物語はゆるやかに進み始める。
金城先輩と昼食を食べるようになってから一週間が経過したが、俺と彼女の関係は改善を見せるどころかむしろ悪化した。
悪化する要因となった会話は様々だが、大概それは俺の女性関係の話題だ。
俺がそう言った話題に対して、明確な答えを返さないせいで金城先輩は誤解を深め、想いを募らせる。ちなみにこの場合の想いとは怒りのことである。
俺が早退した最初の日以降、ずっと同じような会話をしては同じような帰結を迎えている。流石に早退はしていないし、あれ以来変に割り切ってしまって気分が落ち込むこともない。
それは決意のようなものの表れなのだろうか、と思う。自分の為に金城先輩の気持ちを踏みにじるという最低な決め事は我ながら醜く、愚かだとも思うがそれでももう後戻りなど出来ない。
そして今日もまた、昼がやってくる。普通の生徒にとっては休憩をとるための時間だが、俺と金城先輩にとっては授業よりもむしろ苦痛な時間だ。
「今宮友弥はいるかしら」
心なしかやつれた顔の金城先輩がいつものように迎えにやってくる。律儀だが、俺はどこまで信用されていないのだろう。それに、疲れているなら来なくてもいいです。出来れば、束の間でも良いので谷木のことや金城先輩のことを考えない時間が欲しい。
「今行きます」
しかし、そんなことを言えるはずもなく、立場の弱い俺は弁当を手に取り機械的に立ち上がって彼女の拳二つ分ほど隣を歩く。最初は多かった好奇の視線も一週間もあれば、一部も見られなくなった。二日目に茶化してきた倉瀬たちに至っては、俺と金城先輩のやり取りを目にしたために気の毒そうな視線をこちらに向けている。
倉瀬と牧本、木津の三人は数カ月の付き合いで俺をある程度理解してくれていたから、谷木のことを省いた大まかな経緯を話すと同情してくれた。別に他の奴らに同じような誤解をされたところで平気だが、三人と険悪な雰囲気になるのは嫌だった。女子と絡んでいる俺を見て、裏切り者呼ばわりして少し拗ねていた木津が「頑張れ」と言って慰めてくれた時は、正直泣きそうになった。
とはいえ、それは現状を変えるためには何の意味もなさない。金城先輩の認識を変えるには俺が彼女と仲良くなるしかなく、俺の友人である三人が彼女の誤解を解こうとしたところで金城先輩は聞く耳を持たないだろう。
「今日も、あなたはだんまりを決め込むつもりですのね」
中庭が目前になって、突然金城先輩がそんなことを言い始めた。
「いや、道中いつもこんな感じでしょう。それに、中庭ではしっかりと話しているはずです」
意図が読めなかった俺は、咄嗟にそんな返答をした。金城先輩は俺のその返答に苦笑いを浮かべて、足を止めた。ここ一週間、彼女と出会った日以外では初めて見る怒り以外の感情が籠った顔だ。
「そういうことを言いたいのではないとあなたもわかっているのではなくて?」
そう言われて、俺は黙った。勘違いに気がついたのではないかと思ったからだ。別にそれならそれで全く構わないし、タイミングとしては丁度いいような気がした。ここが仲を深めるチャンスなのではないか、と……
しかし、俺のそんな勝手な期待は次の彼女の言葉で霧散した。
「いい加減、腹を割って話をしましょう。そのうえで、あなたの歪んだ女性観を叩き直してさしあげますわ!」
「いや、何を言ってるんですか」
あんまりにも自信満々にそんなことを言うものだから、呆れて失礼な言葉が出てしまった。金城先輩は成績もかなり良かったと思うのだが、どうしてか一度信じてしまったことは疑わない。この人、将来詐欺に引っかかったりしそうだなと思う。
そんな俺の懸念をよそに、金城先輩は逆にこちらを馬鹿にするような目をして言った。
「そのままの意味ですわ」
その表情と口調が妙に嫌味っぽくて、腹が立った。
「金城先輩ってひょっとしてお頭の方が不出来でいらっしゃいますか?」
反射的にその様な事を言うと、金城先輩は顔を真っ赤にして怒り始める。日頃の谷木に対する鬱憤が思わぬ形で出てしまったのだろう。すぐにやってしまったと思うが、後の祭りだ。
「よりにもよって生徒会長の私に頭が不出来とはなにごとかしら! この無礼者!」
こちらを睨みながら彼女は怒鳴った。今までに聞いたことのない声量だが、それが故にこちらにも火がついてしまい一瞬平生に返ったにも関わらず、堪らず言い返す。
「馬鹿に馬鹿って言って何が悪いんですか! この間抜け!」
売り言葉に買い言葉。その後も俺たちは昼食も取らず、教師に留められるまでそんな調子で言い合いを続けた。二人して怒られたのは言うまでもないだろう。
そんなことがあった翌日。
俺は久しぶりに谷木に呼び出されて、朝早く学校に来ていた。場所は例のごとく屋上だ。
今回は前回のようなことがないように屋上に誰もいなければ帰るつもりだったが流石に二回連続でそんなことはしないらしく、連絡に合った通り屋上にはちゃんと谷木が居た。
「顔をしっかりと合わせるのは二週間ぶりぐらいだね。元気そうでなにより」
「お前には今の俺が元気そうに見えるんだな。眼科行け」
ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべる谷木をその言葉と共に睨みつける。しかし、それでも谷木はどこ吹く風のようで、「怖いなあ、怖いなあ」などと冗談めかして笑っている。
「ふふ、私には友弥君が本当に元気そうに見えてるよ。だってさ、じゃなかったらあのエリス先輩と喧嘩なんてしないでしょ」
「そこだけ切り抜いて自分に都合が良い話してんじゃねえよ。お前のせいでこちとらいらない苦労をしてるんだ。疲れてしょうがない」
「いやあ、自分に都合が良いのは友弥くんもじゃない? 私を理由にしてはいるけど、現状に甘んじているのは他でもない君だよ」
ま、それもしょうがないけどね、と言って笑いながら谷木は続ける。
「主人公って立ち位置は居心地がいいもんねえ。色々なことが都合良く進むんだからさ。自覚、あるでしょ?」
俺はその言葉に奥歯をグッと噛んだ。図星だったからだ。
谷木から「主人公」という立場を与えられて、彼女が仕組んだことによって出来上がった現状を、俺はどこか心地良いと感じていた。もちろん、金城先輩に対して持つ罪悪感が消えたわけではない。それでも、今の現状を半ば受け入れてしまっているのは事実だ。
「それに君は自分が一番大事だからね。自分のことを守るためならなんだってする。面白いのが自分の発言力の弱さをよく理解していることだ。おかげで煩わしくない」
ケラケラと笑いながら、谷木はこちらに近づいてくる。俺はその様子をジッと睨むことしかできない。
気づけば眼前には谷木の顔があった。改めて、目鼻立ちが整った端正な顔立ちだと思うが、それでも俺は決して睨んだまま目線を離さなかった。
そうして顔を突き合わせたままどれぐらい経った時だろうか、突然、谷木の手が俺の顔に触れた。あまりのことに、驚いて動けないでいる俺に谷木は初めて、優しい笑みを浮かべて言った。
「友弥君は本当に面白いよ。最高の主人公だ」
その発言は控えめに言って気色悪くて、表情如何関係なしに背筋が凍った。