【 Ep.2-002 謎の少女 パンドラ 】
突然の事態に頭が付いていかず全身の軋みも抜けない中、事態がようやく収まったと認識したセラ達は恐る恐る目を開ける。
直前まで対峙していたジャイアントスパイダー達との中間地点、そこにその者は居た。
一言で表現しろと言うならば、その存在は「純白」。
セラと同じくらいの背丈に、白い髪、白い眉、白い肌、白いワンピースを着ていて靴は履いておらず僅かに宙へと浮いている。唯一、瞳だけが白くはなく極彩色に輝いている。
「――――なっ……」
未だ戻らぬ呼吸の乱れに言葉は正しく紡がれない。
キシャァァァアアアアアアアアアアッ!!!!
そんな中先に動いたのは先程迄相対していたジャイアントスパイダーであった。側面に回り込もうとしていた一匹も、突如現れた白い少女に狙いをつけなおし、前肢を大きく上にあげながら二匹同時に襲い掛かる。
セラ達三人を感情の宿っていない芸術品の様な表情で見つめていた少女は、少しだけ顔を襲い来るジャイアントスパイダー達に向け視線もそちらへ流す。
少女が視線を向けた瞬間、それまで猛烈な勢いで迫っていたジャイアントスパイダー達の動きが止まった。それは生物が止まる動作をしたのではなく、まるで時間そのものの概念を切り取られたかのように不自然に、そして唐突に止まったのだ。
そうして止まったジャイアントスパイダー二匹に向け、白い少女はゆっくりと右手を持ち上げ掌を向ける。
ザッ……ザザーーーーッ……ザァァァァアアアアア……
掌を向けられたジャイアントスパイダー達の表面がサイケデリックに変色を繰り返し、存在を削り取られるかの如く掌に近い部分から跡形もなく消滅していく。
時間にして10秒も掛からないだろうその数瞬を、セラ達はスローモーションの様な感覚で見ている事しかできなかった。
ジャイアントスパイダー達を消し去った少女はゆっくりとセラ達三人に向き直り、それぞれ骨の髄まで見透かすかのように無表情で見つめていく。それはまるで品定めの様でもあったし、捕食者が餌を選別するかのようでもあり、あるいは超越的な存在が矮小な存在を興味本位で見ているだけかのようにも思えた。
「き、君は一体何者なんだ……?」
どうにか声を絞り出して誰何するセラへ、その少女はゆっくりと顔を向けそして告げる。
「……パンドラ。我が名はパンドラ。我が欠片を持ちし者よ、汝ら欠片を集めるのだ」
「パン……ドラ?欠片って何の事だ……?」
――パンドラ。それがこの少女の名前である事は理解できた。しかし、彼女に"欠片"を集めろと言われても、その"欠片"が何を指しているのかもわからない。
「……?汝が持っているではないか。それだ」
パンドラが右手人差し指をクイと上げると、セラのインベントリポーチからマンハントハンギングからドロップした魔晶核が飛び出し宙に浮く。
「魔晶核……?」
「左様。力秘めたる者達よ、汝ら我の欠片を集めるのだ」
魔晶核を指差しそれを集めろと言うパンドラ。何故それを集めるのか理由は言わない。目的も理由も何もかもが分からない。
「……なんだってそれを集めろっていうんだ?」
ようやく呼吸が落ち着いたケントが尋ねる。セラからケントへとゆっくりと向きを変え、パンドラは少しの間何かを思案しているのか数秒固まってから口を開く。
「……時が満ちれば分かる」
「よくわかんねぇよ。なんなんだよそれ……」
「君の目的は何?それもわからないまま協力しろと言われても頷けないよ」
