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葬列の指揮者 ー赤い海に沈むー  作者: 深野メイ子
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第八楽章

素晴らしい音楽が待っている。


そう思ってきたのだが。


洞窟の前には空色のワゴン車。


そして暗闇の先には。




クロエは視線をヒナノ達が来た方向に向ける。

そこに立っていたのは銀髪を後ろに撫で付けた季来館オーナー、ヒイラギと、付き人だった。

場の空気が一瞬淀み、そして彼の一声で再び時間が流れだした。


「お望み通り、僕はユキノの葬列の指揮を執るところです。ただ、ユアンはこの通り、僕が指揮を執る必要がなさそうなのでね」


仰々しくクロエは頭を垂れる。


「あなた方が、このような禍々しい事態を招いたと推察して、間違いは無いですかね」


クロエは問う。

橙色の炎が、色のない洞窟に生を吹き込む。

永遠の歌姫は仰臥したまま。聴衆は瞳をただヒイラギ達に向ける。


ユキノは。

死んだのか。


二人は失われた時を取り戻したのではなかったのか。

ユキノが死んだ。

しかしユアンは死んだ目をしているが、生きている。


片方だけがあちらに行くなど、そう、彼は自害するか、或いは、失った片割れを引き止め、そしてあの音色を再び奏でるか。

そのどちらかでなくてはいけなかったのに。


「ミスター」


付き人が、低く細波の様な微かな低音で主を呼んだ。


「私はあなたに聴かせたかったのです」


静かな波は徐々にかさを増す。と同時に荒波に変わり、誰もが思いもよらなかった行動をおこした。


「私は彼を殺めなければならない」


歩を進め、ユアンの元へたどり着くと、懐に隠し持っていたナイフを彼の首に押し当てた。

ユアンは引きつった顔を付き人の方へ向け、小さな抵抗を示す。


「バルトルト!」


叫んだのはヒイラギだった。

主の一声に一瞬怯んだが、その手を放すことはなかった。


「ミスター。私はあなたに恩がある。あなたは記憶に無いかもしれない。ですが、私は、あなたの望むもの全てを捧げたい。

ユキノとユアンの音は、あなたの望む最も強いものでした。

どうしても捧げたかった。

それは二人一緒でなければならない。

ここで私は彼を殺さなければならない。

そして、クロエさんに指揮を執ってもらい、二人の音楽を再現してもらう。

彼にはそれができる。

ユキノさんが亡くなってしまった今、それしかあなたにこの二人の音楽を堪能してもらう方法はないのです」


うっすらとユアンの喉はナイフで切られ、赤い液体がにじみ出ていた。


「バルトルト、その手をどけろ。私はそんなことは望んでない」


ゆっくりと、しかし慎重に、ヒイラギは、自らの侍者に歩み寄る。


「ミスター、近付かないでください。

私は間違っているかもしれない。

しかし、ここまできたのだから、やり遂げたい。彼を殺せば、二人の音楽は成立する。

生者と死者では駄目なのです。同じ世界に住む物同士でないと、きっと成り立たない。

同じ死者になれば、二人の音楽は完成する。

そうして奏でられれば、あなたが常々思っていたことも、これではっきりするはずです」


バルトルトの狂気がユアンの首元に当てられたナイフに集中し、より一層力が込められる。

そしてその手が一気に引かれようとした瞬間、指揮者が叫んだ。


「ユキノ!」


ヒナノ達は、そう叫んだクロエよりも、その深紅のドレスを身にまとった歌姫を凝視する。

何かが起こった。

大量の花びらを避け、気怠く身を(もた)げたのは、紛れも無い、命を絶たれたユキノだった。

優秀なエンバーマーによって施された紛い物の顔を全員に向け、整った唇をぎこちなく動かす。それはクロエという葬列の指揮者によるものだが、その時の妖艶さは生前と寸分違わぬものだった。


