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61 2A革命のエチュード 宿泊研修二日目(6)

ずっと考え込んでいたのか、小折こおりはここまで寡黙だった。

立村に促されて立ち上がった時には、なにかを決意したような、はっきりとした目つきで乙彦たちを見渡した。

「突然なんだけどな。今日の、古川さんちの弟くんのピアノ……マジで凄くなかったか?」

開口一番に放たれた言葉に、皆が絶句する。

「聴いてない奴がいたら申し訳ないんだけどな。あれ、人から習ったんじゃないんだと。俺も本人から話を聞いてマジでビビったよ。ジャズピアノが普通のクラシックとは違うってことは分かってたけど、あれはもう、音楽の世界を通り越してると思う。見た感じは鍵盤をぶん殴っているだけのように見えるけど、そこには確かに、ちゃんとしたメロディが聞こえるんだよ」

乙彦はそのあたりのことは全く分からないので、ただ聴くしかなかった。

「何ひとりでエキサイトしてるんだ、って言われるかもしれないけど。今日一番の衝撃のひとつは、あの弟くんだよ。全部耳で聴き取って、それを真似て弾いてるんだ。もう、そういう『耳』を持って生まれてるんだろうな。立村の語学習得と同じだよ。聴くだけで分かるっていう『なにか』があるんだ。あいつは絶対に、凄い才能がある。俺はあの短い時間でそれを確信したんだ。絶対、誰かの手伝いが必要だと思う。面倒をみるっていうんじゃない。あいつの才能を開かせるために、誰かが伴走しなきゃいけないんだ」

皆、困ったように顔を見合わせている。現場を見ていた人間が少ないのだから、それも無理はなかった。2Aのクラスメイトの殆どはガーデンパーティーに参加していたため、小折や雪村、立村といった「大広間おもてなし部隊」以外には、その凄さが伝わりきらないのも仕方のないことだ。藤沖と片岡はぽかんとしている。とんでもない音痴であることが判明したばかりの藤沖には、そもそもピンとこないのだろう。片岡に至っては、自分の興味を惹かないジャンルだった、としか言いようがない。

「そんなわけで、俺はこれから、古川さんの弟くんに自分の持ってるレコードを録音したテープとか、面白そうな楽譜とか、役に立ちそうな本を届けてやりたいと思う。きっと古川さんのお母さんや『女王様』には、そっち方面の面倒をみるのは限界があるはずだから。俺はできれば、弟くんをメインに手助けしたいんだ」

吹奏楽派閥あたりから、拍手が湧き起こった。麻生先生と藤沖たちも、それに倣って手を叩いた。

「ただ、今立村が説明してくれた通り、品山のルールはややこしそうだし、俺もまだ未成年だから親の付き添いが必要だってのも分かってる。とりあえずは『伝書鳩』の立村にすべてを預けて渡してもらう方法で、なんとかしようと思ってるよ。うちの親にも探りを入れて、一応はやんわりとOKはもらってある。俺は結局、吹奏楽で中学A組の『コネ組』に潜り込んだ人間だからな。とことん音楽でクラスに貢献したいんだ。美波姫の話だと、一部の保護者がカンパしてくれたらしいし、金のことは正直もう考えなくていいだろ。それこそ、古川だって見下されるのは御免だと思ってるはずだ。だったら、少しでも役に立ちそうなことを具体的に提案して、本人が納得するならそれで協力する。そういう方法をとりたいんだが、どうだろうか」

「異議なし!」

江波をはじめとする男子連中が声を揃えた。


「で、ここからが俺の意見なんだけど」

小折はゆっくりと切り替えるように、言葉を繋いだ。

「古川のお母さんが凄まじい量の食材を持ち帰った件については、俺も立村と同様、正直どうでもいいと思ってる。明日はとことん『塩むすび』に付き合ってくれ。けど、それだけだと侘しいから、なにか付け合わせの具を探してくるつもりだ。味噌はあるから、朝一番で豆腐が手に入るところを探して買ってくるよ。味噌汁くらいはつけられるだろ。食べ物のことは、それでいいかなって思う」

