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第5章 4 「そこに何を書かなかったのか」

 15回。

 私が秘書官になってからのおよそ2年間で、毒を飲まされた回数だ。

 いや、飲まされた、などという表現は正しくない。まるで哀れな被害者のような、そんな捉え方は、相応しくない。

 あの毒は、秘書官として私が立てた誓約に則ったもの。秘書官でありながら、クリストローゼ様が()の歌巫女になるのを少しでも妨げるような、そんな失敗を犯した私への、罰則にして脅迫なのだから。

 挽回せよ。さもなくば殺す。

 そんな言葉を、刃のように背中に突きつけられていた。秘書官になってから、ずっと。

 失敗に怯え、そのせいで空回り、結果どうしようもないほどのミスをして、毒を飲むはめになる。

 その度に、なりふり構わず挽回しようとしてきた。犠牲にできるものは何でも犠牲にし、払えない代償はないとばかりに突き進んだ。他人を巻き添えにしてでも、犯したマイナスをプラスにしようと試みた。

 絶望すればするほど、それよりもなお濃密な絶望を、振りまいてきた。

「――よく、忘れていられたよね」

 ぽつりと零した独り言は、石畳の坂道に落ちて、ころころと転がっていく。

 私の背後へと、歩いてきた道のりへと、転げ落ちていく。

 日常を生きるために。

 日々の仕事をこなすために。クリストローゼ様の機嫌を損ねないために。関係各位の皆様とのコミュニケーションのために。

 私の心を守るために。

 私は忘れた。意図的に、忘れるよう自分に仕向けた。

 失敗をすれば何が待っているかを。

 今までどれだけ、それを繰り返してきたのかを。

 押さえ込み、封じ込め、決して私の日常に干渉しないよう、心の奥底にしまい込んで鍵をかけた。目をそらし、耳を塞いで、そんなものは知らないと叫び続けた。

 残ったのは、失敗への漠然とした、しかし大きすぎるほどの怯えと、それを遠ざけるためなら手段は選ばないという、容赦の無さ。

 毒に関する事柄は、誓約と、それに纏わる脅迫の事実とともに、それこそ今まで飲んだ毒のようにひっそりと、私の中に立て篭もった。意識の表層に浮かび上がることのないまま、私の行動原理の中心に居座ったのだ。

 それを悟らせないために、ありとあらゆる言葉を都合よく紡いできた。愛想よく、礼儀正しく、相手の望むように――嘘を重ねた。

 大丈夫です。

 大丈夫です。

 大丈夫です。

 そして――今に至る。

「まぁ、それも今更か」

 呟いて、私はエーランサー卿の屋敷を回り込む。いつものように、通用口から敷地内へと入り、芝生の庭を横切って、小さな掘っ建て小屋へと辿り着く。

 私の家へと。帰る場所へと、たどり着く。

 見慣れたはずの玄関のドアは、墨色をした夕闇の中、ひどくよそよそしく私を出迎えた。先ほどまではまばらだったその墨色の点描は、今やみっしりと色濃く重なり合い、這い寄るような冷気を伴い空間を塗りつぶそうとしている。

