第29話 勝敗と入学式
ーーーー ミロクの決意 ーーーー
敗北。
それは、ただの負けではなかった。
一目惚れした女の子の前で、
同い年の相手に、力で負けた。
ミロクにとって——
それは初めての感覚だった。
魔物との戦いならば、勝てていた。
魔法さえ使えていれば、それで十分だった。
ケイタロウとの修行。
スコールとの手合わせ。
祖母との戦い。
負けても、悔しくはなかった。
「強いな」と思うだけだった。
だが——
今回は違う。
仲間が見ていた。
タカミザワ。
ケイタロウ。
スコール。
そして——片思いの相手、ヒヨノ。
その前での敗北。
胸の奥が、ひどく重い。
言葉にできない感情が、沈殿している。
「あの時……なんで負けたんだろう」
休日。
雪の溶けかけた公園。
濡れた土。
まだ残る白い雪。
ミロクはブランコに座り、俯いていた。
足をぶらつかせる。
キィ……キィ……と、軋む音だけが響く。
考える。
何度も、繰り返し。
(全部、自分なりにやったはずだ)
風刃。
爆発符。
体術。
(間違ってなかった……はず)
だが——
勝てなかった。
アカヤの炎。
それは、圧倒的だった。
あの熱。
あの光。
(……負けた)
その事実が、脳裏に焼き付いて離れない。
『魔法には、それぞれ弱点がある』
ふと、思い出す。
図書館の地下。
タカミザワの声。
『風魔法は、全体で見れば弱い部類だ』
『だが、低コストで扱いやすい』
『それに、応用が効く』
淡々とした説明。
『お前の適正の"雷魔法"は強いが、消費が激しい』
『お前の魔力量では、扱えない』
現実的な判断。
冷酷な事実。
「……ハァ」
ため息が漏れる。
白い吐息が、空に消える。
風魔法。
確かに使いやすい。
何度も使える。
だが——
決め手には、ならない。
連発すれば、魔力は尽きる。
実際に、尽きた。
「……どうすればいいんだよ」
小さく呟く。
しかし、答えは出ない。
足元で、黄色い鳥のマルが、
のんびりと欠伸をする。
何も気にしていない様子。
フェニックスは、いない。
あの小さな炎。
もう、ここにはない。
胸に、ぽっかりと穴が空いたような感覚。
失ったもの。
力。
誇り。
そして——
“何か”。
ミロクは空を見上げる。
灰色の空。
低く、重たい雲。
冷たい空気に白い吐息。
その中で、
小さく、だが確かに。
「……もっと、強くなりたい」
誰に聞かせるでもない。
ただ、自分に言い聞かせるように。
ブランコが、わずかに揺れる。
キィ……キィ……
その音だけが、公園に響く。
だが、その中で。
一つだけ、変わったものがある。
“敗北”は終わりじゃない。
それは——『始まり』だ。
ーーーー 強者と弱者 ーーーー
いつもの図書館。
外はまだ寒く、雪解けの水が窓を伝っていた。
静かな空間。
だが——
空気は重い。
椅子に座る三人。
タカミザワ。
ケイタロウ。
スコール。
ミロクは、いない。
沈黙。
しばらく誰も口を開かなかった。
「……なあ」
最初に沈黙を破ったのは、ケイタロウだった。
「なんで、俺を選ばなかったんだ?」
低い声。
押し殺した怒り。
その問いは、真っ直ぐだった。
「……」
タカミザワは、すぐには答えない。
ケイタロウの拳が、膝の上で握られる。
当然の疑問。
当然の怒り。
幼馴染。
親友。
そのミロクが——目の前で負けた。
しかも、
勝てる見込みの薄い戦い。
そして、フェニックスまで奪われた。
「……あえて、ミロクにした」
タカミザワが、ようやく口を開く。
その声は冷たい。
氷のように。
「理由は単純じゃない」
机に肘をつき、指を組む。
丸眼鏡の奥には、鋭い視線。
「ミロクは、レベルが上がらない体質だ」
一拍。
「だが、“新しい力”と“応用力”は確実に身についている」
淡々とした分析。
「だから、勝てる可能性はあると判断した」
「……」
ケイタロウは黙る。
だが、
それでは終わらない。
「じゃあ…」
スコールが口を開く。
静かに。
だが、真っ直ぐに。
「あの最後の言葉は、なんだったんだ?」
——『スペックが低すぎるな』
あの一言。
スコールの視線が突き刺さる。
ケイタロウも、無言で頷く。
「あれは、言う必要あったのか?」
静寂。
「……ああ」
「必要だった」
タカミザワは、迷わない。
短く断言する。
「“弱さ”を自覚させるためだ」