もう塩むすびだけでも十分贅沢だと考えてしまっている自分の単細胞さに呆れるが、今は致し方ない。

「俺としては、古川が学籍をなくした後であっても、自然にうちの学校のイベントに参加できるようなことを考えていけたらな、って思うんだ。ひとつ例を出すぞ。音響萌崎、さっきのことバラしていいか?」

「いいよー」

のんびりとした口調で萌崎が答えた。

「関崎と疋田のミニコンサートの後、江波がデイジーを引っ張り出して、その後に流れた音楽、覚えてる人いるか?」


突然の問いかけに、皆、ピンとこない様子だった。

「実は、これがひとつの提案なんだ。あのピアノは、今イタリアで絶賛ピアノ留学中の宇津木野うつきのさまが、テストテープとして外国郵便で疋田ちゃんに贈ってくれた音源なんだよ」

皆から、「えーっ!」と驚愕の叫びが上がった。

──すでに、宇津木野の音源が届いているのか!


小折は満足げに頷いて見せた。

「ちっとも不自然じゃなくて、悪目立ちもしない。BGM向けのピアノ曲。皆が気づかなかったことこそが正しいんだよ。それが宇津木野さまの理想なんだから。つまり、俺が今やってみたいのはこういうことなんだ。既にうちの学校から転校や退学、休学、いろいろな事情でクラスにいられなくなった人も、忘れないようにする方法はある。そのひとつが、今の宇津木野さまのカセットテープ出演みたいな形だよ。宇津木野さまはもう『ピアノのミューズ』化してるし、うちのクラスには戻ってこない。けど、こうやってテープのやり取りが続けば、皆、絶対に忘れたりしない。いつも音楽を聴くことで、仲間として一緒にいるんだって気分になれる。これと同じことを、俺は古川女史にもできないかなって、マジで考えてるんだ。そのきっかけが、弟くんのジャズピアノをレベルアップさせるための情報提供だったり、話し相手になったり、そういうことなんだよ」

なんてことだ、ほんの少しの間に、小折は古川の手のかかる弟から、とてつもない「宝」を掘り当ててしまったのだ。才能の有無ではなく、ただ「凄い」ものを見つけ、その凄さを膨らませるために手伝いをしたいと語っている。それが長い目で見れば支援になる。相手に負担を感じさせず、古川に恥をかかせず、それでいて実利的に役立てられる。


「だから俺としては、音楽を通じて古川一家を支援したい。音楽委員として他にもなにかできないかを考えていきたいし、他の方面からも役立ちそうな情報があればどんどん取り込みたいんだ。そうすることで必ず、良い循環ができる。もしかしたら、古川の弟くんは音楽で認められて、食材とかそういう金銭的な問題を解決するきっかけを掴むかもしれない。そういう、金だけじゃない方法でも支援ができたら、きっと上手くいくんじゃないかと思うんだ。……あ、ごめん直中。お前の『募金』という発想も凄かったと思う。たまたますでに俺たちの親が動いているから、そっちは今すぐじゃなくてもいい、ってだけでさ」

直中も全く異存なし、といった顔で答えた。

「いや、いいんだ。今すぐ古川たちが飢えるとか、家がなくなるとか、そういうわけではないってことが分かれば、俺は安心なんだ。まじでそれだけはきついからなあ。ただ、具体的な手助けが必要なら、言ってくれればできる限りのことはするよ。うちの学校、そこんところはきっちり教育されてるからな」

──きっちり教育?

疑問が湧いたが、すぐに解決した。あのビデオ演劇上映会の時、阿木が話していたのだ。チャリティはごく日常的に行われていること、内部生には自然とその意識が身についているのだと。

──俺はやはり、外部生だ。だが、その意識だけはすぐに追いついていく自信がある。

しばらく近くの席の連中と盛り上がっている中、立村がそっと立ち上がり、台所へと消えた。お湯を沸かす気配に、小折もすぐに後を追った。やがてお茶の香りが漂ってきたのを見ると、それがサービスの合図だった。

「2A料理班、朝から晩まで大活躍だな」

麻生先生がにんまりと笑い、小テーブルの三人に話しかけた。

「なあ、お前ら管理班よ。皆がこうして自主的に動いてくれてるんだ。俺たちは俺たちで、精一杯引っ張っていってやろうじゃねえか。大テーブルの連中が、俺たちをこんなにも手足のように支えてくれてるんだぞ。凄えじゃねえか」

