101話 影を追う者の慟哭:エルヴァンの独白
アルカディアス王国の東の果て。逆巻く怒涛が打ち寄せる断崖絶壁にそびえる、幽閉の塔。
絶え間なく吹き付ける飛沫と深い霧に閉ざされたその最上階で、エルヴァンは己の衰えた両手を見つめていた。
「……アリアもリリアも、それぞれの場所で、立派な聖女になったな」
エルヴァンの呟きに、かつてのような覇気はない。
傍らでは、かつて聖女を産むための器として人生を捧げた妻ロザリアが、静かに祈りを捧げている。
エルヴァンにとって、家族は愛の対象ではなかった。
母マリアの元で育った彼にとって、自分は次代の聖女を産み出すための道具に過ぎなかったからだ。
母の関心は常に聖女の血筋の維持にあり、嫡男であるエルヴァンという個の人間がどうあろうと、マリアは一顧だにしなかった。
そんな彼にとって、若き日のロザリアは唯一の救いだった。
マリアから一度も与えられなかった母の愛情を、彼はロザリアに求めた。彼女の温もりに触れている時だけは、自分が道具という役割を超えた存在になれる気がして、二人の情熱は激しく燃え上がった。
しかし、役割がお互いに変わることはなく、情熱は冷え、残ったのは義務感と、母マリアへの歪んだ対抗心だけだった。
「認められたかった……母上に、私という人間を見てほしかったのだ」
その焦燥が、彼を前国王の甘い誘いへと、そして二十数年前のあの惨劇へと駆り立てた。
自らの力を誇示するための闇の儀式。暴走した魔力が5歳の長男ゼノを飲み込もうとした瞬間、ロザリアが身を挺して息子を抱きしめた。
母の聖なる魔力と父の呼び寄せた闇が衝突し、幼いゼノの髪は一夜にして、光を拒絶する漆黒に染まった。
「息子を異形に変えた罪を隠したければ、私の下で従え」
前国王はその過ちを冷酷に握り、エルヴァンを逃げ場のなき共犯者へと仕立て上げた。
それから二十数年。家族の身を守るという名目の下、エルヴァンは泥沼の不正に手を染め続け、ロザリアもまた魔力供給源として利用され続けた。
すべてが変わったのは、アリアとリリアが聖女として完成に近づいた時だ。
前国王が娘たちの力を私物化しようとした瞬間、エルヴァンの中で眠っていた父親としての誇りが、二十数年の沈黙を破って燃え上がった。
彼は、自分を軽蔑しているはずの母マリアと密かに接触した。
「……母上。あの子たちの未来だけは、あの王に渡すわけにはいかない」
マリアは氷のような瞳で息子を見つめ、ただ一度、短く頷いた。
そこからは命を懸けた欺瞞の舞台だった。エルヴァンは王に従うふりをしながら、裏でマリアと共に娘たちの婚姻を根回しした。
アリアを信頼厚いローゼンベルク辺境伯カイルへ。リリアを次代の王太子(現国王)へ。
そして前国王が失脚する際、彼は自らすべての罪状を告発した。
ロザリアと共にこの断崖の塔へ幽閉されることで、娘たちの背後にあるすべての濁りを、自分たちと共に封じ込めたのである。
「……これでいい。あの子たちの道に、私の影はもう必要ない」
冷え切った塔の部屋で、エルヴァンは静かに目を閉じる。
道具として扱われ、父親として失敗し、ようやく人間として罪を背負えた今、彼は生まれて初めて、この東の最果ての闇を心地よいと感じていた。




