第5章 3 「バカみたいな生き方しか」
公園の花形遊具と言えば。
「滑り台だ」
「ブランコッス!」
……どちらも気持ちはわかる。
滑り台と言えばもはや遊具の代名詞だ。ただ登って滑るだけの簡単な遊びなのに、なぜかその動作を繰り返さずにはいられない。その人気ぶりに、時には順番を待つという、一見煩わしい手間がかかることもある。けれどその時間さえもが、ようやくたどり着いた滑り台の頂点に腰掛け、これから滑り降りる道筋と、公園全体を見渡した時のあの開放感を高めるためのエッセンスと言えるだろう。
一方ブランコは、自分の力次第で到達できる頂点が変わる、という点において他の遊具にはない魅力がある。飛び出しそうなほど前へ、そしてすぐさま引き戻されるように後ろへ。この激しい視点の移り変わりは、まさに迫力たっぷりだ。更なるスリルを味わいべく、自身の限界に挑みたくなる気持ちも頷ける。
しかし。
「滑り台を見ろ。この公園の中央に位置しているんだぞ?センターを務めるのは、人気ナンバーワンに決まっている」
「た、確かにブランコは公園の隅っこですけど、数は一番多いッス!質より量ッス!」
昼下がりの公園で、凶悪な目つきの成人男性と、チャラチャラした軟派少年が、真面目に議論するような内容ではないと思う。ああ、子供たちの視線が背中に刺さる……。
「……まぁまぁ2人とも。どの遊具にもそれぞれ良さがありますから、まずは遊んでみましょう?」
その容赦の無さに耐えかねて、私は思わず2人の議論を遮った。
まぁ、どれだけ周囲から浮いていようと、それはもはや今更だ。開き直るしかない。
けれど、ここで話し合っていたところで、一向に結論は出ないだろう。百聞は一見にしかずと言うし、まずは試してみなくては始まらない。
「ふん。いいだろう。今からこの公園内の遊具を使って、俺に勝利してみろ。勝てれば、人気ナンバーワン遊具の座はブランコに譲ってやる」
「絶対負けないッス!今日こそ店長に下剋上してみせるッスよ!」
……どうしてそうなった。
私が言いたいのはそういうことじゃなくてね。ほら、ナンバーワンにならなくてもいいって、元々特別なオンリーワンだって言うじゃない……。いや、そもそもどれが人気ナンバーワンの花形遊具でも良くない?どうしてそこにこだわるのかなぁ。競い合うことになるのかなぁ。
という私の心の声を無視して――ふいに春の公園を吹き抜ける、乾いた風。
それは波乱の予感を含み、これから巻き起こるであろう戦いの壮絶さを、既に物語っているかのようだった。
互いの瞳に宿る闘志が、徐々に公園の空気を変えていく。
そして。
「じゃあまずは……」
「一発目の運試しッス!」
ぶつかり合うは、己の意地とプライド。
高まる緊張と興奮を拳に乗せて、彼らは挑む。
公園の遊具人気ナンバーワンの座を賭けた熱き戦いが今、幕を開けようとしていた。
「「じゃぁぁぁぁんけぇぇぇぇん……ぽぉん!」」
スコットさんの手作りサンドイッチでお腹を満たした私たちは、当初の彼の宣言通り、公園で遊ぶことになった。
そう、私たちは、遊びに行くという名目でここまで来たのだ。昼食はあくまで、そのためのエネルギー補給である。今日はここからが本番なのだ。
そして、穏やかに注がれる春の日差しの下、浮きまくっている3人組がまず向かった遊具は――
「じゃんけんでは負けたッスけど、使うのはオレが一番ッスよ!」
真っ先に滑り台へとたどり着いたディミトリさんが、取り付けられた梯子を登りながら叫ぶ。
ディミトリさん、負けてからの立ち直りが早いなぁ……。じゃんけんに負けたとわかるや否や、滑り台に向かって猛ダッシュだもん。
「いやー!いい眺めッスね!なんだか久しぶりなせいかワクワクしてきたッス!」
滑り台のてっぺん。梯子を登りきったその先に腰掛け、緩やかな下り坂のスロープを前に、ディミトリさんがはしゃいだ声を上げる。その賑やかさに、他の遊具で遊んでいた子供たちも集まってきた。
彼の前髪を、乾いた春風が穏やかに撫でていく。私とスコットさんは、スロープの終点と一体となった砂場の近くで、彼が滑り降りて来るのを待った。
そう、この時点で気づくべきだったのだ。スコットさんが、何もしないで、ただディミトリさんを待っていたということの異常性に。
「それじゃあ行くッス!とりゃあぁぁぁぁ!」
つい先ほどまで、公園で遊ぶような年じゃない、などと言っていたことが嘘のように、ディミトリさんは両手を突き上げ、スロープを一気に下る。切り裂かれた春風が彼の額をかすめたのはほんの一瞬。あっという間にディミトリさんはスロープの終点へ――
「到着し――んぐどぼぉ⁉︎」
ディミトリさんが消え失せた。
無事に滑り降り、砂場に足を付けて立ち上がろうとしたその直後に。
ってえぇ⁉︎なに、どういうことなのこれ⁉︎まさか滑り台が異世界への入り口だったとかいう超展開なの⁉︎
「ふん。こうまで上手くいくとはな」
スコットさんは満足げに呟いて、砂場に足を踏み入れる。向かった先は、ディミトリさんが消えたスロープの終点だ。
ん?よく見ると、あの辺りの砂場に、何かある……?