「『手足』、ですね。確かに」

まんざらでもない表情で藤沖が頷く。

「まず藤沖。お前のやることはだ……合宿が終わったら、できるだけ早く古川と三者会談をしよう。食料の件は、あえて触れないでやりたいが……まあ、あの女王様のことだ、いろいろ思うこともあるだろう。話だけでも聞いてやろうじゃねえか。ただ、立村も言っていた通り、品山のルールは面倒くせえ。そのあたりは俺も立村の親父さんに確認して、車で行くことにする。断じて『汽車』は使わねえからな」

ここで、藤沖がホッとしたような表情を見せた。片岡がきょとんとした顔で尋ねた。

「藤沖は、汽車で行くのが怖かったの?」

「怖いわけがないだろ!」

言い返してはいるが、答えは出ている。乙彦の判断では、最初に藤沖が渋るような態度を見せたのは、品山地区という未知のエリアへの恐怖心が勝ったからだ。立村にあれほど自尊心をくすぐる言葉を浴びせられたのに即答しなかったのは、そこが原因だろう。要するに、それなりの小心者なのだ。結局のところ、藤沖は威張っているけれど、実は「可愛い奴」なのだ。

「女王様の鞭を受けるのは、立村が『伝書鳩』の格好をして引き受けてくれる。だから俺たちはまず、クラスの現状と女王様の今後のご意見を伺うという『大人の仕事』をしようぜ。女王様は立村の演技が心配だと、顔を見るたびに文句を言うそうだが。俺がチラッとガーデンパーティーを見た感じでは、なかなかのもんだった。ああいう小芝居をやる時は、たいてい照れが入ってふざけるもんなんだが……ピアノお嬢も、あの色男江波も含めて、本気度一〇〇パーセントだ。これは面白いぞ。女王様にはその点を強調してやろう。まあ、文句があるなら黙って聞いてやればいいだけのことだ」

「そうですね。かなりあれは、本気を出せば良いものになります。演技と美術関連が、これからの課題となりますが」

もう、藤沖は完全に丸め込まれている。「英語劇推進派」へと豹変したこの姿。なんなんだと思うが、乙彦はそれもまた良いことだと考え直した。本来の藤沖は、こうしてやりたいことに向けて精一杯ぶつかっていく奴なのだ。決して弱い家族を蹴飛ばしたり、同級生を見下したり、自分の彼女を守るために嘘を吹き込んだりすることを是とする奴ではない。乙彦が初めて会った時と同じ、快活な「好漢」なのだ。そう確信した。

「立村が言うには、美術系は美術部に頼むらしいな。羽飛はとばが美術部というツテを持っていたからだろう。あと、衣装は規律委員会だ。立村と疋田のお膝元で、南雲が副委員長。これもかなり熱い展開だ。音楽はもう、今の宇津木野のミュージックテープですべてがパーフェクトだよ! 小折と萌崎の音楽委員コンビも完璧だ。いや、本当に凄えわ、これ。金を出しても観てえよ、俺は」


立村がお盆にお茶セットを用意して現れた。夜も更けたことだし、ノンカフェインのものを選んだのだろう。

「番茶です。そろそろ皆さんも疲れてきたようなので、中締めにしてよろしいでしょうか」

小声で麻生先生に囁いた。先生を含む小テーブルのメンバー全員が頷いた。

「そうだな。本当に今日は立村、ご苦労だった。お前のおかげで救われたよ」

「ありがとうございます。明日は七時半に朝食の段取りです。その点だけ、申し訳ないんだけど藤沖、皆に伝えてもらえるかな」

藤沖に対しても笑顔を忘れずに声をかける立村。おそらくこれは、「評議」としての仕事を与えるための配慮だろう。何も知らなければごく自然な会話に思えるが、裏事情を知りすぎている乙彦には、その姿がたまらなく痛々しく映った。