「ユキノ、さあ、歌いなさい。常世の貴女の生命の残滓を存分に使い、裡から溢れ出る音を、その体軀を以て奏でなさい」


クロエは指揮棒を振り、ユキノに命じる。ユキノはその命に従い、閉じているはずの声帯を再び開けた。

その声は天井を突き抜け、天まで届くであろう美声。

緩やかに耳朶を掠め、やがて聴衆の脳に心地よい快楽をもたらす。

バルトルトの手が、その音により緩む。ユアンはその隙をつき、それを自らの手で軽く押しのけた。

蝋燭に囲まれ指揮を執る燕尾服の男の傍らには、六弦全て揃っているギターが置いてあった。

クロエはその視線に気付くと、指揮は止めることなく言い放った。


「これは君のギターだ。

思う存分爪弾くといい」


身なりこそ襤褸を纏っているが、指は常に手入れされ、すぐに音を奏でることが出来た。

彼女の声と調和する。

音の波形が美しく重なり、誰もがそれしか聞こえなくなった。

そうして一曲が終焉を迎えると、まるでコンサートホールの観衆さながら、誰からともなく拍手が起こる。


「ユキノはこれからこの世の垢を洗い落とし、忘却川でユキノと言う全てを消して、再び生まれ変わる準備をします。さあ、眠りなさい。これが最後の別れになるでしょう」


クロエが指揮棒をドロペスに渡すと、ユキノに近寄り、エスコートをする紳士のようにユキノの手を取り、再び花びらの合間に彼女を寝かした。


「本当に死んでるの?」


そう口にしたのはヒナノだった。


「今のは何? あなたの力なの?」


「あなたは物事を見たまま捉えすぎですよ。そりゃあ今ユキノは歌ってましたがね。彼女は死んでいるんです。

僕は葬列の指揮者と言って、亡き者と音を奏でることができる特殊な音楽家。へんてこな職業だけれども、僕は音楽を愛しているから気に入っている。

死んだ者というのは全てが空になるのではなく、どこかに余力のようなものが残っていて、僕はそれを音に変換し、死者に奏でさせることができるんです。

ユキノは大変秀でた音楽家だったし、そうでなくとも僕が指揮を執ることで音楽を奏でられる」


ヒナノは混乱する頭で幾つかの疑問を口に出そうとしたが、同じだと思った。

今は理屈では考えられないことが起こっているのだ。

ユキノは死んだ。

けれども指揮者の指揮で歌を歌った。

昔の相方のギターに合わせて。

それはファンの間では幻のユニット。音源こそ出回っているが、二度と再現はないと謳われていた組み合わせだった。


「すみません」


震える声の主は銀髪の紳士。


「私は何がなんだか。少し混乱しています」


「そりゃそうでしょう。あなたは事の次第を何も知らなかったのでしょうからね」


クロエは冷静に応える。


「いえ、ユキノが居なくなったのは存じておりました。しかし、まさか……」


ヒイラギは従者を見やる。

その男は全て見ていた。なんの感情も伺えない顔は、今はただ、虚ろに主を見ている。


「ヒイラギさん、あなたは何も知らなかったのですか」


親方が堪らず問うた。


「そうですね、まず、ユキノがこの世から居なくなったと言うのが信じられない」


ヒイラギの片目から涙が伝う。


「そして、その契機を作ってしまったのが、バルトルトだということが、私は、にわかに信じられなくて」


「何言ってんの! ヒイラギさんも見たでしょ? さっきこの人、あのギターの人にナイフ押し当てたんだよ」


「ヒナノ、黙ってな」


「だって………」


ベルーナはヒナノの言葉を遮ると、ゆっくりと周りを見渡す。


「あんたはこれで満足なんでしょうね。ご主人様に二人の音楽を聞かせることができたんだから」


バルトルトの表情は変わらない。


「生者と死者の共演では満足されなかったのではないかな」


クロエが皮肉交じりに言い放った。

しかしその言葉を聞いてか聞かずか、バルトルトは主に問う。


「ミスター、今の音はいかがでしたか」


侍者の静かな問に、ヒイラギは混乱した頭を整えようとゆっくりと何度か振り、乾いた口を開いた。


「………素晴らしい。憧れていた歌姫の、機械からではない生の声を聴けて、本当に」


冷や汗を拭う。


「彼のギターも、一分の狂いもなく、美しかった。私のレコードとは違っていたよ。

しかし」


ヒイラギはバルトルトに歩み寄る。


「私の心は波打っていて、まともではないから、正しい判断ではないかもしれないが、レコードの歪んだ音が私には合っていたのかもしれない。それに、私はこんな形で聴くことを、望んではいなかったよ。

