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自覚のない男


 翌日のノヴァリス伯爵家では、ジルベルトとリリアンが屋敷の部屋替えについて頭を悩ませていた。

  

「ジルベルト様、フィオ様のお部屋は三階の角が良いのではありませか? 陽当たりも良く、ジルベルト様のお部屋からも近いですし」


 これまで客間にて寝起きしていたフィオレンティナのために、個人部屋を用意することにしたのである。


 今朝、そのことをメイドのリリアンに相談したところ、彼女はなんとも嬉しそうな顔をした。

 そしてフィオレンティナには三階の角部屋――昔、母が使用していた部屋はどうかと勧められている。

 

「いや、駄目だ。夫婦でもない男女が同じフロアにいてはならない」

「ですから、早くご婚約されたら良いじゃないですか。昨日は胃袋を掴まれたのでしょう?」

「胃袋? ……ああ、そうだったな」

「あら、違うのですか?」


 そういえば、昨日食堂へ行ったのはフィオレンティナの手作りパンを食べるためだった。ジルベルトの胃袋を掴むための。


 もちろん、パンは美味しかった。

 ジルベルトのために作られたものだと思うと、なおさら味わい深く感じた。食べきれなかった残りは、今朝の朝食として出してもらっている。やはり美味しいパンだった。しかし……


「胃袋を掴まれたとか、そういうわけでは……」

「ではどうして急にお部屋替えを思い立ったのです? てっきり、ジルベルト様もご婚約をお考えなのかと思いました」

「――彼女に、落ち着く場所を提供したいと思った。いつまでも客間では辛いだろう」


 昨日、彼女自身の口から『性悪令嬢フィオレンティナ・エルミーニ』の真実を聞いた。

 ゴシップ誌の記事とは全く異なる――あれは彼女の心の叫びだった。

 

 愛のない婚約に、嫉妬や悪意、でっち上げられた無実の罪。

 フィオレンティナが耐えてきた王都での暮らしは、聞くだけでも救いのないもので。彼女は、そんな場所からやっと逃げ出して来たというのだ。

 

『――わたくし、やっと自分に戻れる』


 アルベロンドに来てようやく笑えるようになったフィオレンティナ。

 

 ジルベルトは、そんな彼女の笑顔を守りたいと思った。

 敷地で遊びたいなら、いくらでも自由に遊べば良い。無駄に大きな屋敷なのだから、部屋ならいくらでも余っている。フィオレンティナがいてくれれば、ブラック達も尻尾を振って喜ぶだろう。ブラックだけではない、リリアンも、ルシオも――

 

「……リリアン、なにをニヤニヤしている?」

「いえ! なんでもありません」


 ジルベルトがフィオレンティナの部屋を用意しようとするさまを、リリアンはニヤニヤとした顔で見上げていた。意味深なその表情が、ジルベルトはなんとなく気に食わない。


「なんだ? はっきり言ってくれ」

「だってジルベルト様、フィオレンティナ様に『落ち着く場所を提供したい』だなんて、そんなの……うふふ」

「そんなの……なんだ?」

「ご自覚は無いのかな、って思いまして」

 

 彼女の言葉に、しばし考え込んだ。


(自覚……? 自覚とは何だ……?)


 やはりリリアンの言葉は意味深で、ジルベルトには何のことやら分からない。フィオレンティナのためを思ってやっていることなのだが、他に何か自覚することがあっただろうか。


「俺は、フィオレンティナにも心安らげる場所が必要だろうと、そう思って――」

「ええ、ええ、そうですよね! 私もそう思います。フィオ様が聞けばお喜びになると思いますよ」

「そうだな……」


 二人大きく頷いて、フィオレンティナが喜ぶ姿を想像した。

 大きな瞳をキラキラと輝かせ、両手は胸の前で組み、つま先で跳ねて……その背後には、ちぎれんばかりに振り切れる尻尾の幻が見えるような、そんな姿だ。

 

 ジルベルトとリリアンは、思わず笑ってしまった。

 喜び方がブラックと同じなのだ。とてもじゃないけれど、淑やかなご令嬢の喜び方では無い。けれど二人はそんなフィオレンティナが微笑ましかった。

 

「お部屋のこと、早くフィオ様にお伝えしたいですね!」

「そうだな。フィオはどこに?」

「ブラックと外へ行かれたはずなのですが……」 

「また遊んでくれているのか。なら、早く部屋を決めてしまおう」


 二人で散々悩んだ挙句、フィオレンティナの部屋は二階奥の部屋に決まった。ジルベルトが幼い頃に使っていた部屋だ。今は空き部屋となっている。

 三階奥にある主寝室の真下に位置し、陽当たりも広さも申し分無い。フィオレンティナに合わせた調度品を整えれば、それなりの部屋にはなるはずだ。


「ジルベルト様のお部屋の、真下ですね……?」

「元々子供部屋であっただけあって、窓などの建具も安全で丈夫な作りだ。それに俺の部屋の下なら安心だ」


 父が引退し、足腰の痛みから部屋を階下へ移してからは、当主となったジルベルトが主寝室を利用していた。

 すぐ下なら、もし夜中などに異変があっても気付くことが出来るだろう。


「フィオの部屋にはベルを置くか。なにかあったときには誰かがすぐ駆けつけられるように――」

  

 一人で納得していると、ニヤニヤとしていたリリアンの顔からいつの間にか笑みが消えていた。その表情は、むしろ心配しているようにも見える。


「ジルベルト様、本当にご自覚はないのですか……?」

「自覚、とは何だ?」


 リリアンはいっそう眉間に皺を寄せ、怪訝な視線をジルベルトに寄越す。しかし、こちらとしてはそんな目で見られる覚えは無くて。当惑するジルベルトに、リリアンは軽くため息をついた。


「これは……フィオ様に頑張っていただかないと」

「だから何なんだ……」

「もう少し、ご自身の心と向き合ってくださいませ」


 話の噛み合わない二人は、互いに言葉の意味を探り合う。

 ジルベルトがリリアンの言葉を理解するには、もう少し時間が必要かもしれないのだった。


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