 この中で、何が待っているかを、私は覚えている。何を残して、何から逃げてきたかを覚えている。

 ちゃんと、覚えている。

 それでも。

 あの目を染め抜くような茜色も、私はちゃんと覚えているから。ダサいッスよね?と照れ臭そうに呟く彼の笑顔を、揺れるブランコを、覚えているから。

 だから私は、私のために、言ってあげよう。

 この口で、この耳のために、声に出して言葉にしよう。

 逃げた分だけ前に進みたい。頑張りたいと思いたい。生きていこうと、していたい。

 そう思える今なら、きっと言える。自分のために茜空へ飛び出した、あの時の心なら。

 1人でも、自分のための言葉を、紡いであげられる。

 そして、ドアノブを握って。


「――ただいま」





 3月18日 ピエリス・プラナス様を訪問。観桜会での前座について打診を受ける。

 3月19日 前座を担う第六春の宮のナギたちを訪問。

 3月22日 第三夏の宮、第十一春の宮にて花殺しの大罪を発見。それを受け、犯人である第六春の宮のナギたちを脅迫。

 3月24日 ヨリリとの飲み会後、夜道で覆面の集団に襲われる。その後、誓約に基づき毒を摂取。


 ふぅ、とひと息ついて、私は書き上げたばかりのそれをぼんやりと眺めた。ランプの灯りに照らされた紙は、その表面を穏やかなオレンジ色に染めている。そこに連なる文字も、黒々としたインクの上でそっと光を弾いていた。

 幼馴染の牛乳屋店長スコットさんと、そこのアルバイト少年ディミトリさんの2人とともに公園で遊んだ後、帰宅した私が真っ先に取り組んだこと。それが、観桜会に纏わる出来事を時系列ごとに書き出してみることだった。

 犯した失敗を挽回するため、私は行動を起こさなければならない。けれど、何をすべきかを考える前に、まずは、起きてしまった事実を冷静に捉え直す必要があると感じたからだ。

 推測が憶測を呼び、怖れが妄想を生む。自分で生み出したはずのそれに囚われ、周りが見えなくなっていては、最初の一歩さえ踏み出せない。

 鳥のように、とまではいかないけれど、せめて風見鶏のように、ほんの少しでも俯瞰でものを見る必要があるはずだ。事件の渦中にいる私には。

「――って言ってもなぁ」

 難攻不落の城塞と化した書類をどうにか押し退け、無理やりスペースを確保したダイニングテーブルの一角で、私はぼんやりと頬杖をつく。余計な感情が挟み込まれないよう、事実だけをシンプルに書き並べてみたけれど……これを踏まえて、果たして私は何をすればいいのか。というかそもそも、この並べた事実から、一体何が導き出せるというのか。

「推理小説の名探偵でもあるまいし……」

 安楽椅子には程遠い、古ぼけたダイニングチェアを軋ませて、私は1人呟いた。


 ……ん?推理小説?

 それに近い何かを、最近見かけなかったか?


 私は端に寄せた書類を掻き分ける。乱雑に積み上げたように見えて、これでも一定の秩序により築かれたこの城塞は、一度崩すといろいろと取り返しがつかない。こんな状態でも、一応どこに何があるのかはわかるのだ。……一応は。

 その曖昧な、しかし唯一の頼みの綱である秩序を乱さないよう、慎重に書類を捲ったり退かしたり漁ったりしたその先に、探し物は埋もれていた。

「派手に穴、空いてるなぁ……」

 表紙から中ほどにかけて、鋭い刃物で無残に抉られた跡の残るその本を手に、私は呟く。

 昨日、3月24日の夜。私を悪漢の魔の手から救ってくれたのがこの本だ。エーランサー卿の屋敷付近で私を待ち伏せしていたという彼らに、私はなす術もなく押し倒され口を塞がれ、あわや――というところへ、ルシルナさんが駆けつけてくれた。そして、彼女の一瞬の隙を突いた1人が私の胸に突き立てようとしたナイフから、間一髪守ってくれたのが、ヨリリからのお土産であるこの本なのだ。

「うーん……どうなんだろう、これ」

 なんと言うか、出来過ぎな感じもしなくはないけれど……それ以上に気になるのは、私を襲ってきた集団についてである。

 昨夜のルシルナさんの見解では、私を殺すのではなく、確実に脅迫するために、わざわざ殺傷能力の低い連中を雇い私を襲った、ということだった。あの集団の雇い主としては、襲撃がある程度失敗することを見越した上での襲撃だった、と。花殺しの大罪の件もあって、ついそれに――脅迫が目的、という点に動揺したけれど、本当にそんなことがあり得るのか?

