春の嵐
フィオレンティナに了承も取れ、二階奥の部屋をさっそく手入れすることにした。
次の日ジルベルトが呼び寄せたのは、デルイエロの町から家具職人だ。
「建具はまったく問題ございません。あとは模様替えを……こちらのお部屋には鏡台がございませんね。女性のお部屋となれば必要でしょう」
「そうだな、では鏡台を頼む」
「ベッドも新調いたしましょうか。カーテンや絨毯、あとは照明なども、女性らしいものに変えてみてはいかがでしょう」
下見にやって来た職人は、早々と部屋の採寸に取り掛かった。窓幅、入口、ベッドの大きさ、今ある家具の幅まで、きびきびと測っていく。
(なるほど……言われてみれば、確かにこの部屋は少々地味だな)
白とグリーンで統一された落ち着きのある部屋ではあるが、職人の言う通りフィオレンティナの部屋となると少々物足りないかもしれなかった。
彼女には、もっと華やかな部屋が似合う気がする。
カーテンは軽く、それでいて質の良いものに。絨毯の色も彼女のように明るい色を――季節が暖かくなれば、部屋に花を添えても良い。
建物自体の古さはもう仕方が無いとして、出来る限り彼女らしい部屋にしたかった。整えられた部屋を想像するだけで、なんとなく心が浮き立つ。
「フィオは……」
部屋の主となるフィオレンティナを振り返ると、彼女はちょこんとベッドに腰掛け、部屋をぼんやりと眺めていた。
フィオレンティナ自身の意見も取り入れようと同席して貰ったのだが……実は部屋に入った時から、彼女といったら黙ったままだった。
その小さな手でベッドを撫で、グリーンの絨毯を見つめては、どこか上の空のようで。
ジルベルトはそのまま、フィオレンティナの美しい横顔を眺めた。そして昨日のことを思い出す。
『……わたくしはジルベルト様のことを愛しておりますわ』
彼女の気持ちを聞いたのは、これで二回目である。
しかしやはり嘘みたいだった。目の前に座る美しい女性が、自分のことを愛しているなんて。
(一体、俺のどこが?)
彼女と出会ってからというもの、平坦で平和であったジルベルトの人生に嵐が巻き起こったようだった。
激しいようでいて穏やかで、くるくると様子の変わる春の嵐だ。
胸の中に花が舞う。自分では抱えきれないほどに。
(なぜ俺を?)
愛らしい容姿に、心根まで真っ直ぐなフィオレンティナ。時々わけのわからない行動に出るものの、その様はどこを切り取っても微笑ましい。
(あれは本当か?)
こちらに向けられる笑顔には壁がなく、いつの間にか彼女はジルベルトの内側へするりと入り込んでいて――
(本当なのか――?)
『ジルベルト様はわたくしのこと、愛せないと仰いますの?』
(……フィオを愛せない男など、いるのだろうか?)
初めての感情に振り回されながら、自身の胸にも問いかける。
「……ジルベルト様」
フィオレンティナから目が離せないでいると、不意に彼女の視線がこちらへ向けられた。
彼女はジルベルトを見上げつつ、なにか言いたげな表情を浮かべている。
「どうした?」
「あの……非常に申し上げにくいのですけれど……」
フィオレンティナは口ごもりながら、珍しく歯切れが悪い。
そんな彼女の反応に、ジルベルトもようやく我に返った。
フィオレンティナの意見を聞くといいつつ、先程からジルベルトと職人の間でどんどん話を進めてしまっていたことに、やっと気がつく。
そういえば彼女が黙りこんだのは、この部屋を見てからだった。ベッドに座り込んだまま、ずっと部屋を見渡していて。
もしかするとこの部屋について、なにか言いたくても言い難い不満があるのかもしれない。
浮かれていた頭は急速に冷えていく。
「勝手に話を進めてすまなかった。君のための部屋だ、なんでも言ってくれ」
「いえ、あの……ベッドと、絨毯なのですけれど」
「ベッドと絨毯?」
「あと、カーテンと……テーブルなんかも」
彼女の浮かない表情に、ジルベルトは思わず身構えた。
エルミーニ侯爵家では、おそらくノヴァリス伯爵家とは比べ物にならないほど質の良い部屋に住んでいただろう。
ベッドだってドレッサーだって、このような田舎町では用意できないような一級品を使っていたに違いない。
もし、同等のものを求められたら?
フィオレンティナの要望は出来るかぎり叶えたいが、この田舎町では限度がある。
ノヴァリス伯爵家で暮らすためにはデルイエロの町を頼るしかないのだが、それで彼女が満足できるだろうか。
一体何を言われてしまうのか、ジルベルトは覚悟してフィオレンティナの言葉を待った。
しかし、彼女からは意外な言葉が返ってくる。
「せっかくなのですけれど……このままではいけませんか」
「……このまま?」
「わたくし、この部屋の家具やカーテン、絨毯も、今のものを使いたいですわ」
せっかく足を運んでくれた職人を見ながら、フィオレンティナは申し訳なさそうに眉を下げる。
一方、ジルベルトと職人は拍子抜けした。まさか何も要らないと言われてしまうなんて。
「しかし、この部屋は古いものばかりでフィオには――」
「何をおっしゃいますの? カーテンにも、絨毯にも、ベッドにも――ジルベルト様の思い出がたくさん詰まっておりますでしょう?」
「あ、ああ」
「思い出の家具を手放すなんて、わたくし絶対に嫌ですわ」
(確かに、思い出はある……が、しかし……)
シンプルすぎるカーテンに、毛羽立ちのある絨毯、座っただけできしむベッド。
フィオレンティナに使わせるには、なんとなく気が引けた。
しかし彼女はもう心を決めてしまったようで、「嬉しいですわ」とその顔を綻ばせている。この部屋が本当に気に入ったらしい。
「まあ、フィオが、そう望むのであれば」
「ありがとうございます、ジルベルト様。夢のようですわ……! わたくし、さっそくお掃除いたしますわね!」
フィオレンティナは勢いよく立ち上がると、やる気に満ちた表情で腕まくりをした。侯爵令嬢である彼女自ら、掃除をする気だ。ジルベルトが思わず止めに入ろうとすると――
「……『エルミーニの薔薇』がホウキを持つのかい?」
家具職人が、我慢できずに吹き出した。
その口ぶりは、フィオレンティナが『エルミーニの薔薇』であると知っているものだった。
彼女がここにいることは、誰にも言っていないはずなのに。
思いがけない事態にジルベルトとフィオレンティナは職人を振り返るが、彼は変わらず笑い続けている。
「どんなに傲慢なお嬢様かと思ったら、なんて欲が無いんでしょう。驚いたよ」
「な……なぜ、あなたがそのことを……?」
「こちらのお嬢様がフィオレンティナ・エルミーニなんだろう? このあいだから、デルイエロの町ではお嬢様のことで持ちきりですよ。『あのエルミーニの薔薇が、ノヴァリス伯爵家にいる』って」
職人は悪びれること無く、その噂を口にした。
ジルベルトとフィオレンティナは、再び顔を見合わせる。まさか、そんな風に話が出回っているなんて。
思い当たる節は、ひとつだけ―――
二人の脳裏には同一人物が思い浮かんだ。




