82話 アーサー王の賭けと氷の聖女
王都の動乱がアーサー新国王の即位によって一時の静寂を取り戻した頃、リーゼンバーグ侯爵家当主ゼノは、断腸の思いでリリアを王宮へと送り出した。
彼は家門を死守するため、妹を再び政治の渦中へ投じるという逃げの選択をした自分を呪いながらも、それ以外の道を見出せずにいた。
新国王アーサーは、そんなゼノの姿を極めて冷静に観察していた。
リリアとアーサーの間には真実の愛がある。しかし、アーサーはあえてその事実をゼノに詳しく説くことはしなかった。ゼノが「妹を犠牲にして家門を守っている」という悲劇的な誤解を抱いたまま、罪悪感ゆえに王家に恭順することは、王権を盤石にする上でこの上ない僥倖であったからだ。
アーサーは、リリアの瞳の奥にある公正な波動を信じていた。同時に、ゼノの弱さを利用してでも、リリアを「法」そのものとして王宮に据えることが、この国の再生に不可欠であるという過酷な賭けに出たのである。
リリアが王妃に即位し、彼女の内に眠る「秩序の器」が完全に形を成したその瞬間だった。
前国王派による、禁忌の魔導「混乱の呪符」を使った最後の抵抗が発生したのである。
王城の大広間にいた貴族たちは、瞬時に理性を失い、互いに罵声を浴びせ合う地獄絵図と化す。列席していたゼノもまた、自らの後悔と恐怖を呪符に増幅され、その場に崩れ落ちた。
「――静まりなさい」
凛冽たる声と共に、リリアの身体から銀白色の強烈な波動が解き放たれた。それは「秩序の器」が放つ、不浄な混沌を強制的に凍りつかせる光。
光が大広間を包んだ瞬間、全ての狂気は停止し、静寂が戻った。それは救済ですらなく、感情の介在を一切許さない絶対法則による制圧であった。
光に貫かれたゼノは、妹の圧倒的な力に戦慄した。だが、彼が感じた恐怖の正体は、その光を放つリリアの横顔が、あまりにも清廉で、そして誰の手も届かないほど孤独に見えたからだ。
(私は、リリアをこのような、一切の私情を許されないほど冷たい光の中に、独りにしてしまったのか……)
貴族たちはその冷徹なまでの公正さと銀色の光を畏怖し、彼女をいつしか氷の聖女と呼び、恐れるようになった。
ゼノは打ちひしがれた。リリアがそのように呼ばれるほど心を硬く閉ざしたのは、自分が、家門が、彼女を追い詰めたからだと信じ込んだのである。
即位後、リリアは王都の腐敗を容赦なく切り捨てる粛清を開始した。
一方、ゼノは自らが犯した罪を償うべく、侯爵家が二度と不正に関わらぬよう、身を削るような清廉な統治を誓った。彼は妹との間に横たわる深い溝を埋めるため、彼女が敷く秩序を支える礎となる道を選んだのである。
リリアは、王妃として冷徹な光を放ち続ける傍ら、兄が必死に家門を改革する様子を、王宮から静かに見守っていた。
彼女はアーサーの賭けに自ら乗り、個人の情よりも王国の秩序を優先する道を選んだ。
けれど、その冷たい光の奥底には、いつか兄が、そして辺境にいる姉が、過去の呪縛から解き放たれ、心から笑い合える日が来るというもう一つの賭けが秘められていた。
その未来を掴み取るため、彼女は玉座の隣で、誰よりも気高く、冷たい秩序の体現者であり続けることを選んだのである。




