15 指輪
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「あぁ、疲れた」
自室に戻ったルネは、ソファに深く腰掛け、背もたれに寄りかかる。あの後もダニエルは、研究室や薬を量産している生産所まで足を運び、置いてあるものを片っ端から説明を求めた。その度に「ありがとう」と微笑んだり、事ある毎に手を握って来るものだから、ルネは精神的な苦痛を蓄積させていた。
「…今更なんだというの…」
無関心だった婚約者の面影を見て、罪滅ぼしのつもりなのだろうか。あんな事が起こる前に、少しでもルネへ優しさを向けてくれさえいたら、今とは違った未来があったかもしれない。でも道は分かたれてしまった。
ぐったりとしていると、扉を叩く音が静かに響いた。その体勢のまま「どうぞ」と返事をする。きっとジゼルに違いない。
「…休んでいたのか、改めた方がいいか?」
緩慢に首を向ければ、ダンが近づいて来るのが見えた。慌てて起き上がろうとするのを、ダンが左手で制する。
「ダン、来てたのね」
「無理するな、疲れてるんだろう?あぁ、さっき着いたばかりだ。ジゼルがこれを」
右手に持ったカップをルネの前に、静かに置く。疲労回復に効果があるオレンジピール入りの紅茶が、温かな湯気を上げていた。
「こっちは俺からレーヌ様へ」
少し汚れた麻の袋の中には、岩塩の塊や伽羅などの香木、辺境では自生しない香草や薬草の種が入っていた。それぞれ丁寧に個別に包まれていて、ダンの実直な性格が伝わってくるようだった。
並べた品々を見ながら、紅茶を一口飲みホッと息を吐く。
「まさかこんな短期間に、全部揃うとは思わなくて。ダンは凄腕なのね」
フードに隠れた顔は、辛うじて口元だけが窺い知れる。表情を感じない唇が、言葉を紡ぎ出す。
「それはどうも。…今後とも御贔屓に」
「こちらこそ。ヴェルレーヌ領の発展にとって、貴方は重要な存在。もうダン無しの生活は、考えられないわ」
自然に出た言葉だったが、言った後で色々な意味を含むと気付き、恥ずかしさが湧いて来る。やや目を伏せれば、ダンの形の良い唇が、目に入る。薄っすらと笑みを湛えていた彼の口が開かれる。
「俺もレーヌ様が好きだ。だから辺境の為に何でもする」
不意の出来事に、ルネは痺れたように動けなくなる。ダンは悠然かつ滑らかな動きで跪き、ルネの手を取ると唇を落とした。懐から小さな箱を取り出すと、徐に開いて中身を取り出した。するりとルネの薬指に、それを嵌めた。大きな金糸雀色の金剛石が、左手で美しく輝く。
「えっ…なっ…!」
「…初めて会った時から、目が離せなかった。俺と共に生きてくれないだろうか」
その真っすぐな気持ちが、痛い程伝わってくる。ダニエルとの苦い思い出の所為か、結婚など生涯無縁だろうと思っていたというのに。
「答えはすぐでなくていい、…考えてみて欲しい」
ポカンと口を開けたまま、茫然としているルネの頬を指でなぞり、扉へと向かって行く。戸を開け振り返りざまにルネの方を向いた。
「おやすみ、レーヌ様」
その声で弾かれたように、ルネは我に返る。
「…えぇ、おやすみなさい、ダン」
静かに扉が閉まると、辺りを静寂が包んだ。左手の薬指に煌く指輪を見つめれば、ダンが口にした愛の言葉が甦り、急に顔が火照り出す。
ダニエルとの婚約では築けなかった信頼関係が、ダンとの間には感じられる。賊が侵入した際も、危険を顧みず真っ先に立ち向かってくれたと聞く。ダンは辺境に滞在している時、ルネの荷物を何気なく持ってくれ、根気のいる製薬作業を代わったりしてくれる。その度に彼の優しさを再認識していた。
先程、口づけをされた手の甲に指を当てる。嫌な気はしなかった、寧ろ嬉しくて心地よかった。
(あぁ、私)
求婚されて改めて気付く、ダンに惹かれていたんだと。
けれど自分は死を欺き、生き延びる者。正直に打ち明ける?全てを公開し伯爵令嬢に戻るとなると、破棄したエルランジェ公爵家との関係はどうするか。それとも、ダンに秘密を守って貰い、二人で日陰を歩む人生を送るか。…どちらにせよ、この件の首謀者を見つけるまで、婚姻など到底望めないだろう。
急がないでいいというダンの言葉に甘えて、もう少し結論を先送りする事にした。
今日は本当に色々な事があったなと、寝台に横になれば、あっという間に眠りについていた。
もしよければ次回も見て頂けると、とても嬉しいのです。




