第十二章 いい顔
# 第十二章 いい顔
悠斗が家から出るには、少し時間がかかった。
片足を伸ばすと、きゅうの足に当たる。
頭を上げると、屋根に触れる。
「先生、壊さないで」
小吉が言った。
「分かってる。まず、お前らが出ろ」
「先生、最後?」
「最後でいいから」
七人が順番に出ていく。
悠斗は入口へ片手をつき、ようやく外へ出た。
背中を伸ばす。
「狭かった……」
「入れたでしょ」
小吉が振り返った。
「入れたよ」
「じゃあ、いい家」
悠斗は屋根を見た。
黄色と青の壁。
丸い窓。
少し広めの入口。
いわおも、ことも、自分で出てこられた。
「そうだな」
悠斗が言うと、小吉は満足そうにうなずいた。
◇
瑞雲の家も、そのあとに完成した。
大入道の子が屋根から手を離し、ガシャ髑髏の子が長い腕を折り畳んで中へ入る。
入口で二人がぶつかりかけたが、狸の子が一度外へ戻り、順番を空けた。
全員が入る。
旗が上がった。
宵待の親たちも拍手をした。
こはくは二つの家を見比べた。
「あっち、屋根が高い」
「大きい子がいるからね」
母親が答える。
「こっちは、丸い窓がある」
めめが自分たちの家を指した。
「ことちゃんが持ってきた」
「ころころしたぁ」
ことが言った。
きゅうが窓を覗く。
向こう側から、いわおが顔を出した。
「見える?」
「見える!」
また、子どもたちが家の周りへ集まり始めた。
「閉会式を始めます。皆さん、集合してください」
白銀先生の声がした。
小吉は家を振り返る。
「置いていくの?」
「あとで材料に戻すそうだ」
悠斗が答えた。
「せっかく作った」
「写真、撮っただろ」
小吉は少し考えた。
「今度、園でも作る」
「積み木ならあるな」
「もっと大きいの」
「材料は園長と相談してくれ」
夜久園長が、すぐ隣で微笑んだ。
「相談の多い保育園ですね」
「園長でしょう」
「ええ。聞きますよ」
小吉は夜久園長の隣へ並んだ。
歩きながら、もう両手で家の大きさを示していた。
◇
得点板の前へ、両園の子どもたちが並んだ。
瑞雲には、いくつもの印。
宵待には、一つ。
「総合優勝は、瑞雲保育園です」
白銀先生が告げた。
瑞雲の子どもたちが手を上げる。
拍手が起きた。
宵待の子どもたちも、手をたたいた。
大河は、隣の天狗の子へ顔を向けた。
「速かったね」
「高嶺先生も速かった」
「夜久先生も」
天狗の子が夜久園長を見た。
「急に来た」
大河はうなずいた。
「呼んだら、来た」
高嶺園長が前へ立った。
長い鼻を少し上げ、子どもたちを見渡す。
「皆さん、よく頑張りました。瑞雲の皆さんは、日頃の練習の成果を十分に発揮できましたね」
瑞雲の子どもたちがうなずく。
「宵待の皆さんも、最後の競技では一勝できました」
高嶺園長は夜久園長へ目を向けた。
「一勝くらいは、お譲りしてもよかったでしょう」
悠斗の眉が動いた。
譲ったわけではない。
あの家は、七人が作った。
口を開きかけたところで、きゅうが袖を引いた。
「先生」
「何だ?」
「楽しかった」
悠斗はきゅうを見た。
きゅうは閉会式の前へ向き直り、続きが始まるのを待っていた。
小吉が母親を探す。
「終わったら、帰る?」
「ああ」
「お母さんに、家の写真見せてもらう」
こはくが、自分の母親へ手を振った。
めめは首へ掛けた参加賞を顔へ近づけている。
黄色い紙のメダルだった。
悠斗は口を閉じた。
夜久園長は、いつもの穏やかな顔で立っていた。
◇
閉会式が終わると、子どもたちは親のところへ走った。
「家、入れた!」
いわおが父親へ言う。
「先生も入った!」
きゅうが続けた。
「窓は丸いの」
めめがメダルを持ったまま話す。
親たちは写真を見せ、もう一度七人の家の話をした。
瑞雲の子どもたちも、帰りの支度を始めている。
千里眼の子が、宵待の観覧席を見た。
「あっち、まだ笑ってる」
狸の子も顔を向けた。
こはくが母親に抱きつき、何か話している。
小吉の母親は、ほかの親へ家の写真を見せていた。
「楽しそう」
狸の子が言った。
帰りの挨拶を交わしていた高嶺園長が、言葉を止めた。
隣の白銀先生も、子どもの声に顔を向ける。
二人は、狸の子が見ている先を追った。
宵待保育園の観覧席では、親たちが一枚の写真を囲んでいた。
小吉が画面を指す。
いわおが横から覗き込み、こはくが何か言った。
子どもも親も、一緒に笑った。
高嶺園長の手の中で、羽団扇が動かなくなった。
白銀先生は競技表を持ったまま、その輪を見ていた。
宵待の得点は、一つだけだった。
それでも、笑い声はまだ続いていた。
「皆さんも、帰る準備をしましょう」
白銀先生の声に、二人は自分の鞄へ戻っていった。
悠斗は弁当箱をしまい、荷物を肩へ掛けた。
大河が近づいてくる。
「先生、持つ?」
「自分の水筒を持ってくれ」
大河は両手に持った水筒を見た。
「持ってる」
「じゃあ、十分だ」
大河はうなずき、父親のところへ戻った。
◇
空が、少しずつ白み始めていた。
