幽霊
「ん、どうかしたの?」
きょとん、と首を傾げる高原の前で、狭野は口を半開きにしたまま固まっていた。
今、どう考えても物理的に不可能なことが起こった。
見間違いでなければ一瞬だけ、二人の少女の身体が重なって、そのまますり抜けたのだ。
「どうなってるんだ……? 僕の目がおかしいのかな。それとも、これは夢?」
「なに一人でぶつぶつ言ってんのよ。それより、ちゃんとベビーカステラは買っておいてくれた? ……って、その袋、一番小さいやつでしょ。中くらいのサイズにしてって言ったのに!」
高原は狭野の手元を見るなり、悲しそうな声を上げた。
「あれ、そうだっけ? でも、あんまりいっぱい食べると太るよ。カステラって結構カロリー高いし、むしろこれくらいの量にしておいて良かったんじゃない?」
悪びれもせずに狭野が言うと、高原は顔を真っ赤にして怒鳴る。
「大きなお世話よ! あんたって本当にデリカシーがないんだから!」
そんな二人のやり取りを隣で眺めていた少女は、ふふっと可笑しそうに肩を震わせて笑った。
「二人とも、仲が良いのね」
そう言って慎ましやかに笑う彼女の姿に、狭野の視線は再び熱を帯びる。
「あ、いや。べつに仲良くなんてないよ。ただの幼馴染だし、いつもこれが普通っていうか」
「……笙悟、誰と話してるの?」
不思議そうに見つめてくる高原。
狭野は隣に立つ少女を指差して、
「この子のこと、見えてないの?」
あまり期待せずに聞いた。
「この子……? って、何それ。もしかして冗談のつもり? 誰もいないけど、幽霊が見えてるとかそういう設定?」
ぷっと笑いを堪えるように高原が言って、狭野は改めて隣の少女を見上げた。
(やっぱり、僕以外には見えないんだ)
容姿が優れていること以外、一見何の変哲もない中学生くらいの少女。その姿は狭野以外の人間には見えておらず、おそらくは触れることもできない。
実体がない。
ということは、やはり高原の言う通り、彼女は幽霊なのだろうか。
今まで自分に霊感があるなんて、自覚したことはなかったけれど。
「あなた、『しょうご』っていう名前なのね」
「えっ? あ、うん」
急に尋ねられて、思わず声がひっくり返りそうになった。
「そう……。良い名前ね」
彼女はそう呟きながら、優しげに目を細める。その眼差しは、まるで赤ん坊を見つめるときのような穏やかさに満ちていた。
「あっ! お囃子の音が聞こえるわ。神楽が始まったみたい」
と、高原の放ったその声で、狭野は再び我に返った。
耳を澄ませてみると、人々の喧騒に紛れて神楽囃子が聞こえてくる。和楽器を用いた日本古来のメロディが、その場一帯を神聖な雰囲気へと誘っていた。
毎年、こうして夏祭りの夜には、花火会場のすぐそばにある神社で神楽が披露される。
演者は主に神職の人間だが、場合によってはそれ以外の地元民が参加することもあった。
「早く見に行かなきゃ、龍臣の出番が終わっちゃうわ。ほら笙悟、急ぐわよ!」
「あっ、ちょっと。そんなに引っ張らないでよ!」
高原に無理やり手を引かれ、狭野は転びそうになりながらも音の聞こえる方へと向かっていく。
幽霊と思しき少女もついてくるだろうか、と後ろを振り返ってみれば、彼女はその場に留まって、小さく手を振っていた。
「それじゃあ、私はここで」
「えっ、来ないの? 一緒に見ようよ。神楽、そこそこ見応えはあるよ?」
正直に言えば、神楽自体にはそれほど興味はなく、ただ一緒に来て欲しいだけだったのだけれど。
しかしそんな思いは伝わらず、少女はゆっくりと首を横に振る。
「神楽は、ちょっと苦手なの。辛いことを思い出しちゃうから……。私の分まで、二人で楽しんできてね」
そう言った彼女の顔はどこか寂しげで、憂いのある微笑を浮かべていた。
どんどん遠くなるその姿から狭野は目を離せないでいたが、やがて視界を遮るように人が横切ると、その一瞬の内に、彼女は煙のように消えてしまったのだった。




