約された光がレーザーの様に放たれる特徴的な魔法である。
ビシュっと一直線に発射された光は、体勢を崩してもがいているジャイアントスパイダーの頭部をいとも容易く貫き黒い穴を穿った。穿たれた穴から緑色の体液をボトボトと垂れ流し、長細い脚をだらしなく伸ばして五体投地の形で巨大なその体躯は動きを止めた。
「な、簡単だろ?」
「倒せるには倒せるけど、ビジュアル最悪だよ……」
「同感。流石に虫系はあまり相手にしたくないね……」
「んな事言ってもさー、虫系のモンスターなんて絶対この先も出てくるぜ?ラインアークでも結構な種類の虫モブいたっしょ」
構えを解いて刃に着いた体液を吹き飛ばしつつセラはケントに答える。リツもセラに同調するが、ケントの次の言葉を聞くと二人同時にこの世の終わりみたいな表情をして固まる。
そんな二人に構わず、ケントは倒したジャイアントスパイダーへと近づき、討伐証明部位である頭部の正面にある二つの大きな複眼を切り取り、続いて後方へ回ると腹部を二つに切って中へ手を突っ込むと、糸疣と呼ばれる円錐状の器官を回収していた。
「よくそんな事できるなぁ……」
「二人とも虫が苦手なら俺がやるしかないじゃん?討伐証明部位は回収必須だし。まぁこの糸を作る部位は完全についでだけど、色々使い道ありそうだかんなぁ」
あっという間にジャイアントスパイダーからの回収作業を済ませたケントへセラが<手水>を使って汚れた箇所を洗い流す。
「しっかしまたえらく走ったもんだなー。白樺エリアの終わりが見えるくらいとか二人ともどんだけ必死だったんだよw」
「あのビジュアル見たらまず逃げるでしょ普通……」
「平気なケントがおかしいんだって」
「とりあえずあと2匹倒さないと依頼達成できないけど?」
「うへぁ……」
見る見るうちにセラの耳は萎れて尻尾がしなしなと力なくぶら下がる。傍から見る限り分かり易すぎる反応である。
「……狐火で燃やして倒していい?」
「あれ使ったら跡形なく燃えちまうからダメだって」
「そんな~~」
再び森の奥へと向け会話しながら歩を進める。ステータスとしては異常はないものの、気分的な問題でセラとリツの足取りは重い。さっきは何の異常もなく戦闘をできたが、未だに不定期にラグや視界の明滅、モノクロ化やノイズが走る等の謎の現象が発生しており、安全を考えればもう少し倒しやすいモンスターを相手にしてマージンをとりたいところである。そんなセラの思惑など意に介さぬように、最も近い大きなスパイラルオークの上から二匹のジャイアントスパイダーが襲い掛かってきた。
三人共に視認してすぐ戦闘態勢をとり、ジャイアントスパイダーと対峙する。リツが全員に<纏風脚>を掛けようとした瞬間、体の動きが意志に反して遅れるラグが発生して詠唱が失敗した。
リツの詠唱の失敗を確認したジャイアントスパイダーの片方が側面へと回り込もうと動き、もう片方が二本の前肢を持ち上げてケントへ攻撃を仕掛けようとしたその時である。
ヴゥゥゥゥウウウウウオオオオオオオオオオォォォォォォォォォオオオオオン!!!!
空気そのものを震撼させる音が世界を丸ごと包み込んでいるかと思われるレベルで響き、震動とほぼ同じタイミングで視界は激しく"揺らぎ"、そして"歪む"。最早大地の上に立つ事すらままならず、三人は武器を大地に刺し、それを支えにしてこの異常事象による空間そのものの震動に耐える。
「ッグゥ……!」
「フッ……ガッ……!」
「なっ、に、これ……!?」
――ヴウウゥゥン!ヴウウゥゥン!ヴウウゥゥン!ヴウウゥゥン!ヴウウゥゥン!
音は益々強くなり、それに伴って空間そのものを歪める震動は更に激しさを増す。まるで肉体から無理やり魂を剥ぎ取るかのような激しい振動に、三人は歯を食いしばって耐えるしかできない。軋む身体からはミシミシと嫌な音が鳴り続け、強く震動する空気に呼吸もままならない。激しく明滅し、色もバラバラに移り変わる視界が霞む。
――ピシッ――――ピキッ……ピシピシッ……パリィィィイインッ!!!!!
霞んだ視界の中、目の前の空間が唐突に"割れた"。空間に刻み付けられた罅はピシピシと音を立てながら広がっていき、遂にその空間の罅が弾け飛ぶ。視界はその瞬間ホワイトアウトし空間の震動も止まる。辺りは静寂が包み込み一切の音が世界から消えた。
――どのくらい目を瞑っていたのだろうか。軋む身体に鞭を打って瞼を開けると、その存在はそこに居た。
『Jen Dio estas elmontrita aŭkcio(ここに神は顕現せり)』
こちらの文はエスペラント語ですが、綴り合ってるかどうかまでは自信がありません。まぁ括弧内の意味の文章が流れていると想像して頂ければ…。