空気が、さらに重くなる。
ケイタロウの眉が歪み、
スコールの目が細まる。
「……あいつは」
タカミザワが続ける。
「自分が弱いことを、理解していない」
「これまでの戦いは、すべて“支援系”だ」
火の神殿。
水の神殿。
そして、風の神殿。
どれも、ミロク一人の力ではない。
「……」
ケイタロウが口を閉ざす。
反論できない。
正しい。
だが——
「……でも」
スコールが、再び口を開く。
「どうやって強くなるか」
「ミロクは、まだ分かってないはずだ」
一歩、踏み込む。
「弱いなら」
「俺たちが強くしてやるべきじゃないのか?」
真っ直ぐな言葉。
“仲間”の視点。
タカミザワは、ゆっくりと目を閉じる。
沈黙。
やがて。
「……強くするには、固有能力」
静かに、言う。
「“鳥飼い(バードマスター)”を活かすべきだ」
目を開く。
「あれでは、宝の持ち腐れだ」
ケイタロウとスコールが顔を見合わせる。
「使いこなせば…」
タカミザワは続ける。
「ミロクが前に出る必要すらない」
「戦力として成立する」
理にかなっている。
「……なるほどな」
ケイタロウが頷く。
「確かに」
スコールも静かに同意する。
希望。
わずかに見えた光。
だが。
その裏で。
タカミザワの思考は、別の場所にあった。
(……やはり)
(アイツは——)
静かに、結論を出す。
『必要弱者』
強すぎてもいけない。
弱すぎてもいけない。
“弱さ”は、役割になる。
駒としての価値。
そして、
その価値を、どう使うか。
タカミザワは、静かに目を細めた。
ーーーー 勝者と敗者 ーーーー
フェニックスを手に入れた、マルオ一行。
海辺での戦いを終え、
彼らは次の段階へ進もうとしていた。
「いやー、案外楽勝だったな!」
アカヤが大きく伸びをしながら笑う。
その顔には、
勝利の余韻と自信が色濃く残っていた。
「風と炎じゃ、勝負は見えてたしな」
軽い口調。
だが、その言葉は事実でもあった。
「属性相性だ」
マルオが眼鏡を押し上げる。
口元には、抑えきれない笑み。
「条件は、完全にこちらに傾いていた」
冷静な分析。
しかし——
「……だが」
その笑みが、わずかに消える。
「タカミザワの狙いが分からない」
空気が少しだけ引き締まる。
「普通に考えれば、おかしい」
マルオが続ける。
「あの場で、ミロクを出す意味がない」
風と炎。
その相性。
レベル差。
「負けるのは最初から分かっていたはずだ」
視線がヒヨノに向く。
「ミロクのレベルは見たか?」
ヒヨノが静かに頷く。
「……見たよ」
「固有能力《分析》で」
一拍。
「ミロク君——レベル1だった」
沈黙。
誰も、すぐには言葉を出せなかった。
脳裏に浮かぶ"タカミザワ"の言葉。
『スペックが低すぎるな』
あの一言。
「……まさに、公開処刑だな」
マルオが小さく呟く。
その時。
「どうでもいい」
静寂を裂く声。
十文字だった。
「勝ったのは、俺たちだ」
「……いや、アカヤだ」
冷静。
徹底した現実主義。
「それに、今は、そこじゃない」
視線がフェニックスへ向く。
「契約だ」
「アカヤとフェニックスが契約を結ぶ」
「それが最優先だ」
その一言で、空気が変わる。
マルオが頷く。
「……そうだな」
「魔法教会の契約魔術の術式を準備する」
白いチョーク。
床に描かれる魔法陣。
円。
紋様。
複雑な術式。
アカヤが、フェニックスを両手で抱え、
魔法陣の中央へ。
「準備はいい」
その瞬間。
魔法陣が光る。
赤。
橙。
金。
炎のような光が空間を満たし、
魔力が渦を巻く。
そして——
光が、収束する。
静寂。
そこに立っていたのは——
アカヤ、一人。
「……終わったか?」
小さく呟く。
その瞬間。
肩に、紋様が浮かぶ。
召喚術式。
——ボッ。
小さな炎。
フェニックスが、姿を現す。
「ギィ!」
嬉しそうに鳴き、羽ばたく。
「……契約成功、だな」
マルオが腕を組む。
満足げに頷く。
「せっかくだ」
視線をアカヤへ向ける。
「名前をつけてやれ」
「名前?」
アカヤが首を傾げ、
少し考える。
そして。
「決めた!」
満面の笑み。
「“焼き鳥”だ!!」
——静止。
空気が止まる。
十文字ですら、口元が歪む。
「……本気か?」
珍しく、十文字が苦笑する。
「ああ!これで決まりだ!」
