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神楽

 

       ◯



 こうして手を繋ぐのも一年ぶりか、と高原は思った。


 神楽の舞台となる『神楽殿(かぐらでん)』にたどり着くまで、高原は狭野と繋いだ手を放さなかった。

 人々の間を縫うように進みながら、彼の手のぬくもりを密かに意識する。


 けっして放そうとしなかったのは、人混みの中で離れ離れになってしまうのを防ぐためというよりも、私情の方が理由として大きかったかもしれない。


 狭野の手を、少しでも長く握っていたかったのだ。


 こうしてお互いの手を繋ぐのは初めてではないけれど、だからといって、いつでも当たり前のように出来るわけでもない。

 一年に一度、夏祭りを楽しむこの瞬間だけが、彼と自然に手を繋ぐことができる唯一のチャンスだった。


 そんなこと、口が裂けても言えないけれど。


「ちょっと笙悟、ちゃんと前を見て歩きなさいよね。転ぶわよ」


 途中、何度か後ろを振り返って狭野の様子を伺ってみたが、その度に彼はキョロキョロと辺りを見回していた。何か探し物でもしているのだろうか。


「どうしたのよ。何か気になることでもあるの?」


「いや……。さっきの子、またどこかで会えないかと思って」


「さっきの子って、幽霊の話? まだそんな冗談言ってるの?」


 呆れた、と高原はわざとらしく溜息を吐いた。

 大して面白くもない話を引っ張って、いま目の前にいる異性とのスキンシップをないがしろにするなんて。


 こうしてお互いの手を繋いでいても、彼はそういったことには微塵も興味がないらしい。

 そんな彼の様子に、高原は内心不満を募らせる。今日この日のために新調した浴衣だって、せっかく色違いのお揃いにしたのに。


(なによ。私ばっかり意識して……バカみたい)


 やがて河川敷の土手を上り、その先にある鳥居を潜って境内に入ると、今度は屋台の代わりに背の高い木々が両脇を埋め尽くす。

 鬱蒼と生い茂る雑木林が、神社全体をぐるりと取り囲んでいた。


 辺りは暗く、参道に沿って吊るされた赤い提灯(ちょうちん)がなければ、その場は一面闇に包まれていただろう。淡く照らされた道を進めば進むほど、お囃子の音が近づいてくる。

 そして、


「龍臣くーん! がんばってー!」


 複数の黄色い声が、奥から上がった。


 見ると、道の先には人だかりがあり、さらにその奥に見える神楽殿ではすでに演目が始まっている。


 松明(たいまつ)が灯された舞台の上では、刀を持った(はかま)姿の男性と、そして、狩衣(かりぎぬ)姿で鬼の面を被った子どもとが対峙していた。


 男性はこの神社の宮司であり、鬼の方はその息子――祓川(はらいがわ)龍臣(たつおみ)だ。


「ほら見て、笙悟。あの鬼の役、今年は龍臣が演じてるのよ!」


 高原が舞台を指差して言った。


 祓川は同じ小学校に通う同級生だ。

 神社の跡取りであり文武両道、さらには恵まれた容姿も相まって、同年代の女子たちから絶大なる人気を誇る。


 狭野はやっと辺りを見回すのをやめると、ゆるゆると演者の二人を見上げた。


「鬼の役ってあの、刀でビシバシ叩かれるやつ? 大人でも痛いって聞くけど大丈夫なの?」


 心配したそばから、宮司の振り上げた刀が勢いよく、鬼の肩口へと打撃を加えた。

 ドッ、と重い音を立てて、それは鬼の柔らかな肉へと食い込む。模造刀のため皮膚が切れるようなことはないが、容赦なく振り下ろされたそれは明らかに痣を残すほどの威力があった。