バルトルト、お前は一体何がしたかったんだ?」


まっすぐに瞳を見たが、そこに映っているものは空っぽの洞窟のように、暗く、虚ろだった。


「私はあなたに、二人の音楽を聴かせたかっただけです。あのレコードは二人の音楽の不完全品でしたから」


バルトルトの言葉にクロエは鼻を鳴らした。


「ヒイラギさんは君が出した手紙を知らないだろうけど、あれは殺人予告だったよ。君がしていることは犯罪だし、ユキノは君に殺されたんだ」


「手紙?」


「そこのあなたの侍者は、四日前に僕のところに手紙を寄越した。そこにはユキノとユアンの名前と、指揮の依頼が書かれてあった。ユキノが生きていることは知っていたし、あなたのところで演奏会が催されるのも知っていた。最初にユキノの元へ行けば良かったんだけど、僕はどうしても行方不明だったユアンに会いたくて、書かれていたこの場所へ来たんだ。そしたらこんなことになっていた。

僕らが来た時にはユキノはすでに倒れていたし、そばでユアンは衰弱していた。

僕はユキノの楽団があなたの館で演奏をすることになっていたのを知っていたから、彼に彼女の髪の毛と、ユキノが握りしめていた花だけでも届けるようにと言ったんだ。

ユキノが最後の記憶が花屋だと言っていたらしいのでね。花がメッセージになると思ったんだよ。

そして僕たちは、彼女の最後の舞台を準備しなくちゃならなかった。大量の花びらと蝋燭、それに新しいギターの弦もだ。それを準備するのは一苦労だったよ」


「ほとんどオイラが運んだんだけどね」


クロエはドロペスの言葉を無視し、バルトルトを冷ややかに見やる。

バルトルトは口を開く。


「あなたには普通の指揮者にはない力があることは噂で知っていた。

死者から音を引き出す力。

そこのギタリストの生死がはっきしなかったのであなたに手紙を出したのです。

このギタリストはここから出ることはない。そうなればユキノさんをここに連れてくるしかなかった。

そしてユキノさんを連れ去るのはあの日しかなかった。その妙な楽団で歌うより前に、彼に合わせたかった。演奏会があるのにユキノさんは来ないでしょうから、無理矢理に連れて来ました。しかし二人がここから出て、再び音楽を奏でてくれるとは思いませんでしたから、今日ミスターを連れてこちらに来たのです。

あの時二人は生きていました。

私はこの三日間で二人の距離が縮まると思っていました」


「だけどユアンが骨になっていたらユキノを殺めるつもりだったのでしょう?

なんせ、二人が死者か、二人が生者かの、二者択一だったようだからね。ふん。

言っておくが僕もユキノのファンなんだ。こんなことになるとは思わなかったでは済まない。現にあなたは今ユアンをも殺害しようとした。

勝手だなあ!

この苛立ちはどこへ持っていけばいい? ユキノだってそうだ。報われないったらないよ。ここにいる全員がそうだ。君も、そうだろう。これが望んでいたことなのか?」


「バルトルト」


ヒイラギはバルトルトの額の傷に触れる。


「お前は大変なことをしたんだよ。私もクロエさんたちと同様、今は悲しみと怒りしかない。ユキノさんを連れ去りさえしなければ、こんなことにはならなかったんだよ。

私はレコードの二人でなくとも充分満足だったのに。


償いはしなければならないよ」


バルトルトは目を瞑る。

幼いころの記憶と主の声が混ざり合い、深く暗い海の底に意識が沈む。

手を伸ばせばあったはずの綱がない。底は無いように思われた。

永遠に堕ちていくのだ。

独りで。

たった一本の綱を、自ら裁ち切ったのだ。


ああ、自分は間違っていたのか。


誰からの視線も怖かった。

今になって思う。


だが、一人でここに来てギタリストを外に連れ出すなど、ユキノと再び演奏をさせることなど不可能だった。


しかし、もう終わったのだ。


先程の演奏を最後に、もう奏でられることはないのだ。

片側が亡くなってしまったのだから。


「私は取り返しの付かないことをしてしまったのですね」


ヒイラギはバルトルトの短い髪を撫でる。


「私はもう、あなたの側にいられないのですね」


それはバルトルトにとって最大級の罰。大きな体は微かに震えている。

膝を折り、顔を覆った瞬間。

パチンと手を叩く音。その音は自然のホールに見事に余韻を残し、鳴らした男は必然的に注目される。


「さあ、そろそろ終焉(フィナーレ)だ。

おや、お姫様は未だ大海を越えていないようだ。


お迎えは誰が行く?」





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