「よろしくな、“焼き鳥”!」
フェニックスが、じっとアカヤを見る。
「ギィ〜……」
(マジか……)
そんな声が聞こえそうな鳴き方。
だが。
炎の相性。
魔力の波長。
二者は確かに、噛み合っていた。
フェニックスも、完全には拒まない。
「……まぁ、いい」
十文字が小さく息を吐く。
「強ければ、それでいい」
マルオも頷く。
新たな戦力。
確かな前進。
「次も、勝つ」
その言葉に、全員が頷いた。
こうして、
マルオ一行は、さらに力を増す。
そして——
別の場所では。
一人の少年が、静かに決意していた。
敗北を抱えたまま。
それでも、前を向いて。
勝者は、勢いに乗る。
敗者は、力を蓄える。
その差は、やがて——覆る。
ーーーー 春風と約束 ーーーー
新学期。
冬の冷たい空気はやわらぎ、春の風が優しく吹いていた。
校庭の桜は満開に咲き誇り、淡い花びらが空を舞う。
ミロク達は、二年生になった。
そして——
新しく、小学一年生が入学してきた。
ミロクの妹、麗。
ケイタロウの三つ子の妹、一海・二海・三海。
そして——タカミザワの妹、衿素。
入学式は無事に終わり、
いつもより少し早い下校時間。
だがその日、
ミロク達はどこか静かだった。
理由は一つ。
タカミザワの機嫌が、
明らかに悪かったからだ。
理事長——
タカミザワの父が、
エリスの入学式に来ていた。
だが、その視線が、
タカミザワに向くことは一度もなかった。
“能力が低いから”
それだけの理由で、
彼は家族から切り離されてきた。
愛情ではなく、評価。
血ではなく、価値。
その現実を、誰よりも理解しているのは——
タカミザワ自身だった。
「……帰ろうぜ」
空気を察したケイタロウが、ぽつりと呟く。
ミロクとスコールは、何も言わず頷いた。
その日。
タカミザワを除いた三人と、
妹達を含めた七人で帰ることになった。
春の道。
桜の花びらが、風に乗って舞い落ちる。
「久しぶりだな!ウルル!」
ケイタロウが手を振る。
「ケイタロウ君、久しぶり〜!」
ウルルも元気に笑う。
「「「ミロク君!久しぶり!」」」
三つ子が一斉に声を上げる。
「久しぶり」
ミロクも軽く手を振った。
小学校に入る前の、
皆で遊んだ日々。
山を駆け回り、
海で釣りをして、
川で水をかけ合った。
何も知らなかった頃の、
ただの“友達”だった懐かしい時間。
「なぁ、まだ早いしさ——」
ケイタロウが笑う。
「遊んで帰らねぇか?」
その一言に、空気が少しだけ軽くなる。
「いいね!遊ぼう!」
ウルルが嬉しそうに跳ねる。
笑顔。
春の風。
ほんの一瞬だけ、すべてが穏やかだった。
——その時。
「……あんた達ね」
低い声。
冷たい圧。
空気が、一瞬で凍る。
視線の先。
そこに立っていたのは——
タカミザワの妹の"エリス"だった。
「あ、アイツは……」
誰も言葉を続けられない。
タカミザワの言った、
『俺の"家族だった奴ら"とは、関わるな』
その約束が、全員の頭をよぎる。
エリスはゆっくりと口を開いた。
「お兄ちゃんと——これ以上関わらないで」
その言葉は、鋭く、
そして真っ直ぐだった。
「お兄ちゃんが優秀なのは……」
一瞬、言葉が詰まる。
「家族の中で、私だけが知ってる」
拳が、わずかに震えている。
「だから、私が証明する」
「お父さん達に」
「お兄ちゃんは、本当はすごいって」
その瞳には、
強い意志と——焦りがあった。
「……だから、連れ戻す」
「そのために——邪魔しないで」
静寂。
誰も、何も言えなかった。
言いたいことはある。
だが——言えない。
約束がある。
立場がある。
そして何より——
友達だからこそ、踏み込めない。
エリスは、
それ以上何も言わなかった。
ただ、くるりと背を向けて歩き出す。
まるで——
最初から、それだけを言いに来たかのように。
風が吹き、
桜の花びらが、彼女の背に舞い落ちる。
「……何?アイツ」
ケイタロウの妹のカズミがぽつりと呟く。
「さぁな……」
ケイタロウが目を逸らす。
「分からない……」
ミロクも、小さく答える。
本当は、分かっている。
だが。
それを口にしてしまえば——
何かが壊れてしまう気がした。
春の空は、どこまでも青く澄んでいた。
だがその下の、
見えないところで、
少しずつ、歯車は噛み合い始めていた。




