俺がしたくてやっている
ジルベルトは、フィオレンティナを屋敷に置いたままデルイエロの町へ向かった。
「ああ知ってるよ。ノヴァリス伯爵家には今、あのフィオレンティナ・エルミーニがいるんだろ」
「こないだ見かけたきれいなお嬢さんは、『エルミーニの薔薇』だったんだねえ」
「このままだと、ノヴァリス伯爵家も性悪令嬢フィオレンティナのせいで破滅するって話だけど……本当かい?」
「ジルベルト様が、『エルミーニの薔薇』の色香に騙されているって――」
町の者達に問いかけてみると、職人から聞いた通り、皆が一様に知っていた。ノヴァリス伯爵家に来た美しい娘の正体を。
「……その話は、誰に聞いた?」
「誰って、メリッサがあちこちで吹聴してるよ。フィオレンティナ・エルミーニのせいで、ノヴァリス伯爵家が危ないって言ってね」
(やはり……)
職人から聞いた、デルイエロの町で不自然に広まった噂。ジルベルトとフィオレンティナの脳裏には、同一人物が思い浮かんだ。
先日、「覚えてなさいよ」と捨て台詞を残して去っていったメリッサだ。
幼馴染であるリリアンが「執念深い女」と称するくらいなのだから、また何かあるとは思っていたが――このように有らぬ噂を流されるとは。
「言っておくが、俺は彼女に騙されたりしていない」
「でも、性悪なんだろう? 大丈夫なのかい、その、貢がされたり」
「フィオレンティナ・エルミーニは……性悪令嬢などでは無い。心根の真っ直ぐな、素晴らしい女性だ」
「そうやって上手く騙されていると、メリッサが――」
「騙されてなどいない!」
ジルベルトは住民達を振り切ると、問答無用でメリッサの元へと向かった。
雪の残るレンガ道を歩くたび、足が勝手に大きな音を立てる。
知らぬ間に眉間にはシワが寄り、息は粗く、拳には力が籠もった。見たことのないジルベルトの姿に、町民達はいそいそと距離を取っている。
元来、ジルベルトは腹を立てることがない。
もともと起伏の少ない性格のうえ、喜怒哀楽のうち『怒』だけが抜け落ちているのかと人々から思われるほどであったのに。
この底しれぬ苛つきはなんだ。
フィオレンティナを貶める噂を聞いただけで、腹の奥からフツフツとした怒りが沸き起こる。
それがメリッサの腹いせによるもとだと思うと、到底我慢できなかった。
なぜ、こうまでして、私利私欲に走ることができるのか。理解できないし、したくもない。
これ以上、フィオレンティナの心を傷つけるものは許せない――
「メリッサ!」
街の中心部にある一回り大きな屋敷。そこがメリッサの家だった。
ジルベルトの怒気をはらんだ声を聞きつけたメリッサは、この上なく満足そうな表情を浮かべる。
「あら、ジルベルト様……いい気味ね。そのお顔」
「メリッサ。お前だそうだな。噂を流したのは」
「あの人、王都からアルベロンドへうまく逃げて来たようですけど、ここでもせいぜい『性悪』で生きるといいのよ」
「……なぜ、彼女がフィオレンティナだと分かった?」
「なぜって、言われなくても分かるわ。ゴシップ誌に書かれてある通りの女なんですもの。ここへ来た途端、あっという間にジルベルト様を誑かした。さすが『エルミーニの薔薇』だわ。噂通り、男を籠絡するのがお上手なのね」
(……この女は――!)
『わたくしはマリエッタを突き落としたり、しておりませんわ』
『嫌がらせなんてしておりません……贈り物だって、欲しいなんて一言も言わなかったのに』
ジルベルトはフィオレンティナの素顔を知っている。
メリッサが見たフィオレンティナなんて、ほんの一部に過ぎない。売られた喧嘩を買っただけ――たったそれだけのことだったのに。
「ゴシップ誌に書かれてあることは真実ではない。君は、フィオレンティナが『俺を籠絡している姿』を見たのか。『悪事を働いている姿』を見たのか」
「……突然現れたあの女の肩を持つなんて、それが全てではないですか。ジルベルト様はあの女の思うがままに操られているのだわ」
彼女が、フィオレンティナの何を知っているというのだろうか。メリッサだけではない。このように噂が広まってしまっては、ゴシップ誌に書かれてあることが『真実』として誤解されてしまう。フィオレンティナが「素晴らしい」と目を輝かせた、この町の住人達すべてに。
「操られている――? なにを、馬鹿なことを」
「ば、馬鹿ですって?」
「なにもかも、俺がしたくてやっている」
この嘘だらけの噂から、フィオレンティナを守りたい。
ノヴァリス伯爵家で、明るく穏やかに暮らしてほしい。
確かに、フィオレンティナには散々振り回されているかもしれない。けれど、彼女の手を引くのはすべて自分の意志だ。
メリッサには、分からせなければならない。これ以上フィオレンティナを排除しようとしても無駄であると――
「がっかりですわ、メリッサ様」
その時、ジルベルトがメリッサと対峙するその後ろから、凛とした声がした。
(まさか)
ここにいるはずのない人間の声だ。心を痛める彼女を思って、屋敷に置いてきたというのに。
しかし彼女は頑固で無鉄砲で――メリッサから売られた喧嘩は買う人だ。大人しく屋敷で待っていたりするわけがない。
振り向けば、フィオレンティナその人が腕を組んで笑っていた。