 あまりの痛みに耐えきれなかったのか、鬼はその場へ崩れ落ちるようにして倒れ込んだ。


「龍臣くん!」


 すかさず女子たちの悲鳴じみた声がそこかしこから上がった。

 あれは痛いだろうなあ、と周りで見物していた大人たちも口々に言う。


「今年も容赦ねえなあ。俺が鬼役を引き受けたときも、そりゃあ酷い目に遭わされたぜ」


「さすがに子どもが相手の時くらい手加減してやってもいいのになあ」


「いくら自分の息子だからって、あれはやりすぎだろう。まだ小学生だぞ?」


 すでに経験済みの者たちによる同情の声がいくつも上がる。


 鬼は『祓われるべきもの』の象徴であり、作物を枯らす日照りや嵐、人を取り殺す悪霊などのあらゆる災厄を表す。

 そのため、鬼の役は毎年こうして容赦なく叩きのめされるのが昔からの習わしだった。


「うわー……痛そう。龍臣ってば本当に大丈夫かしら。ねえ笙悟――」


 と、高原が再び狭野の方を見ると、それまで隣にいたはずの彼が忽然と姿を消している。

 あれっと思い、未だ繋がったままの手の先へ視線をやると、彼はその場にしゃがみ込んで、地面に何やら絵を描いていた。


「ちょっと笙悟、何してんのよ。せっかくの神楽も見ないで」


「さっきの子の顔、記憶が新しいうちに描いておこうと思って。……こんな感じの女の子だったんだけど、舞鼓は見覚えない?」


 見る見るうちに、狭野の足元には誰かの似顔絵が描き出されていく。お世辞にも上手いとは言えないその絵は、しかし一目で女の子のものだということがわかる。


 それを認識した瞬間、高原もついに我慢の限界に達した。


「……いい加減にしてよ!」


 感情のままに声を荒げると、さすがの狭野も驚いたように顔を上げた。


「一体何なのよ、さっきから。幽霊がどうとか女の子がどうとか、訳のわからないことばっかり言って。せっかく一緒にお祭りを楽しめると思ったのに。私と一緒にいるのがそんなにも楽しくないわけ!?」


 せっかく、二人でいられる貴重な時間なのに。

 それを台無しにされたような気がして、思わず涙目になる。


「あんたっていつもそう! 人の気も知らないで……私の気持ちなんか考えもしないで。こうして私が怒ったって、どうせあんたにはわかんないんでしょ。あんたは、どうせ私の言葉だって表面的にしか受け取らないんだから!」


 どんな物事にも二面性があり、人の言動の裏には何か意図があるということを、この少年は知らない。

 それこそ面と向かって「愛してる」とでも言わなければ、こちらの想いもきっと伝わらないのだ。

 だからといって、そんなことをする度胸も高原にはない。


 と、そこでやっと高原は我に返った。


 いつのまにか、周囲の視線がこちらに集まっている。

 神聖なる境内で、しかも神楽が演じられている目の前で、場違いな大声を上げてしまった。

 恥ずかしさと気まずさから、かあっと顔面が熱くなる。


「……す、すみません!」


 誰にともなく平謝りし、狭野の手を放して逃げるようにその場を立ち去ろうとすると、


「!」


 一瞬だけ、舞台上の鬼と目が合った。


 祓川が、こちらを向いている。

 まだ演目は終わっていないはずなのに、明らかにこちらへ顔を向けてよそ見をしているのがわかった。


 神事の最中でのよそ見は禁物だ。いくら見物人たちが騒がしくしていたからといって、演者が途中で他のことに気を取られるのは本来あってはならないことだった。


 そして案の定、よそ見をした罰といわんばかりに、彼の父親が再び刀を振り下ろして制裁を加えた。

 ドッ、と嫌な音がして、鬼は再び地に伏した。周囲ではまたしても悲痛な声が上がる。


 その様子を横目に、悪いことをしたな――と高原は罪悪感を抱えながらも、その場を離れる足を止められなかった。


 後方からはいつのまにか、花火の打ち上げられる音が響く。


(また明日、謝りに行かなきゃ)


 明日は狭野のことなんか放っておいて、もう一度この場所へ来よう、と思った。

 そして、祓川に謝らなければ。


 彼に謝るために、明日、高原は一人でここを訪れる。


 その行動が祓川にとってどれだけ大きな意味を持つことになるのか、このときの高原は知る由もなかった。

 

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