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第1話 王子に救いはないのですか?


 白い光が、闇を切り裂いた。


 振り下ろされた聖剣が黒い靄を吹き飛ばし、その向こうに立つ青年の身体を深々と貫く。

 苦痛に歪んだ声さえ上げなかった。

 漆黒の影を纏った青年はほんの僅かによろめいただけで、胸を貫く刃を見下ろした。

 かつては眩しいほど美しかった金の髪は泥と血に汚れ、その全身から溢れていた黒い靄が、今や炎のように激しく揺らめいている。


 けれど、それも長くは続かなかった。

 白い光に灼かれた黒い影が、端から灰のように崩れていく。


「終わった……の?」


 聖剣を握る少女の声には、安堵よりも戸惑いが滲んでいた。

 傍らにいた赤髪の青年は、まだ警戒を解かず剣を構えている。


「油断するな。まだ何かあるかもしれん!」


「いや」


 眼鏡をかけた黒髪の青年が短く否定した。

 彼の視線の先では、『かつて王子だった存在』を覆っていた黒い影が、もうほとんど形を保てなくなっている。


「魔力反応が消えていく。これで終わりだ」


「……そうか」


 もう一人、その場で固唾を呑んで見守っていた青年が小さく息を吐いた。

 整った顔が、苦しげに歪んでいる。


 長く続いた戦いが、ようやく終わった。

 王都を覆っていた闇も晴れていく。

 崩れ落ちた建物の向こうから、薄明るい空が覗き始めていた。


 少女は聖剣を下ろした。

 それでも、目の前から消えていこうとしている青年から目を逸らせない。


 彼はこの国の王子だった。

 そして今は、百五十年前の災厄をその身に宿し、この国を滅ぼそうとした最後の敵でもあった。


 もう腰から下は光の粒になって消えている。

 少女が何かを言おうと一歩だけ進み出た、その時だった。


 王子の顔が、ほんの僅かにこちらを向いた。

 少女も、力を合わせて立ち向かった仲間達も何も言わない。

 王子も何も言わなかった。

 ただ、その唇だけが微かに動いたように見えた。

 そして次の瞬間には、最後に残っていたその姿までもが白い光にほどけて消えていく。


 誰もいなくなった場所へ、少女がゆっくりと手を伸ばした。

 届くはずもない。

 指先が虚空を掴んだところで画面が白く染まり、荘厳な音楽と共に文字が浮かび上がった。


    ――Congratulations!


     TRUE END(Sirius)