 まぁ、実際に戦ったルシルナさんがそう言うのだから、彼らの戦闘における能力値が低いことは確かだろうけど……ルシルナさんの猛攻をかいくぐり、私に刃を向けたあの人物だけは、他の連中よりも強いという印象を受けたのは、単に私が危機的状況だったからだろうか。

 それに、あの集団には銃を持っている者もいた。火気厳禁の花葬島(かそうじま)を擁するこのシュビラ国では、どの領においても銃の持ち込みは固く禁止されている。ルシルナさんの言う通り、連中が大した実力のない者の寄せ集めなら、そんな集団が、銃という貴重で珍しい武器を持っていること自体がおかしい。また、銃を持っていながら私を襲う際には使う素振りを見せなかった、というのも妙だ。

 襲われる直前、私に姿を見られているという点や、ルシルナさんに足音を聞かれている点からも、なんらかの目的で寄せ集められただけの集団なのは、確かなのだろう。けれど――いろいろと腑に落ちない。

 とはいえ、昨日私が考えた案も、どうにも信ぴょう性に欠ける。花殺しの大罪の犯人である第六春の宮のナギたちが、どうにかして人を雇ったものの、殺傷能力の高い優秀な人物が雇えず、結果私を殺すつもりが失敗した、という経緯かと昨晩は思ったのだ。私を殺すほどの恨み辛み、あるいは必要性を考慮をすれば、あの少年少女が雇い主であり犯人、というのはとても納得がいく。

 しかし、彼らは花葬島で花の管理を担うナギである。よほどの用事がなければ、花葬島から出るさえままならない。手紙を送ることは可能だろうけれど、私が彼らを脅迫してから襲われるまで、たったの2日しか経っていないのだ。そんな短期間では、外部と接触し人を雇い襲わせる、などということはおよそ不可能だろう。


 花葬島に出入りが可能で、まだ13歳である彼らの「恨みある人物を襲うために人を雇って欲しい」という願いを聞き入れ、具体的に人を雇い、襲わせるだけのことができる人物が、いたとしたら。


「何その危険人物……」

 自分の想像にうんざりして、私は思わず呻いた。そんな者が花葬島やらエーランサー領をうろうろしているなんて、考えただけでもぞっとする。

 まぁ、そんな誂えたような黒幕が存在するとは考えにくいので、私はその妄想を頭の傍に押しやった。いずれにせよ、現時点でわかっているのは、私に危害を加えようとした人物がいる、という点だけなのだ。これ以上あれこれ考えていても仕方ない。あの覆面集団のことについては、明日改めてルシルナさんに話を聞くとしよう。

 そんなことを考えながら、なんとなく、私は手にした本をパラパラと捲ってみた。鋭い切っ先に抉られたせいで、タイトルは勿論、文章も殆どが読み取れない。けれどこの本を、私は知っている。それこそ嫌というほど、この本は、私の日常の傍らに存在し続けているのだ。

 ヨリリにお土産だと押し付けられた、あの自称凄腕の情報屋にして胡散臭い覆面作家、レイ・レイの著書『真珠とエメラルド』。

 ピエリス様にルシルナさん、挙げ句の果てはネーナさんまで、これを持っているなんて……。どうしてそんなに人気なのか、という謎が詰まっているという意味なら、これは私にとって推理小説のようなものである。できれば解きたくない謎だ。

 内容は、少女同士の禁断のラブロマンスを描いた衝撃の意欲作、らしいけれど……私の命を救ってくれたおかげで、読み取れるのはせいぜい後半のごく一部。おそらく後書きだろう。

 何気なく開いたそのページに、ぼんやりと目を通してみる。レイ・レイの書く流麗な文字が、いつもの手紙ではなく本の一部として、そこに連なっていた。


【――なぜ人は、白い紙に、黒いインクで文字を綴ることを選んだのでしょうか。なぜ、黒い紙に白いインクで文字を書くという選択肢を、取らなかったのでしょうか。

 それは勿論、歴史を紐解けばわかることです。紙が生まれた歴史、インクが生まれた歴史。それらを包括する大きな人の歴史。膨大な時の潮流を遡れば、そこには必然と呼ぶに値する、確かな理由が存在するのでしょう。

