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あなたが信じてくれるから


「がっかりですわ、メリッサ様」


 フィオレンティナはゆっくりこちらへと近付いた。

 口の端には軽く笑みが浮かんでいるが、そこにいつもの明るさは存在しない。


「わたくし、メリッサ様のことはわりと好きでしたのに」

「は……? な、何言ってるのあなた」

「だって。わたくしに直接、真っ向から勝負を仕掛ける方なんて、これまでお会いしたことがありませんでしたもの。ただのライバルになれた気がして、少しだけ嬉しかったのですけれど」

「え……ライバル?」

「でも、失望いたしましたわ。結局、ゴシップ誌の力を選んでしまわれたのね。あなたも、わたくし自身より『エルミーニの薔薇』としての部分を攻めた」


 フィオレンティナの言葉に、メリッサの顔はカッと赤く染まった。

 彼女自身にも自覚はあったのかもしれなかった。自分が、あまりにも卑怯なことをしていると。

  

「ジルベルト様も、お気遣いありがとうございます。けれどわたくし、こういった噂には慣れておりますの。大丈夫ですわ」

「なぜ来た? 大丈夫なはずがあるか。あの日――」


(あの日、君は泣いていた)


 ジルベルトは鮮烈に覚えている。

 

 気丈に振る舞うフィオレンティナが、王都での過去を語り、流した涙を。

 それは、彼女が噂や孤独にちゃんと傷付いている証拠だった。アルベロンドまでやって来てまで噂に振り回されてしまうなんて、平気であるはずがない。

 けれど彼女は颯爽とジルベルトの前に立ち、この身体をメリッサからぐいぐいと引き離す。


「大丈夫なのですわ。だって、ジルベルト様がいらっしゃるから」

「しかし……」

「ジルベルト様はわたくしを信じてくださるから。誰に何を言われても平気です」


 フィオレンティナは「早く帰りましょう」とジルベルトの手を取った。メリッサが流している噂など、大して気にもしていない様子である。


「メリッサ様。お察しの通り、わたくしはフィオレンティナ・エルミーニでございますわ。以後、お見知り置きを」


 どこか泣き出しそうなメリッサを振り返ることも無く、フィオレンティナは歩き出す。

 彼女のしたことを咎めることも無く、責める訳でも無く……もうこのような場所には用がないとでも言うように、さっさと屋敷を後にした。




「……よかったのか」

「何がですの?」

「メリッサだ。俺は彼女のしたことが許せない。君を不当に傷つけようとした」

「けれど、メリッサは罪を犯したわけではありませんし……まあ、少しばかり誇張はあったようですけれど、噂もゴシップ誌の内容そのままですわ。彼女を咎めることは出来ません」


 ジルベルトとフィオレンティナは、メリッサの屋敷を出たあと、町の出口に向かって通りを歩いた。

 

 デルイエロの町の住人達が、通りをはさんで遠巻きにこちらを見ている。いつもなら話しかけてくる者達にも、明らかな壁を感じた。間違いなく噂のせいだ。


 一体、この町でフィオレンティナが何をした。

 なぜこのような目で見られなければならない?

 

「ジルベルト様、そのように怖いお顔をなさらないで。わたくしがフィオレンティナ・エルミーニであることは間違いないのですし」

「しかし、君は――」

「……あら?」


 怒りが冷めやらぬジルベルトの袖は、なにかにツンと引っぱられた。

 

 見下ろしてみれば、そこには小さな少女が立っている。

 小さな手が掴んでいる袖はジルベルトのものであるが、そのまん丸に輝く瞳は真っ直ぐフィオレンティナを見上げていた。


「小さなお嬢さん、何か御用?」

「あ、あの」


 フィオレンティナはしゃがみこむと、幼い彼女に声をかけた。怖がらせたくないのだろう、先程までとは打って変わって、少女に柔らかく微笑んで見せる。

 

 突然目の前に現れた美しい笑みに、少女はビクリと肩を震わせた。しかし、その瞳には強い好奇心が浮かんでいる。


「あの……!」

「どうされましたの? ゆっくりでよろしくてよ」

「あの! フィオレンティナ・エルミーニさま……サインをください!」

 

 少女は、意を決したようにバッと何かを差し出した。

 彼女の手に握られていたのは、スケッチブックとクレヨンだった。使い込まれてボロボロの。


「サ、サイン……??」

「フィオレンティナ・エルミーニさまは有名人なのでしょう? おかあさまが言っていたの」

「有名人……ある意味、そうかもしれませんけれど……」


 少女の後ろからは、彼女の母親らしき女性が「こら、やめなさい!」と走り寄る。


「ジ、ジルベルト様、フィオレンティナ様、躾がなっておらず申し訳ありません。どうかお許しを……!」


 顔を青くした母親は、少女を引き剥がすと平謝りを続けた。

『性悪令嬢フィオレンティナ・エルミーニ』がそれほどまでに恐ろしいのであろうか。あのゴシップ誌を読めば、その苛烈な人物像を怖がっても仕方ないのだが。


 ジルベルトとフィオレンティナは、呆然と顔を見合せた。

 フィオレンティナの顔にはわずかな戸惑いが見られるが、差し出されたスケッチブックを見る瞳は、心なしか嬉しそうにも見える。


「……よろしいのですよ。さあ、こちらに」 

「えっ! フィオレンティナさま、サインくれるの?」

「ええ、どちらのページに書けばよろしいのかしら」


 母親の腕からするりと抜け出した少女は、こちらへスケッチブックとクレヨンを手渡した。

 

 フィオレンティナはそれを受け取り、ちびたクレヨンで美しいサインを記す。楽しげに、くるくると絵を描くように。

 

 足元では目を輝かせて喜ぶ少女、その後ろには呆気にとられた母親が立ち尽くしている。


「じ、じゃあ俺もサイン欲しい……」

「私も!」

 

 そのうち、スケッチブックを手にした子供達が、フィオレンティナの前に列をつくった。

 どんどん長くなっていく行列に、フィオレンティナの顔も本来の明るさを取り戻していく。

 

「フィオレンティナさま、ありがとう!」

「どういたしまして。このくらい、お安い御用ですわ」


 フィオレンティナと子供達は、屈託なく笑い合う。

  

 美しくも棘のある『エルミーニの薔薇』――フィオレンティナ・エルミーニの素顔に、町人達は釘付けとなったのだった。

 

誤字報告ありがとうございました!

反映させていただきました。

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