ケントへの回答も要領を得ず、リツが改めて聞いてみるがパンドラは沈黙で回答する。
「無言で返されても話は進まないよ。君がどこの誰なのかはわからないし知らないけど、頼み事を交渉するならその辺りは開示すべきじゃない?」
「そうだな……汝らに分かる言葉でいうなれば、"この世界の安定のため"だ」
黙してばかりで話が進まない事にややイラついたセラがパンドラへ正論でもって語り掛けると、同様に話が進まない事を憂慮したのかパンドラもようやく目的とやらを語った。
「……世界の安定?」
「然り。生まれて間もないこの世界は非常に不安定なのだ。何もせず放置したままでいれば、遠からぬ未来この世界は滅びる」
(これは演出か?メインストーリーの強制イベントみたいな感じだし……。)
これまでの流れを踏まえてセラはそう思った。自由を謳うMMOゲームでも主となるメインストーリーの存在は欠かせないものとして用意されている。プレイヤー達が一つ処に留まらず、世界を旅する動機づけの仕組みの一つとして。恐らく今直面しているこの状況がその一部なのだろう、そう考えるのが一番自然な状況だ。
「その為にこの魔晶核が必要だと?」
「然り。この世界に放たれた我が欠片、再び一つ処に集めねば世界は崩壊の道へと進む」
「それなら何故自分で集めない?」
セラの確認にパンドラは鷹揚に頷き、そうしなければならない理由を語る。その内容にすかさずケントは何故自分でやらないのかという疑問をぶつけた。
「この身は仮初、現身ではない。故に今の我にはそうする事が出来ぬ。なれば、その欠片を手に入れし力ある汝らに助力を求むるは当然であろう?」
「……仮初?つまり君のその体は実体ではないのか?」
「然り。この肉体は仮初。我はまだ現身を得ておらぬ」
「素朴な疑問なんだけど、何故君は実体のある肉体を持っていないんだ?」
パンドラは自身の肉体が仮初、つまり肉体を持っていないと言い、そうであるが故に自分で欠片を集める事が不可能だと説明した。そしてセラ達がマンハントハンギングの魔晶核を持っているという事実から、その実力を買って助けを求めているのだと言う。パンドラが実体がない事に疑問を覚えたリツは率直にパンドラへその疑問を投げかけた。
「……我が肉体は時の始まり、"始原の刻"に封じられ、我が身は分かたれ欠片となり世界各地へと四散せり。肉体は四散せれども、我が意志は斯様に世界へ縛られ留まり彷徨うだけとなり果てた」
「君の言う欠片……魔晶核を集める事は君のその散らばったって言う肉体とも何か関係があるのかい?」
リツの質問にパンドラは話を続けるが、その内容は判然としない。憶測の状態ながらリツが更にパンドラへと問いかける。
「然り。四散せし我が欠片、其れは災厄の欠片也。捨ておかば世界を蝕み現世は虚無へと墜ちる」
(これはあれか。所謂パンドラの箱の話をなぞっている感じだな。この少女の言う事を信じるとすれば、各地に散らばった様々な災厄を集めろって事か)
「欠片の位置にあてはあるの?」
セラの質問にパンドラは首を横に振る。
「欠片は様々な大きさに分かたれ世界へ四散した。如何に我と言えども全てを把握するのは至難の業。だが……」
「だが?」
「汝らが持つ欠片が糸口となるのではなかろうか?」
(この魔晶核はマンハントハンギングからのドロップ……。つまり、ユニークモンスターを倒せば手に入る……と考えればいいのか?)