 僕は時々、そんな必然が悲しくなることがあるのです。そこに込められた、自然の摂理や人類の進化。そんな逃れようのない事実を孕んだ歴史の中で――背景として定められてしまった白という色が、とてもとても、不憫に思えてならないのです。

 白という色は、とても均一な色です。薄い白や濃い白という色は、実は存在しません。薄まれば透けてしまうだけ。濃くなろうとも白は白のまま。

 常に表情を変えないその在り方は、なるほど背景には相応しいと言えるでしょう。

 しかし。

 どれだけその上を、インクの黒が我が物顔で這いずり回ろうとも、決して忘れてはいけません。

 そこは、背景である以前に、ひとつの色なのです。何もないわけでも、無表情なものでもないのです。

 あなたが綴った文字の隙間から、あなたが余白と呼んだその外枠から――白は、あなたに何かを語りかけているはずです。もしかしたら、黒く連なる文字以上に雄弁に、何かを物語ってくれるかもしれません。

 無意識のうちに、背景として、均一ながらんどうとして扱っている、白。

 そこに何を書かなかったのか。

 たまにはそっと、考えてみて下さい】


 そこに何を書かなかったのか。

 私は、何を、余白としたのか。

 背景に貶め、無視したのか。

 ランプの灯りに照らされた、柔らかなオレンジ色に染まる紙とインク。そこに先ほど記したばかりの、観桜会に関する出来事。

 私は、何を――


「…………あぁ、そうか」


 このまとめには、欠けているものがある。

 本来なら記されていなければならないものが、とても大事なものが、欠けている。

 それはあの日、墨色の闇に落ちる小さな部屋の中で、私が切り捨てたものだ。私自身が、彼らの目の前で宣言した。そう、こんな風に。


「あぁ、すみません。君たちが、どうして、何のために、こんな罪を犯したのか。観桜会の前座にどんな想いを託したのか。私はそんなことに興味はない。君たちの動機なんてどうだっていいんですよ。

 君たちがどうしてこんな、他のナギたちとは違う別室に、まるで隔離されるかのように押し込められているのか、なんてことも――どうだっていい」


 どうでもいい。

 興味がない。

 そんな風に、切り捨てた。

 彼らが花殺しの大罪を犯すに至った経緯に関わるかもしれない過去を。

 彼らの、背景を。

 この紙の外枠を埋める余白。それは、本当は、余白であってはダメだったのだ。そこに記されるべき事柄を、私自身が蔑ろにした結果、余白になってしまったに過ぎない。

 最初に書いた、3月18日の出来事。ピエリス様を訪問したこと。

 それ以前からあったはずなのだ。観桜会に纏わる出来事は。

 なぜ、ピエリス様は彼らに前座を任せたのか?

 なぜ、彼らでなくてはならなかったのか?

 そもそもなぜ、彼らはあんな所に、まるで置き去りにされたかのように、押し込められていたのか?

 いつから、どうやって、何のために。

 私がかつて、自分のために切り捨て、踏みにじった部分。そこを明らかにする必要がある。

 そこに、この観桜会に纏わる一連の事件の原因が、存在しているかもしれない。全ての背景が、そこに集約されているのかもしれない。

 それを知るために――私は、また、自分の失敗と、向き合わなければならない。


 それでも。


 私は窓の外を見る。そこにはもう茜色は影も形もなく、ただひたすらに、夜が重く立ち込めているだけだった。

 それでも、私は夜を見つめる。まっすぐに、顔を上げて、たった1人、この部屋に立ち尽くして。

 進むべき先を、見つめ続ける。


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