親子たちは門の前で挨拶を交わし、それぞれの帰り道へ向かった。
家が途中まで同じ方角の親子と、悠斗と夜久園長は、しばらく一緒に歩いた。
少し前を、子どもたちが歩いている。
こはくは自分の姿だった。
いわおは父親へ柱を支えたときの話をしていた。
小吉は母親と手をつなぎ、自分の足で歩いている。
大河はその隣で、小さな声で歌った。
悠斗は、親子の少し後ろを歩いた。
「最後の種目、指示を出しませんでしたね」
夜久園長が言った。
悠斗が顔を向ける。
「諦めたのかと思いました」
「思ってないでしょう」
夜久園長は微笑んだ。
悠斗は前を見た。
きゅうが母親へ、パンを取ったときの動きを説明している。
両手を後ろへ回したまま歩こうとして、母親に手を取られた。
「弁当を食ってるとき、気づいたんです」
「何にですか?」
「この運動会の意味に」
悠斗は鞄の紐を持ち直した。
「俺だけ、得点板を見てました」
夜久園長は黙って聞いていた。
「あいつらも、親御さんたちも、誰が何をできたかって話ばかりしてた。耳が消えたとか、色が分かったとか、声が聞こえたとか」
こはくが母親の前へ回った。
何か言って、二人で笑う。
「あいつらの、今までの成長を見せるための運動会なんだなって」
悠斗は続けた。
「勝たせたい気持ちはありましたよ。最後だって、ありました」
「ええ」
「でも、俺が全部決めて動かしたら、あいつらが今できること、分からなくなるでしょう」
家を作り始めたとき、何度も口を出しかけた。
材料を運ぶ順番。
屋根を支える役。
自分なら先に決めることを、七人は作りながら見つけていった。
「だから、待ってみたんです」
夜久園長がうなずいた。
「勝ち負けにこだわるのは、何か違うなって」
少し前で、小吉が振り返る。
悠斗が歩いているのを確かめ、また母親の方へ顔を向けた。
夜久園長は親子たちを見た。
「勝ち負けなど、興が削がれるだけです」
穏やかな声だった。
「今の皆さん、いい顔をされていますよ」
悠斗は前を見た。
子どもも、親も笑っている。
「そうですね」
夜久園長が、悠斗へ顔を向けた。
「悠斗先生もですよ」
「俺は疲れた顔でしょう」
「ええ。よく働いた顔です」
「便利な言い方だな」
悠斗は笑った。
◇
道が分かれるたび、親子が一組ずつ手を振った。
「先生、また今夜!」
きゅうが言った。
「寝てから来いよ」
「先生もね!」
「俺はちゃんと寝る」
めめは両親と手をつなぎ、眼鏡をかけたまま歩いていく。
こはくは最後に一度だけ悠斗へ化けようとして、母親に止められた。
「帰ってからね」
「先生がいないと、比べられない」
「もう十分覚えてるだろ」
悠斗が言うと、こはくは笑った。
大河は小さな声で、夜久園長を呼んだ。
「夜久先生」
「はい」
「またね」
「また今夜」
いわおは父親と並び、メダルを見せ合うように持ち上げた。
小吉は母親の手を握ったまま、悠斗を見た。
「今度、もっと大きい家」
「園長に相談したか?」
「した」
夜久園長がうなずく。
「材料を探しておきます」
小吉は安心したように、母親と歩いていった。
ことは、母親に抱かれて眠っていた。
首へ掛けたメダルが、身体の動きに合わせて揺れる。
母親が頭を下げた。
「また今夜、お願いします」
「はい」
悠斗が答えた。
最後の親子が曲がり角の向こうへ消える。
夜久園長も、園へ戻る道を指した。
「では、私も」
「お疲れさまでした」
「悠斗先生も」
悠斗は一人になった道を歩き出した。
肩の鞄が、今日は少し重かった。
◇
家へ着くと、深雪が台所にいた。
「おかえり。どうだった?」
「一勝」
「そう」
「最後だけ勝った」
悠斗は鞄を椅子へ置いた。
「七人で、家を作った」
深雪が振り返る。
悠斗はスマートフォンの写真を見せた。
丸い窓へ、いくつもの顔が集まっている。
その後ろで、悠斗が窮屈そうに座っていた。
「あなたも入ったの?」
「入れって言われたから」
「いい家ね」
「ああ」
悠斗は写真をもう一度見た。
「いい家だった」
深雪は写真から顔を上げた。
「ほかの競技は?」
「負けた」
「そう。残念ね」
「いいんだよ、それで」
深雪は悠斗の顔を見た。
悠斗は写真へ目を戻した。
丸い窓の向こうに、みんながいる。
しばらく見てから、スマートフォンを置いた。
椅子へ座り、鞄からノートを出す。
七人それぞれの記録を、ページごとに開く。
最後に、新しいページへ書いた。
団体競技。七人で家を作った。
全員が入れる入口と、屋根と壁。
相談して、運んで、支えて、完成。
その下へ、小さく書き足す。
悠斗。一緒に入れてもらった。
丸を一つつけた。
窓の外は、すっかり朝になっている。
悠斗はノートを閉じた。
今夜も、七人が来る。
悠斗は、大きな家を作る子どもたちを思い浮かべながら、ベッドへ入った。
朝日の差し込む部屋に、ほどなく寝息が聞こえ始めた。
深雪はそっとドアを開け、眠る悠斗を見た。
静かにドアを閉め、微笑む。
「お疲れさま、悠斗先生」