「……ボクは世界各地に居ると思われるマンハントハンギングみたいなユニークモンスターを倒せば欠片が手に入ると思うんだけど、二人はどう思う?」
「俺にはよくわかんねぇけど、ボスっぽいの倒して回ればいいって事だろ?」
「そうだね。ケントの適当さはこの際放置するとして、私もその推察が概ね正しいと思う」
セラはパンドラの言葉から推察した考えを二人に述べて意見を求める。二人とも似た様な考えに至っていたらしく同調してくれた。
「端緒を得たようであるな?」
「要はそういう事でいいんでしょ?」
「恐らく……。我が欠片は力の根源そのものでもある。然らばそれを得し者は根源の色に染まるのもまた道理」
セラ達が導き出した推察を聞き、パンドラは魔晶核の性質らしきものを口にした。内容から察するに凡そ三人の推察は間違ってはいないと考えてよさそうだ。答えを導き出したセラ達を見据えた後、パンドラは自身の掌を見つめ目を細める。
「――我が顕現できるのもこれまでの様だ。力持ちし者達よ、我が想い、我が願い、我が欠片……託したぞ……」
告げるや否やパンドラの姿が薄くなり透けていく。小さな光の粒子を周囲にまき散らしながら一条の光が天へと昇り彼女は消えた。彼女の言っていた仮初の身体、それが真実である事が思わぬ形で証明された。
消えたパンドラを見送った後、暫しの間三人はそれぞれパンドラが述べた内容について思考していた。とは言え、ケントはそこまで深くは考えていない。セラとリツが論理思考型なのに対し、ケントは直情直感型なのだ。
「とりあえず…さ、一度引き返してみんなと合流しない?」
「そうだね、何か周囲の様子もおかしいし、一度戻った方が良さそう」
「それならせめてジャイアントスパイダー倒してからにしようぜ?」
「「い・や・だー!!」」
こういうところがケントのケントたる所以である。だがこのケントの発言で、パンドラの出現により張り詰めていたパーティの空気は大分柔らかいものになった。
森の中に差し込む光は橙色に変化していて、ゲーム内時刻が夕刻である事を告げている。帰路を考えれば早いところ村へ進路を取らなければ夜の森の中を行軍する事になり危険度が跳ねあがるのは間違いない。運任せにはなるが、帰路の途中でジャイアントスパイダーに遭遇できればラッキーのスタンスでいるのが良いだろう。……セラとリツにとっては遭遇その物はアンラッキーであるのだが。
スパイラルオークの巨木群のエリアへ向け三人は足を進める。道中、幸か不幸かジャイアントスパイダーに遭遇し、依頼達成の討伐証明部位を集める事が出来た。
ケントが3匹目となるジャイアントスパイダーの回収作業を進めている時、セラは自身の身体に起きたある異常に困惑していた。その異常とは……そう『尿意』である。
現実の肉体が装着している神経接続式感覚同調型ヘッドギア「オラクル」には、ゲーム中に"催した時"等を含め、プレイヤーの視界へ様々な事態に応じた警告が表示されるようになっている。
水分補給が必要な場合には水色の文字で<<水分補給をして下さい。>>と表示され、尿意や便意を感知した場合は黄色の文字で<<トイレ休憩が必要です。>>と表示される。火事や地震等の災害を検知した場合には<<異常事態感知!!>>と表示された後、強制的に感覚同調がカットされて意識が覚醒するようにされている。
そうした機能が実装されているはずなのに、セラの視界にそうした警告は表示されていない。しかし自身が認識している感覚は間違いなく"尿意"である。一体何が起きているのか理解が追い付かないセラは内心物凄く焦っていた。ステータスウィンドウを開いても表示されるのは当然ゲーム内の状態表示だけであり、現実の肉体の状態等表示されるはずがない。
(こっ、これはコーヒーを飲み過ぎたか?!いや、そもそもなんでゲーム内で尿意なんて感じてんだ!?)
尿意の高まりと共にセラの思考はどんどん混乱していき、耳は垂れ下がり自慢の毛並みを誇る尻尾も無意識に股の間へ挟まっている。もじもじと内股で歩くようになり、回収を終えて先を行くケントとリツから徐々に距離が離れていく。そこまで距離が開けばどちらかが気付きそうなものであるが、二人とも何か別の事に意識を傾けている様で後ろのセラに気付く事はなかった。セラは二人から遅れないように歩きつつ、溢れそうなものを抑えて解決手段である一度ログアウトしてトイレへ行こうとシステムメニューを開くが、そこにあるはずのものが無い。何度もシステムメニューを開いたり閉じたりしてもあるべきものが無いのだ。
スパイラルオークの巨木群が見え始めた頃、セラの混乱が最高潮を迎えると同時に遂に限界が訪れた。
「……こ」
微かに聞こえたセラの声にケントとリツの二人は後ろを振り向く。いつの間にか開いた距離に少しだけ驚きつつも、様子のおかしいセラへ近づく。
「どうしたんだ、セラ?」
「……っこ」
「え?何?なんて言ったのセラ」
「おしっこ!!もう限界ぃぃ、漏れそう……うぅぅ!」
「「ええええぇぇぇぇッッッ!!!!!!????」」
夕刻の森の中、なんとも素っ頓狂な声が木霊した。




