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#11 ‐戦場の摩擦-

「知ってるかい? 戦場には摩擦があるんだ」


 執事から渡された手紙へと目を通しながら、セシルが話す。


「摩擦……と申し上げますと?」


 セシルの言葉に、執事が怪訝そうな顔をする。


「曰く、戦場には誰も予測できない不確定要素があるんだ。

 天候、体調、地図では分からない土地の状態や敵の些細な動き……そう言った小さな出来事が積み重なり、やがて大きなアクシデントを生むのさ」


「成る程……摩擦は差し詰め、何百枚も並べられたドミノの一枚目という訳ですな」


「その通り」


 機嫌良くぱちんと指を鳴らして、セシルがくるりとターンする。


「だから指揮官はその摩擦を一つ一つ発見して潰していかなければならない。

 ドミノを一枚一枚確認して、倒れそうなものを直していくんだ」


 とても楽とは言えないね、とセシルが肩を竦めてみせる。


「……それで、何故私にその話を?」


「君は優秀だけど気が早いのが難点だね。慌てる乞食は貰いが少ないよ?」


「善は急げとも言います」


「やれやれ……ああ言えばこう言う使用人なんて、君じゃなきゃすぐに解雇しちゃうんだけどね」


 セシルが両手を広げ、踵を軸にしてくるくると廻る。


「嗚呼、愉しみだよ。実に愉しみだ。

 もうすぐ役者が出揃うぞ。愉快で狂った乱痴気騒ぎ、愉しい愉しい悲喜劇の役者が」


 くるくる、くるくる。くるくるくる。


 歌う様に、踊る様に、セシルが嗤い、廊下を廻る。


「筋書きはもう決まってる。全ては僕の思うままに進むんだ!

 僕はこの日を待っていた。ずっとずぅっっと彼の事も!」


 透き通る様な肌が、咲き零れる様な唇が、輝く様なドレスが、濃密な狂気を生み出している。


 大きく開かれたドレスの背中からは、教会の人間である事を表す太陽と十字の刺青が入っていた。


 今や彼は、カルメリーナ達の前にいたミステリアスで博識な子爵ではない。


 自らが悪と見做した相手を地獄へと突き落とす、異端審問官のそれとなっていた。


「今度は逃がさない! 王国にいても聖帝国にいても、必ず捕えて僕の手で火刑にする!

 これほど僕を焦がれさせたんだ! 必ず、僕が必ず――」


 舞踏が止まり、セシルが天を仰ぎ見る。


 その目は恍惚に蕩け、淫靡な輝きを放っていた。


 唇が歪み、黒い言葉が漏れ出る。


拷問あいして、裁判あいして――地獄てんごくへ連れて行くんだ」


 その身に眠る狂気あいを、その身に足りない渇望こいを。


 抱きしめる様に、或いは引き裂く様に、セシルは己が身を細腕で包んだ。

 