「ぶっふぁ!死ぬかと思ったぁぁぁぁ!」
突然派手に砂煙を上げて、砂場からディミトリさんの頭部が生えてきた。
「なんでこんなところに落とし穴があるッスか⁉︎」
「俺が子供たちに作らせたからだ」
「あぁ、なるほど……って何やってんスか⁉︎生き埋めにされるとこッスよ!」
「印象的な公園デビューが果たせただろう?喜べ」
「誰がイクメンに連れられた2才児ッスか⁉︎だいたい、他の子供たちが落ちたらどうするッスか⁉︎危ないッスよ!」
「ふん。俺がその程度のことを抜かるとでも思うのか?」
そう言って、スコットさんはギャラリーの子供たちを指し示す。
んん?何やら全員、口がもごもごと動いてるけど……?
「安心しろ。スコット牛乳屋特製のミルクキャンディで全員買収済みだ」
子供たちが買収されてた⁉︎
スコットさん恐るべし……。
「さぁみんな、もういいぞ。思う存分、滑り台で遊ぶといい」
わぁ!と歓声を上げて、遠巻きに見ていた子供たちが一斉に滑り台へ駆け寄った。我先に梯子を登り、スロープの始点に腰掛け、そして一気に滑り降り――
「どぅぐぶほぇあ!」
着地した子供たちの可愛い足に踏みつけられ、ディミトリさんの頭部は再び砂の中へ。更にもう1人、2人、3人、と立て続けに滑り降りて来る子供たち。
ああ、ディミトリさんが親指を立ててゆっくりと砂場に埋もれていく……。
「さぁアンク、次の遊具に移るとしよう」
そんな感動の名場面にはまるで興味を示さず、スコットさんはあっさりと私を促した。
「えっ、でもさすがに助けた方が……」
「問題ない」
スコットさんがそう言った瞬間。
「アイルビーバァァァァック!」
謎の掛け声とともに突如砂場が隆起したかと思うと、猛然と砂煙が巻き上がり視界を覆った。その向こうに、ゆっくりと立ち上がる姿がある。灰色の嵐の中心で、波打つ砂の上に屹立するそのシルエットは――激しくむせていた。
「うっげぼぉっごふぉ!……うぐっ……オレ、もうアリの巣を砂で埋めたりしないって誓うッス……。でも自力で奇跡の生還を果たしたオレ、どおッスかアンクちゃん!カッコよくないッスか⁉︎」
「な?問題ないだろう?」
もう、本当に、この2人は。
その後も私たちは、順調に公園内の遊具を制覇していった。
雲梯、登り棒、鉄棒。
シーソー、ジャングルジム、ターザンロープ。
この豊富な遊具全てで、ディミトリさんはスコットさんに勝負を挑み続け、そして当然のように負け続けた。
雲梯などはともかく、シーソーやジャングルジムで何を競うのかという話は置いておくとして。
「いやー、やっぱり店長は強いッスね。さすがッス!オレはまだまだ精進が足りないッスね!」
最後の遊具であるブランコを漕ぎながら、ディミトリさんは笑ってそう言った。
いつの間にか緩やかに傾いた日差しが、彼の額をそっと茜色に染めている。
それにしても……勝負を挑む理由はともかく、彼のチャレンジ精神というか、諦めないところ、挫けてもすぐに前を向けるところは、本当にすごいと思う。本当にすごいと、思わされてしまった。
誰だって、負けてもなおいい気分でいられるわけじゃない。むしろ、真剣であればあるほど、敗北は苦しく恥ずかしく耐え難い。それが例え遊びの範疇だったとしても、こうまであからさまに負け続ければ、大抵の人は、たかが遊びだと言って挑むことをやめようとするはずだ。
大人のフリをして、諦めるはずだ。
けれど、ディミトリさんはそうしない。挑戦し、楽しみ、次へと進んでいける。
人形作家という彼の夢にしてもそうだ。
以前聞いたところによると、初めは人形劇の黒子に憧れ、強引に家を飛び出し劇団員になったという。しかし才能がないと言われ、それでも人形劇に関わりたいと劇団に残り雑務をこなしていたところ、人形を作る才能を見出された。そして今、故郷から遠く離れたこのエーランサー領で、アルバイトをしながら工房で見習いを続けている。
挫折して、それでも食い下がって、今なお必死に手を伸ばしているのだ。
こんなにも、前向きに。
「ディミトリさんは」
気がついたら、それは声になって溢れ出ていた。
「ディミトリさんは、どうしてそんな風に、諦めずにいられるんですか?頑張ることが辛くなったりは、しないのですか?」
それは、公園でひとしきり遊んだ後の一言としてはひどく不似合いな言葉で、それこそ唐突で、まるで空気を読んでなくて。
それでも、聞いてみたいと思った。
