78話 祖母マリアからの試練と辺境伯の誓い
マリアには、最後にもう一つだけ果たすべき役目があった。
それは、自らが命を賭して運命を託した相手――カイル・ローゼンベルクという男の、真の覚悟を見極めることだった。
マリアは、慈愛に満ちていた表情を一度引き締め、鋭く、深淵を覗き込むような視線でカイルを見据えた。
「カイル様。私は、アリアが聖女としての真実の姿に目覚めるその時まで、煎じ薬で彼女を世の毒から隠し通してきました。ですが……」
マリアの声が、静まり返ったサロンに重く響く。
「貴方様は、かつてその膨大な魔力と呪いの苦痛に苛まれていた。その際、アリアを己を癒やすための便利な道具としてしか見ていなかった時期があったはずです。……お答えください。今の貴方様にとって、アリアとは何なのですか? 未だ、貴方様を助けるための機能に過ぎないのですか?」
カイルは、マリアの問いを一切逸らすことなく、正面から受け止めた。彼は深く、静かに息を吐くと、マリアという一人の恩人に対し、一寸の虚飾もない言葉を返した。
「マリア様。……否定はしません。出会った当初の私は、自身の崩壊を食い止めるために、彼女が持つ聖女の力に縋るしかありませんでした。その力が、彼女の身体をどれほど削るものかも顧みず、ただ救われたいと願っていたのは事実です」
カイルは一度言葉を切り、隣に座るアリアを、これ以上ないほど愛おしそうに見つめた。
「ですが、今の私にとって、アリアはこの世の何よりも替えがたい存在です。……誰からも忌み嫌われ、己ですら自分を呪っていた私の傍に、彼女はただ、アリアとして寄り添ってくれた。私の痛みを分かち合い、共に生きてくれる。聖女であるアリア、彼女そのものが、私の凍てついた心を溶かし、生きる希望を与えてくれたのです」
カイルは再びマリアに真っ直ぐな視線を向け、揺るぎない誓いを口にした。
「アリアは私の妻であり、私の全てです。彼女がその優しさゆえに、聖女として世界を照らそうとするならば、私はその隣で、彼女という存在を全身全霊で守り抜く騎士となりましょう。彼女を二度と道具などとは呼ばせない。聖女であるアリアが、アリアらしく幸せに笑っていられる未来を、私がこの命に代えても守り抜く。それが、ローゼンベルク辺境伯としての、そして彼女の番としての誓いです」
その言葉には、一切の迷いも、打算もなかった。マリアはカイルの瞳の奥に、アリアを便利な存在としてではなく、一人の尊い女性として、そして一人の聖女として、ただひたすらに慈しむ光を見出し、ようやくその厳格な表情を和らげた。その瞳には、安らかな涙が滲んでいた。
「……分かりました、カイル様。貴方様の覚悟、しかと受け取らせていただきました。聖女としての宿命ではなく、アリアという一人の女性を、その存在そのものを愛してくださる。それこそが、私が何十年も待ち望んでいた、真の救いです」
カイルの隣で、二人の魂のやり取りを静かに見守っていたアリア。彼女は、カイルが自分の力ではなく自分自身を何よりも大切に思ってくれていることを確信し、胸がいっぱいになった。
アリアは込み上げる感情を抑えるように、膝の上で自らの手をぎゅっと強く握りしめた。
すると、マリアがその震えるアリアの手に、自らの白く細い手をそっと重ね、優しく包み込んだ。
「アリア。貴女とカイル様の愛は、真の聖女にのみ許される奇跡を生み出したわ。貴女こそが、リーゼンバーグ家の歴史上、最も幸福な聖女です。……私の役目は、これでようやく終わりました。あとは、貴女たちの時代です。」
長年、たった一人で守り続けてきた孤独な光が、今、確かな愛によって祝福へと変わった瞬間だった。