    『Pure White Queen』


「――やった!」


 香織は、コントローラーを握ったまま思わず身を乗り出した。

 ようやく真エンディングまで辿り着いたのだ。


 目当てのシリウスとの恋愛を進めながら、他の攻略対象との関係も保ち、能力値まできっちり育てなければならない。

 何度やり直したか分からない面倒な条件を、今回は全部満たすことができた。


「真エンド……!」


 スタッフロールが始まる。

 先ほどまでの凄惨な戦いなど嘘だったように、平和を取り戻した王国の風景が次々と映し出されていった。

 崩れた街は復興し、人々は笑っている。

 主人公は国を救った聖女として民衆に迎えられ、やがて純白の衣装を身に纏って王冠を戴いた。

 王位継承者を失った国王から請われ、次代の女王となったのだ。

 その傍らには、共に戦い、恋人となったシリウスがいる。


 絵としては文句なしに綺麗だった。

 音楽もいい。


 主人公は国を救い、好きな人と結ばれ、女王として新しい時代を始める。

 苦労して辿り着いた最高の結末なのだから、もっと素直に喜べるはずだった。


 香織は祝杯をあげるべく、缶チューハイのプルタブを開けたのだが…


    …スンッ


 スタッフロールを見終えた頃には、香織の顔は真顔になっていたのである。


「…………王子は?」


 もちろん、分かっている。

 さっき自分で倒した。

 あの王子を倒したからこそ国は救われ、このエンディングに辿り着いたのだ。


 それでも香織は、どこかで期待していた。

 真エンディングまで辿り着けば、王子にも何か別の結末が用意されているのではないかと。


「ええ……最高エンドでも、救えないんですか?」


 王子のいなくなった王国には新しい女王が立ち、国は以前よりも繁栄していく。

 めでたし、めでたし。

 実に綺麗な終わり方だった。


 なのに、どうしても腑に落ちない。


 これまで何周しても、物語の終盤では必ず王子が敵になる。

 主人公達が事件を追ううちに王子の関与が明らかになり、最後には悪魔をその身に宿した王子がラスボスとして立ちはだかるのだ。

 そして――聖女となった主人公に倒される。


「……王子ルートが無いのは百歩譲るとして」


 香織はコントローラーを置き、テレビに映る王子の回想絵を眺めた。

 まだ何も知らなかった頃の彼が、柔らかな笑みを浮かべている。

 金色の髪に、澄んだ青い瞳。

 攻略対象三人の友人として時折現れ、主人公にも穏やかに接する、いかにも王道ファンタジーの王子様だった。


「こんなに見た目に力入れといて、救済すらないって何なの……?」


 一年目も二年目も、王子は味方だった。

 攻略対象ではないから恋愛イベントこそなかったけれど、主人公が困っていれば手を貸し、友人達からも信頼されている。

 香織も最初は、攻略できないのが惜しいサブキャラクターくらいに思っていた。


 ところが三年目に入ると、王国内で不自然な事件が相次ぎ始める。

 主人公達が調べるほど王子の関与を示す証拠が増え、最後には彼自身が悪魔を宿したラスボスとして立ちはだかる。


 展開だけを追えば、物語としては成立している。

 前半の味方が終盤の敵になるという意外性もある。

 けれど、肝心なところだけが抜け落ちているように思えた。


「……何で王子が、そこまでしたの?」


 一連の事件の中心にいたのは王子だ。

 最後に悪魔となったのも彼だった、それは疑いの余地もない。

 けれど、どうしてそこまで国や友人達を傷つけようとしたのかは、最後までよく分からなかった。

 前半に描かれていた穏やかな王子と、終盤のラスボスが、香織の中ではどうしても一本の線で繋がらない。


 意味深な台詞や場面はいくつかあった。

 後から見れば伏線だったのかもしれない。

 それでも答え合わせと呼べるほどの説明はない。


「そこ、一番知りたいところじゃんね」


 香織は小さく息を吐き、先ほど録画した映像を巻き戻した。

 どうにも引っ掛かる箇所があったのだ。


 聖剣が王子を貫き、黒い影が崩れていく。

 そして王子がこちらを向いた、その瞬間で映像を止める。


「ここ」


 一時停止した粗いゲーム画面を睨みつける。

 王子の唇が、ほんの少しだけ開いている。


「何か言ってる……?」


 字幕はない。

 声もない。


 単なる表情差分かもしれないし、消滅時のアニメーションの一部かもしれない。

 こんな一瞬を気にする方がどうかしているのだろう。


 それでも、何かを訴えているように見えて仕方がなかった。

 香織は暫く画面を眺めていたが、やがて肩の力を抜いた。


「……まあ、ゲームだしね」


 制作側がそういう結末にした以上、プレイヤー側からはどうしようもない。

 それにしたって、救済ルートか真相を補完する追加シナリオくらいあってもいいだろう。


 同じことを考えた人がいないか気になり、香織はスマートフォンで攻略サイトや掲示板を眺め始めた。

 ほどなくして、『王子攻略・救済ルート/真相補完DLC要望』というページを見つける。


 同じところに引っ掛かったプレイヤーは、やはり少なくないらしい。

 王子を攻略したいという声もあれば、せめて何故ああなったのか説明してほしいという書き込みもある。

 前半の王子と終盤の王子の間に、何か一本シナリオが抜けているように感じた人もいた。


「分かる。すごく分かる」


 香織は何度も頷いた。

 追加ルートを望む声が出るのも当然だと思う。


「王子ルート、あったらやるのになあ」


 もし追加シナリオが出るなら、多少高くても買ってしまう気がする。

 王子を攻略したいというより、あの結末以外に彼が生き残る道があるのか見てみたかった。

 出来ることなら、どうしてあんな最後へ辿り着いたのかも知りたい。


 とはいえ、本当に発売されるかどうかは分からない。

 公式から追加コンテンツの告知が出ているわけでもないし、期待しすぎても仕方がないだろう。

 香織はスマートフォンをテーブルへ戻した。


 ともあれ、ようやく目標にしていた真エンドまで見たのだ。

 他にも積んだままのゲームはいくらでもある。

 この作品もしばらくは起動しないだろう。


 そう思ったのに、テレビの中で止まったままの王子が気になった。

 折角だから、最後にもう一度だけエンディングを見ておこう。


 香織が再生ボタンを押すと、王子が光の中へ消えていく。


 誰もいなくなった場所へ主人公が手を伸ばす。


 そしてスタッフロールへ移る直前――画面が真っ白になったその時だった。





    タスケテ






「……え?」


 香織は顔を上げた。

 今のはゲームの音声ではない。

 イヤホンもしていない。

 テレビから聞こえたとも思えなかった。

 もっと近くから、耳元で直接囁かれたような声だった。


「……何?」


 もう一度、画面を見る。

 何も変わらない。

 白い画面が映っているだけだ。

 気のせいだろうか。


 そう思った瞬間、テレビの白い光が不自然なほど強くなった。


「え、ちょっと――」


 香織が反射的に目を覆うより早く、視界いっぱいに光が弾けた。

 部屋も、テレビも、自分の手さえ見えなくなる。

 音まで遠ざかり、身体の感覚が急速に薄れていく。


 最後に見えたのは、白く染まった画面の中央へ浮かび上がった、ゲームには存在しないはずの文字だった。

 真っ赤な文字が歪み、その輪郭をノイズが激しく揺らしている。





    ――タスケテ。





 そこで、前原香織(わたし)の意識は途切れた。

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