「承知した。本当によくやってくれた。感謝する」

ずいぶんと偉そうな物言いだが、藤沖も立村と良い人間関係を再構築できそうな予感がある。今はこれで良しとするべきなのだろう。

「関崎。今日は本当に助かったよ。さっき話していたこと、これからどんどん進めていくから覚悟しておいてね」

乙彦には意味ありげな言葉を残し、最後に立村は片岡に向き合った。


「片岡。今日はおもてなし部隊の件や、うちの母への対応、本当に助かりました。ありがとう。英語劇、これからもよろしくお願いします」

柔らかく礼を伝えた。立村なりの気遣いだろう。片岡も、さっきまでの甘ったれた口調とは一転し、

「いや。君のおかげで素晴らしい一日が過ごせたと思うよ。ありがとう」

いわゆる「内川の兄貴分モード」で、穏やかに挨拶を返した。

「あと、関崎を通して後で相談したいんだ。英語劇『グレート・ギャツビー』のことなんだけど」

「今、教えてもらえることであれば聞きたいんだけど。いいかな?」

「衣装の色合いと靴……あれは揃えたほうがいいと思うんだ。あと女性陣のドレスだけど。フィッツジェラルドの生きた世界だと、『フラッパードレス』っていう裾の短いドレスになるはずだけど、今日の疋田さんの衣装はデイジーにしては上品すぎたって、見てて感じたよ。あと、これは急ごしらえだから仕方ないんだけど……トムのファッションは、もっと体格の良い人っぽくしたほうがいい。トムは大学時代、ポロの選手だった運動部出身の設定だ。江波の実際の体格とは合わないのは分かってるから、せめて衣装でなんとかならないかなって思ったんだ」

さっき乙彦に話した内容を、片岡はスラスラと並べた。麻生先生も驚いたように、

「片岡、お前……ずいぶん細かく観察してるなあ」

と褒め称え、立村に声をかけた。

「トムとデイジーは完全に文化部だからなあ。衣装は片岡に協力してもらったほうが、俺もいいと思うぞ」

「ありがとうございます。片岡、凄いことを教えてくれて助かったよ」

笑顔を崩さず、今度は乙彦に向かって立村は問いかけた。

「衣装のことは気になってたんだけど、俺はあまりそちらには詳しくないんだ。ひとつ提案なんだけど……片岡と一緒に、南雲なぐもへ今の意見やその他もろもろを伝えてもらえないかな」

「南雲か」

規律委員会の副委員長であり、ファッション推進派の筆頭。文句はない。乙彦とは「みつや書店」のバイト仲間でもあるので、ツテがありすぎるくらいだ。

「そう。南雲は中学時代から、しょっちゅうファッション画を描いて俺に見せてくれてたんだよ。もともと規律委員会が『ファッションのメッカ』になったのって、南雲が発端みたいなところもあるしね。ただ、俺は美術系に疎くて、南雲のセンスをきっちりと受け止められなかった後悔があるんだ。今、片岡の話を聞いてて、この内容を南雲が聞いたらもの凄く喜ぶだろうなって思ったよ。関崎を通してなら、あいつだってすぐに話を聞きたいって言うに決まってる。そこのところだけ、お願いできないかな? その話がまとまった段階で、南雲や関崎から俺に説明してくれれば、あとは問題ないからさ」

つまり。片岡と乙彦、そして南雲。この三人だけで語り合ってほしい、ということだ。

立村はそこに立ち会わない。

それを言いたかったのだろう。

──こんなに気を遣わなくたっていいのに、なんでだ。そこまでして。


「ありがとう。関崎とも相談して、できればそうさせてほしい。僕も『グレート・ギャツビー』を良いものにしたいという気持ちは、人一倍持ってるつもりなんだ。面倒な条件を出して申し訳ないけど、その思いだけは分かってもらえると嬉しいよ」

「こちらこそ、ありがとう」

最後まで片岡は、「内川の兄貴分モード」を保ったまま立村に接していた。

立村が小テーブルを離れ、大テーブルの面々へそれぞれ挨拶をして回るのを眺めつつ、片岡はいつもの「ぽよん」とした口調に戻った。藤沖が麻生先生と今後のことを語り合っている傍らで、彼は呟いた。


「あいつ、本当にいい奴なんだ。俺だけじゃない、皆に対して一生懸命だし。思いやりもある。……それは分かってるんだよ」

「……けど?」

乙彦にだけ聞こえるような声で、片岡は囁いた。

「……なんで好きになれないんだろう。わかんない」


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