だから私は、隣でブランコを漕ぐディミトリさんを見つめる。ロープを握りしめ、座板の上に立ち、ほんの少し冷たい風を、ぐいぐいと切って揺れる彼を、見つめる。
「辛いッスよ?」
溢れたのは白い歯。それは、いつもと変わらない、人懐こい笑顔。
「でも、頑張らない方が、もっと辛いッス」
その言葉に――茜色が、滲み出す。
「オレ、要領悪くってすぐミスるし、いろんなこと覚えた端から忘れちゃうんスよ。この前も、工房の先輩にこっぴどく叱られちゃって。バイトでも店長に怒られてばっかりだし……。ホント、頑張っても無駄なんじゃないかって、どうせ報われないんじゃないかって、しょっちゅう思ってるんス」
ディミトリさんの影が揺れる。大きく引き伸ばされながら、小さく縮こまりながら、揺れている。
「でも、それでも……気がついたら努力してるんスよね。頑張らずにはいられないんス。努力したら、もしかしたら、何か変わるのかもしれないって、ほんの少しでもそう思えたら、ウダウダ言って頑張らないでいることなんか、逃げていることなんか、できなくって」
遠ざかり、近づいて、また遠ざかる。
ディミトリさんの明るい声が、滲んでいく茜色の空をかき混ぜる。
「オレ、自分のこと、諦められないんスよ。こんなだっせえ自分のこと、見捨てられないんス。でも結局、努力する以外の方法がわかんなくて、頑張って頑張って、また失敗したりするんス」
そう言って。
えいっ!
と勢いよく、彼はブランコから飛び降りた。ほんの一瞬、けれど確かに、彼は茜空へと舞い上がる。
けれどあっさりと空中でバランスを崩し、慌てて両手を突き出すも間に合わず、ディミトリさんは顔面から地面に落ちた。
鈍い落下音が響く。
「あーっ!またダメだった!」
地に伏したままそう叫ぶ声は、それでも底抜けに明るくて、どことなくチャラチャラしていて。そしてどうしようもなく羨ましいような。そんな声音だった。
「――って落ち込むくせに、気がついたら、また前を向いてる。走り出してる。そういうバカみたいな生き方しか、オレにはできないみたいッス」
ダサいッスよね?
ゆっくりと立ち上がりながら、土埃と生傷だらけの顔で、彼は笑う。
それでも、笑うのだ。
「そんなこと、ない」
私はブランコの座板に腰掛けたまま、両手で強くロープを握りなおす。ぐい、と足を伸ばして、曲げて。もう一度勢いよく伸ばして、曲げてみる。
なのに。
前に進むことも、後ろへ戻ることも、ない。
ブランコは軋みもせず、ただ小刻みに、その場で震え続けるだけだった。頼りなく揺らぐロープ。ふらふらと土の上を彷徨う座板。そして、その下に蹲る、溶け崩れたような姿の、私の影。
「私は――良かれと思ってやったことがみんな裏目に出て、無力なせいでいろんな人を傷つけて、どんどん悪い方にばかりいっちゃって。頑張っても、ダメな結果しか出せなくて。だから、いつだって逃げ出したいのに、忘れたいのに、追いかけられて、追いつかれて……」
薄く引き伸ばされた灰色の雲が、少しずつ夜を透かし始めている。茜色は西へ追いやられ、やがて墨色が、じわりと、溢れ出てくる。
どこにも行けないはしない。何も解決してはいない。何ひとつ、なかったことにはならない。そんなの、当たり前のことなのに。
その時。くんっ、と身体が揺れた。
「そういう時は、逃げればいい」
背中を押すのは、聞きなれたバリトンボイス。
いつの間にか、スコットさんが私の後ろに立っていた。背中に添えられた温かくて大きな手が、私のブランコを揺らし始める。
「逃げて、隠れて、甘えればいい。また頑張りたいと思いたいのなら、それからで、いいんだ」
前に進んだ分だけ後ろへ。後ろに退がった分だけ前へ。視点は高く、そして引き戻され、また高くなる。一瞬ごとに近づいていく空。帽子で隠した私の額に、乾いた春風が手を伸ばす。
身体が、舞い上がる。
「アンクちゃん!」
ディミトリさんが手を振っている。私の進むその先で、いつものように笑ってそこにいる。
私も、そこまで、行けたら。
逃げた分だけ、前に進めたら――!
脚を突き出す。腰が浮く。そして、手を離す。
その先にあったのは、目を染め抜くような、茜色。
「着地決まったぁぁぁぁ!アンク選手、満点ッス!」
そう叫ぶディミトリさんの笑顔は、淡い墨色の夕闇の中でも、消え入ることなくはっきりと見えた。
この瞬間。私にとっての公園の花形遊具は、ブランコに決定したのだった。