「……ねえ、アベル」


 ぱちぱちと火の粉の爆ぜる中、アインがアベルに話しかける。


 辺りには夜の帳がすっかり降りて、アベルの隣でレジーナとロゼリアが眠っていた。


 メイズとラインホルトは見張りの為に辺りを哨戒しており、今この場にはいない。


 焚き火を挟んで二人きり、アベルとアインは向き合っていた。


「貴方、レジーナと彼女の事……重ねて見ているでしょう?」


「…………ああ」


 枯れ枝を折り焚き火へと投げて、アベルが頷く。


「……別に、割り切れていない訳じゃないんだ。あいつは死んだって、ちゃんと分かってる。

 ただ、ほんの少しだけ――あいつの言葉に引き摺られている。お前と契約するに至った、あの言葉に」


「"私を見つけて"……ねぇ」


 空を見上げて、アインがほうと息を吐き出す。


 ほんの少し欠けた月の周りで、星々は燦然と輝いていた。


 静かな夜だった。風もなく、獣の鳴き声もない。地上に灯りは全く無く、焚き火のぼんやりとした光だけが世界を照らしていた。


「俺は……言われた通りに、あいつを見つけた。

 何年もかけて、それこそ王国中を駆けずり回って取り戻した。

 けれど、あいつは――カインじゃない。カインじゃなくて……レジーナなんだ」


 アベルが額へと両手をやり、前髪を乱暴に掴む。


 その顔は苦痛に歪み、身体は小刻みに震えている。


「分かってる……それがレジーナを傷付ける事も、俺が辛くなるだけって事も。

 けど……けれど、俺はまだあいつを、真っ直ぐ見る事ができない……!」


「アベル……」


 アインがアベルの顔を見つめ、ふうと溜息を吐く。


 魔女の目に映る戦士の顔は、今はただの思い悩む若者だった。


 剣も鎧も今はただの飾りに見え、ぼんやりとした焔の輝きがそれを際立たせている。


 ――本当、可愛いご主人様だこと。


 にやりとアインが唇だけで笑い、左肩をそっと撫でる。


 左肩のその先、左肩甲骨の辺りに、契約の刻印は刻まれている。


 それは二人を結ぶ証であり、彼と魔女を縛る呪い。


 アベルの右肩甲骨にもまた、魔女との契約を表す髑髏の刻印が刻まれていた。


 ――けれど、貴方が辿る道はこの程度の苦痛で済まないわ。心が擦り減り灰になる、そういう道よ。


 枯れ枝を弄びながら、アインがレジーナの方を見つめる。


 今のアベルの悩みも知らず、彼女はすやすやと眠っていた。


 ――……向きは違えど同じ悩みを持つのもまた、運命の導きと云うモノかしらね。


 アインが指で枯れ枝を圧し折り、焚き火の中へと放り込む。


 アベルは依然として下を向き、細かく震えていた。


「……暫く辺りを歩いて来なさいよ。二人は私が見ているわ」


「…………助かる」


 軽く手を挙げて、アベルが立ち上がる。


 大剣を担ぎ上げてレジーナの方を一瞥した後、


「くれぐれも、彼女にだけは手を出すなよ」


 そう言い残して、彼は木立の中へと姿を消していった。



「ふぅ……」


 夜の山道を歩きながら、アベルが溜息を吐く。


 月と星の明かりだけが道を照らしており、澄んだ空気が肺を満たしている。


 ここは頭を冷やす為には絶好の場所と言えた。誰の邪魔もここでは入らない。


「…………」


 木の根元にどっかりと腰を下ろして、アベルが空を見上げる。


 月は変わらず、ただ冷たく世界を照らしているばかりだった。


 ――俺は、どうすればレジーナを受け入れられる……?


 誰に問うても、月に尋ねても、返事が返ってくる筈はない。


 月はただ、そこに在るだけだ。


 少年兵として戦場の泥を舐めていた時も、彼女カインと出会ったあの日も、魔女アインと契約した日も、月は同じだ。


 青ざめた輝きは古傷だらけなアベルの肌へと沁み込み、ゆっくりとその隅々にまで広がっている。


 その月光の中に、世界の端々にまで広がる死の湖の中に、アベルは僅かにカインの残滓を感じた。


 それはとても曖昧で儚く、感じた途端に薄れて消え失せてしまう。


 カインは死んだのだ。この世界のどこにも、もう彼女はいないのだ。


 レジーナの中に見出していた彼女カインがただの幻想である事を、アベルは痛感していた。


 結果は見えている。望むと望まざるに関わらず、アベルはレジーナを受け入れるしかないのだ。


 後はそれがいつか。そしてどうすればその結果が訪れるかなのだ。


「答えは自分で探すしかない、か。先は長そうだな」


 水筒の蓋を開け、清水で喉を潤す。


 半日経っている為幾分(ぬる)くなっていたが、贅沢は言えない。


 ここで幾ら悩んでいても答えは出ないのだ。


 ならば自分の脚で、自分の手で答えへと辿り着くより他は無い。


 ――そうだ、悩むよりもまず身体を動かすのが俺の性分しょうぶんじゃないか。何を立ち止まっているんだ。


 抜け殻の様だったアベルの身体に、ふつふつと活力が漲り始めていた。


 あの時確かに、彼は立ち止まらないと決めたのだ。


 その為に全てを捨てると、ただ前進すると誓ったのだ。


 ならば悩みながらでも、悔やみながらでも、この脚だけは止めてはいけないのだ。


「……レジーナのところへ戻らないとな。今後の事もちゃんと――」


 立ち上がりかけて、アベルの身体が強張る。


 うなじの毛が逆立つ様な、脳髄の奥を針で刺される様な感覚に、彼の身体は覚えがあった。


「――――っ」


 殆ど反射に近い素早さでアベルが剣を掴んで立ち上がり、臨戦態勢を取る。


 同時に山道の反対側から短刀を持った男が飛び掛かり、アベルの大剣がその身体を横一文字に両断した。


 返す一刀で木の上から飛び降りてきたもう一人を斬り伏せ、地面を蹴って繁みへと近づき大剣を薙ぎ払う。剣には確かに手応えがあり、繁みの中から射手の骸が一つ転がり出た。


「……何だ、こいつらは……っ!」


 骸の衣服をまさぐり、手早く調べると首からロザリオが出てきた。


 上着の裏地には太陽の刺繍があり、剣の鍔にも十字の刻印がある。


 ――教会……それも聖帝国絡みか。


 そこでアベルはようやく、山全体の異変に気付いた。


 山のあちこちからざわざわと音が聞こえ、レジーナ達のいる方向へと向かっている。


 ――かなり多いな。三十人以上はいるか……!


 まだ遠いものの、山の中を動く気配がする。


 今山中にいるのは恐らく斥候だろう。麓では微かに松明の灯りがこちらへと向かって進んで来ていた。


 異端審問会と聖騎士団は、既にこちらの動向を掴んでいたのだ。


 ――このままでは、レジーナが危ない!


「レジーナ……ッ!」


 アベルが踵を返し、元来た道を駆け降り始めた。


 今ここでレジーナを奪われる訳にはいかない。護ると決めたばかりの誓いは破れない。


 焦りが急速に募り、アベルの視野と思考を狭める。


 そしてその焦りが、戦場では致命的な摩擦と成り得る。


「今だ、撃て!」


 銃声が轟き、アベルの身体が崩れ落ちる。


 弾はアベルの頭蓋を射抜き、血と脳漿を散らしながらアベルは倒れた。


「馬鹿野郎! セ……ル様からは殺すなと……」


「しかし奴は……年前に教会本部から……の布令ふれが……」


 誰かが何かを話しているが、何を話しているか聞き取れない。


 ――レジー……ナ……。


 身体は動かない、欠けたこころが纏まらない。


 何も見えない真っ暗な中で、彼の身体は急速に熱を失っていく。


 後悔と、憤怒と、この世界への恨みを抱いて。


 アベルの意識はまるで鋏で切り取る様に、そこで一度ぶつんと途絶えた。

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