8 初めてのアジ文字(4)
━━古川の話につながるのか!
今まで「アジ文字」やら「ゲバ文字」やら規律委員会のポストの話とかで頭の中が埋められていたが、結論はそこに行き着くということか。
乙彦が絶句している間、難波と更科は頷いている。つまり納得しているということだ。
━━あの、なんとうかすさまじい、佐賀元青大附中生徒会長を、高校の生徒会で守らなくてはならないということで物申した難波がか!
古川こずえの家庭事情を共有しているからなおのことなのかもしれない。清坂はもともと古川の親友でもある。立村は清坂が古川の非常に複雑な事情を受け入れられないかもと話していたがなんのことはない、あっさり受け入れているようだ。頭で考えるより心が正直だということだ。立村にもあとでじっくり説明してやりたい。
「今、ここにいるのはこずえのことを青大附高の同期として受け入れている人と信じてこれから話すね。他の人たちが来たら、無理やり話を終わらせて、さっきのビラの件に戻すから、そこのところは許してね」
こくん、と野菜ジュースを飲んだ後、清坂は話を続けた。
「こずえに関する噂、この前の対面式の時、難波くん話してくれたよね。学校内ではちゃんと情報管理されていたにもかかわらず最近どんどん漏れてってるって。このことについては今、何も言えないの。私が今話せることは限られてるの」
乙彦をじっと見つけた。居心地が一瞬悪くなったが耐える。
「今から話すこと、たぶん関崎くんには伝わりにくいことだと思う。むしろこのことは貴史と直接話してもらったほうが絶対いい。私は今、一気に思ったことをここで話すから、質疑応答は貴史一本にしてね。ここだと都合悪いんだったら、直接貴史と話してもらったほうがたぶん、いいと思うんだ」
━━さすがだ。ありがたい。清坂生徒会長は優秀だ。
清坂とは生徒会内でも最低限の語り合いに絞りたいという本心がどこからか漏れていたのだろうか。申し訳ないがそうさせていただく。
「まず、こずえはとっても苦労している。家族のこともそうだし、今は別の家にすまなくちゃ行けないくらい追い詰められている。それはわかってるの」
清坂の声はかすれていた。たぶん廊下には響いていないと思う。さっきの難波のように朗々と響かせることはしない。
「でも、それは私たちの視点からみたこずえの立場なの。反対からみたら、こずえは青大附属に中学から通えていて、しかも今は英語科に入ってる。もう出ちゃったけど立派なマンションに住んでたこともあるしピアノだってあった。そして、そのお金は、こずえのお母さんが働いたんじゃなくて、別の家庭を不幸にして得たものらしいっていう、これも噂として流れていることなの。私、こずえから直接聞いたことではないけど、なんとなくみなそういうことなんだなって、青大附中からの知り合いは思っていたの」
直接古川から聞かされた内容に近い。
「でも、そのことがばれちゃった。なぜかわからないけど、そのことが原因でこずえは今、別のところに家族ばらばらですまなくちゃいけなくなった。これもいろんな受け取り方があって、それは自業自得という考え。被害者がいる以上加害者は罪を償うべきってこと。また一方では、親がしたことなんだから子どもには関係ないっていう考え方もある、どちらも立場が変われば、考え方も変わるよね。私はこずえの友だちだから、このことはこずえには関係ないんじゃないかって思いたい。でも、不幸になった家族の人たちからしたらざまみろと言われても仕方ないことかなって、思ったりもするの」
なんてことだ。今の今まで名倉のことを忘れていた。
清坂は名倉が心ひそかに企んでいることを知らない。それでも、考えることは一緒だ。
「この前の佐賀さんのことも含めてなんだけど、この場合どうすればこずえを守れるのか、ずっと考えてたの。被害者がいる。傷ついている。泣いている。プライドを傷つけられた、恥をかかされた。いろいろあるけど、これらのことができるってことは、一言でいって”生きてる”からってことなんだよね」
ここで清坂は言葉を切った。難波、更科、そして乙彦に目線をあてた。誰も目を逸らさなかった。
「”生きてる”からやり直しができる。”生きている”から絶望だってできる。結局死んじゃったら終わりなんだよねって。こずえが前言ってたことなんだけど、死なせちゃったら、終わりなんだよってこと。どんな濡れ衣着せられて学校追い出されても、どんなにプライド傷つけられても、ばかにされたとしても、その人が生きていればそれで十分。生きてさえいればやりなおせる。でも生きられない、と叫ぶ人がいたら、どんなに面倒くさい理由があったとしても最優先されてしまう。生きることが最優先事項なの」
立村が全身全霊で花守をしていた葉牡丹の記憶が蘇った。
藤沖が事実を改変してまで守っているヘアバンドの女子を思い出した。
「ちょっと話飛ぶけど、立村くんにずっと前、評議委員長として最優先する基準を聞いたことがあるの。そしたらね、一番傷つく人が一番救われる方法を選ぶ、それだけは譲れない、そう言ってたの」
難波と更科に答えを待つように見つめる。難波が尋ねた。
「いつ頃の話だ」
「修学旅行の時」
難波はそれ以上尋ねなかった。
「私もその考えは正しいと思った。生死を考えないですむ問題ならばそれでもいいという考えなの。うん、立村くんは間違ってない。けど、その例外というのがひとつあって、相手が生きることを諦めている時どうするかってこと」
言葉をつまらせそうで、それでも凛とした声で、清坂は続ける。
「もし、一番傷つく人が一番救われる方法を選んだ時に、二番目に傷つく人が手首を切るとか飛び降りてしまいたいとか言われた時、どうするか。見殺しにしていいのか。心底最低なことをしている人がいて、でもその人は受け入れてもらえなければこの世から消えてしまいたい、と思いこんでいるとしたら、生徒会長としては、生きることを最優先にして守るしかない。それが私の考えなの。生きることだけは、私が関わる人たち全て守りたい。例外なく。けど」
また言葉を切る。清坂の隣で羽飛が謎の野菜ドリンクの入った瓶を握りしめたまま見守っている。
「全ての人が生きることを守るってことは、なにかを諦めてもらうことでもあるの。たとえば、関崎くんが知ってる例だと、杉本さんの修学旅行での濡れ衣について。あれは生きることを諦めた人がいるからどうしても杉本さんが濡れ衣を着なくちゃいけなくなった。ひどすぎるよ、許されないことだよね。けど、学校側がひとつの命を守ると決断した結果、杉本さんともうひとりの子、ふたりとも”生きて”卒業できたの。本来ならこんなこと絶対許したくない。生きることを諦めていた人はちゃんと青大附高にエレベーターで入学することができて、今も元気に暮らしてる。杉本さんが真実を全校生徒に言い放つことを諦めたから、できたことなの」
歯を食いしばり、清坂は続けた。見守る羽飛は微動だにしない。
「これから私たちが何をするかなんだけど、答えはひとつ。この学校にいる人たちの命を守ること、それだけなの」
「命を守る?」
とてつもなく大げさな表現に思える。思わず呟いた。
「関崎くん、私の言い方わかりにくいよね。けど、これだけは言わせて。今にも消えそうな命を守るためには、周りの人の犠牲が必要な場合もあるし、その本人が生きるために諦めることも必要なの。周りの犠牲の具体例だと、杉本さんがこの学校から出ていったこと。本人の場合であれば、退学したり自分の名誉を傷つけられても我慢するってこと。これもすべて、誰かを死なせないためにってこと」
羽飛が清坂にカップを指さした。清坂もまた一口飲み込んだ。
更科は俯いている。
難波が静かに尋ねた。
「清坂、つまり、生きるためには、命を守るために、その当人が望んでいなくても、退学させることも受け入れるということか」
「難波くんさすがだね。そのとおり」
「古川も同じということか」
「そう。こずえはいつも言ってた。”死なせたら終わり”だって。こずえの命を守るためには、あの子がこの学校から出ていくことも含めて、考えなくちゃいけないってこと」
━━ちょっと待て。生徒の命を守ることが最優先なのは理解したが、本当にそれでいいのか。理不尽な理由であっても、命を守るためには、全てを受け入れざるを得ないのか。退学以外にも、たとえば一年休学して授業料をバイトで貯めるとか、古川の親に頼み込むとか、奨学金の有無を調べるとか、とにかく別の方法をぎりぎりまで模索すべきではないのか。清坂が訴えることは、俺には生徒を守る責任を放棄しているだけに思える。この機会に生徒会側でも、徹底的に教師側とも話し合うべきではないのか。
もし難波がいなければそう問い詰めていただろう。
できなかったのはひとえに、かつて難波が守ったという”命”の物語が、乙彦の記憶にも焼き付いているからだった。




